サボ | ナノ

Volume6.

『サボ君と別れてください。』

そんな件名のメールが届いたのは、昼過ぎのこと。

携帯会社のドメインにではなく、大学の連絡用として利用しているwebアドレス宛に届いたそれには、ご丁寧に過去の写真まで添付されていた。

写真の中のサボは、今よりもずっと若くて、うんと綺麗な女性を抱き締め、幸せそうに笑っている。

メール本文には、付き合っていた頃の思い出が嫌というほど綴られていて、どれだけその頃が幸せだったのかがひしひしと伝わってくる。

本来ならば嫉妬心でわなわな震えたり、不安で取り乱したりするべきなのだろう。そうわかっていながら、イオナの頭は妙に冷静だった。

悪意がどっさり伝わってくる長文を、一語一句読みこぼすことなく脳裏に焼き付ける。腹の底から沸き上がってくるドロドロとした怒りをさらに煮沸し、焦げてしまいそうなほど濃く煮詰めながら、繰り返し、何度も何度も読み返す。

こんなメールを寄越す相手を『滑稽な女』だと笑って許せるほど、イオナはまだ大人ではない。ただ、自分の感情の赴くままに攻撃的になるほど子供でもなかった。

サボの気持ちはわからない。
もしかしたらまだ元カノを好きかもしれない。

それでも認める訳にはいかない。
こんな自分勝手を許すことが出来るわけない。

イオナは考えた。なにをすればいいのかと。元カノの目的はなんなのかを。彼女がこんなメールを寄越した理由を。

そうして導きだされた答えは─
……………………………………………

あのメールが着てから1週間。
毎日webアドレスにはメールが届いた。

内容はその日によって異なるものの、見下したような文面や、自慢話、どちらが相応しいとか、他愛もないやような昔話など、毒気だらけの長文であることはかわりない。

「飽きないのかな…」

サボが帰ってくるまでにはまだ時間がある。イオナは送られてきた一週間分のメールを読み返し、深い溜め息をつく。夕飯の下拵えはできているし、風呂の支度も出来ている。

やることがないと、ついこれを読んでしまうのだが、返信は一度もしたことがなかった。受信拒否をしたところでフリーアドレスでいくらでも送ってくるだろうし、反応すれば相手の思う壷だ。

送られてくるメールの文面自体は、1通目も七通目もそう大差ない。何か気がかりなことがあるとすれば、若干書くことに困っているのか内容が重複し始めていることくらいだ。

何も報告することがなくなったら、相手はなにをしてくるつもりなのだろう。

そんなことを考えながら、添付されている画像を開く。こちらについてはどんどんエスカレートしていて、今日はベッドの中で撮られたであろう写真が添付されていた。

精神的に追い詰めたいんだろうな…。

それがわかっていたからこそ、こちらからはアクションを取ることはしなかった。全く堪えないわけではないが、我慢できないほどではない。

サボに泣きつけば、彼はきっと元カノと話をつけにいくだろう。そうすれば、相手に付け入る隙を与えてしまう。

もしサボの方にほんの一ミリでも元カノを想う気持ちが残っていたなら、話し合いのきっかけなどを与えてしまえばひとたまりもないのではないか。

信用している、していないといった次元の話ではなく、これは"性格の問題"だ。一度大切にしていた相手をバッサリ切り捨てられるほど、今のサボは強くもないし、薄情でもない。

イオナはメール画面を閉じ、パソコンをシャットダウンする。

最近の彼は過去のことなど吹っ切れたかのように調子がよく、前ほどの執拗な干渉もなくなった。相変わらずの飄々とした態度で飴と鞭を使い分け、めいいっぱいデレてもくれる。

同時にちょっとおかしな性癖に目覚めてしまったような気もするけれど、そんなのは全然受け入れられるレベルのこと。嬉しそうにしているサボを見るのは嫌いじゃなかった。

イオナは今しがた見たばかりの写真のことなどすっかり脳の隅に追いやって、鮮明に思い出される恋人の笑顔を瞼の裏に映し出す。

どこかすかしたような笑顔も、子供みたいな満面の笑みも、わざとらしい不貞腐れ顔も、今では自分だけのもの。

ちょっとだけエースに横取りされていることもあるけれど、友人に見せる笑顔はまた別物だ。

「まだ帰ってこないのかな…」

画像やメールでどんなに不安を煽られても、彼が毎日ここに帰ってきてくれて、抱き締めてくれるのならなんとかなる。

そんな自分の考え方にほんの少しの違和感を覚えながらも、イオナはサボのことを待ち続けた。
………………………………………………………………

「で、朝帰りかぁ。」

イオナは玄関で寝転けるサボの頬をツンツンとつつく。送り届けてくれたエースいわく、これはすべてあのメールのせいらしい。どうにもサボはブラウザから勝手にアカウントにログインしたらしかった。

少し前のイオナならあんなメールが来たらすぐに動揺して、泣いていたはずだ。なにも言わないのは愛想を尽かされたからかもしれないと動転した彼は、速攻でエースに相談。

その結果、朝まで飲むことになったらしい。

愛想を尽かされるようなことをしたのかと聞かれて赤裸々に性生活を暴露するサボもサボだが、律儀に全部聞いてあげるエースもまたどうかしている。

どこまで聞いたのかと訊ねても、彼は「言えるかよ。」と気まずそうに目を伏せるし、いろいろと知られてしまったことに顔から火が出そうだった。

「ちゃんと頼ってやってくれよ。サボはイオナに甘えられたいんだよ。」

「それはわかってるけど…」

「どーせ、元カノに揺らいじゃうんじゃ…とかって考えて、我慢してたんだろ。コイツにもそうなんじゃねぇかとは話しといたけど、あんま溜め込むなよ。」

「うん。」

それでなくても行為をしてしまったあの日以降、ぎこちなくなってしまっていたエースとの関係。今回の性癖暴露は決定打のようで、彼は目を合わせてくれない。

いつもなら部屋まで連れていくのを手伝ってくれるのに、玄関に放置したのもきっとそのせいだろう。

帰り際に「あのDVDだけは処分しといてくれよ。」と言われ、さらに頭が痛くなった。「お前らなにやってんだよ。」と苦笑いされたが、聞きたいのはこっちだ。

イオナは照れて赤く染まったソバカス顔を思い出す。ずっとよそよそしかったらどうしよう。そうおもう反面、いろいろなことを知られてしまっている以上、一度関係を持ってしまっている以上、もう個人としては関わらない方がいいのかもしれないとも考えた。

その最中も、ベッドまでは歩かさなくてはとサボの身体を揺すっていたが、小さく唸るばかりで一向に目覚める気配はない。

「ねぇ、ちょっと。サボ…」

「悪ぃがちと寝かせてくれよ 。」

「でもここ玄関だよ?」

「あぁ。そうだったよな。俺も知ってう…」

何となく、噛み合ってない返事が帰ってきたことで、イオナは彼を起こすことを諦めた。

サボのキーケースから、棚の鍵を取りだしてリビングに向かう。テレビ台の隣に並ぶ、大きな木製の棚の引き出し。その鍵穴にそれを差し込み回すと、カチャリと音がする。

引き出しの取っ手に触れるのに、少しだけ緊張した。同様に鼓動が早く、そして、強くなる。恋人とはいえ、施錠された場所を勝手に漁るのはいけない行為だ。その背徳感と罪悪感に心地よさを覚えるのは何故だろう。

DVDはすぐに目に止まるところにあり、イオナはそれに手を伸ばしたのだが──その隣にあった小さなピンク色のアルバムの方に気を取られてしまった。

「なにこれ…」

それに強い興味を持ったイオナは、本来の目的であるDVDより、知的好奇心を優先させる。手に取ったアルバムは、そのサイズよりずいぶんと重たかった。

ほんのちょっとだけ。まるで自分に言い聞かせるように呟きながら、それを手にソファに向かう。寝ないでずっとサボの帰りを待っていたせいで、ずいぶんと思考回路が滞っていた。

to be continued



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