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好きとは言い出せない

うだるような暑さの中、彼だけは一人涼しげな顔をしていた。こめかみを伝う汗も、肌に張り付いたブロンドの髪も、彼の爽やかさを彩っている。

どうやったらあんな風に飄々として生きられるんだろう。

イオナは稽古を続けるサボをみつめ、はぁ、と熱っぽい溜め息をつく。

焦燥感に追われながらも、一生懸命、真面目にやってきた。だからこそ、こうして革命軍の一人として生きることを許されたのだけど…

(弛んでる…)

彼女は胸中でぼやく。

恋や愛やなんてものは、生きることに余裕がある人が娯楽として嗜むものだ。自分のように、毎日生きるか死ぬかのギリギリの生活を送っている者が率先して受け入れるべきものではない。

頭では充分理解しているのに、心の部分がついてこない。心でモノを考えているのではと疑ってしまうほど、この手のことには感情が素直すぎた。

「もうすぐサボくんの誕生日だね。」

「え?」

唐突に背後から声をかけられ、イオナはパッと振り返る。そこにいたのは、朗らかな笑みを浮かべたコアラだった。

彼女は「知らなかったとは言わせないぞ。」と、鼻の頭を指先で押してくる。

イオナはその指を交わしつつ、「知ってたけどさぁ」と溜め息混じりに呟いた。

「相談なら乗りたいかな。」

「そんな大層なものじゃないよ。」

「ん?」

イオナの言わんとすることがわからないのか、コアラは頬に人差し指を当てて小首を傾げる。その表情がずいぶん可愛く、女のイオナですら持っていかれそうになった。

「任務でここにはいないかもしれないし、私がなにか考えたところで…って感じだし。」

「ここにいなくてもプレゼントは用意しておいて損はないんじゃないかな?」

「あのね、コアラ…」

私にはウツツを抜かしてる暇はないの。そう切り出そうとしたところで、イオナは言葉を呑んだ。自分の背後に気配を感じたからだ。

「おい、女同士でなんの相談事だ?」

「うーん。サボくん、邪魔かな?」

「邪魔とはなんだ、傷つくだろう。」

「勝手に傷ついてなよ。乙女の邪魔するなんて、最低なんだから。」

話を逸らすコアラに対して、からかうみたいな口調で、柔らかな声色で、その人は返事をする。彼はきっと子供みたいな笑顔でそこにいるのだろう。

振り返れやしなかった。

声の聞こえる位置からして、彼はずいぶんと近くに立っているはずだ。視線が噛み合いでもしたら、頭が沸騰しかねない。

コアラから投げ掛けられる茶化すような視線に耐えられず、イオナは逃げ道を探す。実際、参謀総長であるサボに背を向けたままというのもまずい話だ。

どうしたものか。

拳を強く握ったイオナの肩に、なにも知らないサボはトンっと手を乗せる。

「コアラになんとか言ってやってくれよ。俺はそこまで邪魔じゃないよな。」

沸騰する。全身の血流が動脈、静脈関係なく一気に上昇したように思えた。カッと熱くなる頬と、そんなのはおかまいなしに「ほら、イオナ。なんとか言えよ。」と耳元で囁いてくる彼。

「サボくん、それはセクハラだよ。」

「んなこったねぇよ。な?」

コアラがフォローするように言ってはくれるが、サボはそれすらもからかいだと思ったのか聞き流してしまう。

なにも言えずにギュッと身を固くしたイオナの顔を覗き込んだ彼は、目を丸くした。

「おい、イオナ。顔が真っ赤だぞ。どうした?」

「あ、いや…」

「熱か?それとも腹が痛いか?いや、腹が痛い時は青ざめるんだよな。うん、やっぱり熱だな。」

「違っ…」

なんとか声を出そうとするも、焦ったサボを止めることはできない。彼はなにを思ったのか、イオナの額に触れ、前髪を持ち上げるとそこに自身の額を押し当てた。

ゼロセンチの顔の距離。
湿っぽい重なった部分と汗の匂い。
呼吸が苦しくなった。

「俺の方が熱いよな。なんでだ?」

額を離した彼は、わずかに眉間を寄せ小首を傾げる。大丈夫ですと言おうとするイオナを遮り、そのリンゴのように赤くなった頬に触れたり、首筋を押さえてみたり。

その都度、卒倒しそうだった。

「脈が早いな…。どうしたんだろうな。」

サボは心底わからないと言った様子でコアラに目配せする。あんたのせいだよ。確かに彼女はそんな目をしていた。

「原因は後でいい。今は部屋で休んでろ。」

サボはひょいっとイオナの脚を掬って抱き上げる。抵抗なんてできるわけがなく、「キャッ」と小さく悲鳴をあげたまま彼女は押し黙った。

コアラについては「鈍感すぎるのも厄介ね」とあからさまに口にしてしまう始末だ。

それでもサボは「なんだ、軽いな。もっと食えよ。」とイオナに話しかけ、彼女の部屋へと向かって歩き出した。

彼はまったく悪くない。
ただ男女の関係について少し疎いだけ。
女心をまったく理解できていないだけだ。

「こんな軽いのに、ここは柔らかいんだな。」

「えっ、あ、いえ…その。」

太ももをムニムニされながら、イオナは胸中で思った。

余裕がない私には、恋愛はまだ早すぎると。

END

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