涙と鼻水を拭い、髪の毛を調えたイオナがリビングに向かったのはあれから1時間経ってからだった。
夕飯の支度が忙しいはずなのに、サンジは温かい珈琲を二人分入れ、テーブルについてくれる。
向かい側で微笑むサンジの存在が、彼女の心拍数を速くする。緊張でフォークを持つ手が小さく震えた。
それくらい、サンジの前では緊張してしまう。
ゾロと居るときは大違いだ。
「イオナちゃん、泣いた?」
「え?」
「いや、気のせいかな。」
顔を覗き込まれた途端、鼻血がドビューンするかと思ったが、そこまで鼻の粘膜は弱くなかった。なんとか持ちこたえてくれている。
「サンジくん…、あの…」
「ん?」
「あ、うぅん。なんでもない。」
クラフティはすごくおいしかった。それなのに、「おいしいよ。」と一言言うのですら躊躇ってしまう。
頭がショートしてしまいそうだった。
黙々とケーキを食べ進めていたせいか、あっという間にお皿は空になってしまった。
彼から向けられ続けている温かな視線に耐えられず、フォークをテーブルに置くやいなや、今度は珈琲カップを手に取る。
我ながらヘタレだが、それ以外に打つ手がなかった。
けれど珈琲もそこまでたくさん残っていた訳ではなく、すぐにカップが空になってしまう。
どうしよう。間が、間が持たない!!!
押し寄せてくる不安感と焦燥感に目を回しそうになりながら、イオナがカップをソーサーに戻した時。
「イオナちゃん。あのね、」
サンジが柔かな口調で彼女に語りかける。途端に、イオナは背筋をピーンと伸ばし、裏返った声をあげた。
「は、はい!」
「そんな改まらなくても…」
「えっと…、ごめん、なさい。」
「謝らないで。」
サンジは優しい。
恐縮してしまったイオナに優しく微笑みかけると、「おかわり、入れようか。」と席を立った。
正面から彼の放つオーラが消えたことで、少しだけ彼女の緊張の糸は緩む。それでもまたここに戻ってくるかもと思うと、挙動不審になってしまうのは仕方のないことだった。
「イオナちゃんはマリモ野郎と仲がいいんだね。」
「えっ、いや…。別に。」
「君があんな風に笑うなんて意外だったよ。」
なんだか陰りのある言い方に、イオナは泣きそうになる。関係を勘違いされていることは確実だ。
サンジが新しい珈琲を差し出してくれた時、すでに彼女は半分泣きそうな顔。それをみた彼は、何を思ったのかイオナにと問いかける。
「アイツのこと好きなの?」と。
もう、限界だった。イオナの瞳からはポテポテと涙が溢れ始める。違うと言いたいのに言葉がでない。感情が込み上げるばかりで喋れない。
それでも彼女は必死に首を左右に振った。
違うと言えなくても、態度では示せる。イオナは必死に違うと訴えた。
「え?違うの?」と聞いてくるサンジの声に、動揺が滲んでいるのがわかり、ちゃんと話せないことを申し訳なく思えてくる。
それでも上手く話せそうにないので、今度はうんうんと首を縦に振るばかり。
「じゃあ…、どうして泣いてるの?」
本格的に彼が困っているのが伝わってきた。
このままじゃダメだ。
そう思ったイオナは、しゃくりあげながらも何度も深呼吸し、気持ちを落ち着かせると、無理矢理言葉を絞り出す。
「私、サンジくんのことが…」
そこまで口にしておいて、これ以上は言えないと思った。まだ言えるような自分じゃないと。
逃げ腰のイオナは弾かれるように席を立ち、ドアへと駈ける。ドアノブをなんとか回し、ドアを引いたその時。
ベシッと額に叩き込まれる衝撃。
こんなことをするヤツは…
イオナはデジャブかよと思いつつも顔をあげ、正面に立つゾロを睨み付ける。彼は「泣き顔で睨まれてもな。」と呆れた顔。
「どいてよ。」
「やり直し。」
「は?」
「言えるまでここから出るな。」
「なんで…」
「逃げんなよ。」
ゾロは突き放すような口調で言う。冷たくする理由なんて分かりきっている。何か言い返してやろうと口を開いたところで、鼻先でドアが乱暴に閉ざされた。
(なんで背中を押したりするの…)
ゾロはバカだ。
イオナはドアの向こう側にいるであろう人物を見据える。
励ますフリをして、相談にのるフリをして、手込めにしてしまえばいいのに。
本当にバカ野郎だ。
胸中で何度もバカバカと繰り返すイオナの身体に、底知れぬパワーがみなぎってくる。
ゾロの優しさが勇気に変換された。
そう気がついた時、彼女はその勇気をフルスロットルで活用してサンジへと向き直る。彼の手には氷が入った袋があった。
「おでこ、冷やしてあげるよ。」
「あ、ありがとう…。」
拍子抜けだ。
告白するつもりだったのに、何故か額に氷を添えられるハメとなっている。
加減知らずのゾロのせいで、額にデコピンサイズのたんこぶができていたらしい。サンジはそれに酷く怒っていた。
「たんこぶのあるイオナちゃんも可愛いね。」
「ごめんなさい…」
「なんで謝るの?」
サンジは髪をかきあげながら、クスリと笑う。氷くらい自分で持てると何度言っても、彼は渡してくれない。「俺が持っていたいんだ。」と微笑む。
空いた両手と塞がった額。
なんだかよくわからないシチュエーションではあるけれど、きっと今がチャンスなのだろう。
イオナは勇気を出して「あの…」と声をかける。
サンジは片手で器用に煙草に火をつけていた。
「どうかした?」
「えっと、その…私。ずっと…」
言え!言え!言え!!!
自分に何度も語りかける。頑張れ。頑張れ。と。
それでも後少しが口から出せずたじろいだ。
伝えたい。でも言えない。なら…
イオナはまた弾かれたように席を立つ。彼女の言葉に耳を傾けていたサンジは、驚いた様子で目丸くする。
そこで彼女の取った行動は単純だった。
メモ用紙とペンを手に取り書き込んだのだ。
「大好きでした。」と。
そしてそれをぐるぐると丸めて、サンジに向かって放り投げた。
彼は不思議そうに首を傾げたあと、その丸めた紙を開く。
そして、パッと笑顔を作った。
「俺もだよ。」と。
「ほ、ほんと、ですか!?」
イオナは後ずさりながら問う。
そんな彼女に一歩ずつ歩みよりながら彼は、「あぁ。俺もイオナちゃんのことがずっと好きだった。」と微笑む。
「あの…」
付き合ってもらえますか?
そう言おうとした彼女の言葉を遮るように彼は言った。
「イオナちゃんから告白してもらえるなんて、最高の誕生日だよ。」と。
「え?誕生日?」
「あぁ。今日は俺の誕生日だ。」
なんで誰も教えてくれなかったんだ。イオナは胸中でプンスカするが、サンジからすればそんなことはどうでもいいようだ。
後ずさり過ぎて壁際に追いやられたイオナに詰め寄った彼は、背中を壁に張り付けて目をパチクリさせる彼女の顎を持ち上げる。
鼻血が出そう…
沸騰寸前の頭。イオナの意識がぼんやりし始めたところで、サンジが彼女の耳元に唇を寄せ優しい声で囁いた。
「これからは俺たちの交際記念日にもなったね。」と。
END
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