カタカタと震えるシュガー。顔色が青白く、なんだか本当に体調が悪そうだ。
とりあえずソファーの横にある、ボックス型収納から膝掛けを取りだしシュガーの肩にかけてやる。
ホットミルクでも飲むかと声をかけるが、彼女はブンブンと首を左右に振った。
「どうかしたのか?」
「あの人の話はしないで…」
「あの人って…」
ベビー5か?と問おうとして、やめる。今しがた名前を出すなと言われたところだったからだ。
「アイツとなにがあったんだ?」
「モネが、モネが…嫉妬、する。次は、殺される。殺される…」
あぁ、そういうことか。
あえて口には出さないが、グラディウスは納得した。
たぶんモネが凍死させるのはシュガーではなくベビー5だけだろう。仮にもし、怒りの勢いでシュガーを殺してしまったとすれば、冷静になったとき後追い自殺しそうだ。
モネの異常なまでのシスコンっぷりを知っているだけに、グラディウスは苦笑を浮かべることしかできない。
ベビー5もまた、若様のお気に入りであることが唯一の救いなのだろう。本人は若様のことを死ぬほど憎んでいそうではあるが…。
「あぁ、わかった。じゃあ俺がベビー5にケーキ作りを習って、お前に…」
そこまで口にしたところでハッとする。
なんで俺が作ることになっているんだ!?
今しがた自分が口にした言葉の意味に悶絶しているグラディウスを、希望に溢れた瞳でシュガーは見つめる。
「いや、違う。俺は決して…」
「ありがとう、グラディウス。約束を破ったら、死んでもらう。」
「なっ!!!」
いつのまにやら顔色の良くなった少女は、ピョンっとソファーから跳ね降りる。
玄関へと向かうその背中はノリノリで、今さら撤回など許さないと語っていた。
「嘘だろ…、おい。」
こうしてグラディウスはシュガーという、ドンキホーテ社きっての地雷に足を乗せた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あんたまさかロリコンなの!?」
「ちゃんと話を聞いてたのか、ベビー5。」
「聞いていたわ。でも普通なら受けないでしょ、そんな話。心のどこかにシュガーを愛する心があるから…」
きったねぇおっさんに求婚されても受け入れるようなベビー5に、ロリコン扱いされるだなんてグラディウスとしては侵害だ。
なにより、シュガーを愛する心が…の下りを、若様やモネに聞かれたらぶち殺されかねない。
彼は動悸と目眩を感じながら、本日2度目のケーキを作ることとなった経緯の説明を始めた。
「─だから、まぁ。そういうことだ。頼む、俺にケーキ作りを…」
ここまで口にしたところで、ベビー5の瞳が夜空の星のように輝いていた。
いわゆる、「私、必要とされてる!?」モードである。
「頼りにしてるぜ、ベビー5。」
あえて念を押すようにそう告げると、彼女は身体をクネクネしながら頬を染める。その手にはすでにハンドミキサーとボウルが握られていた。
いろいろと問題を抱えている女ではあるが、こういうところは扱いやすい。
うまい話には何事にも裏があることを、裏社会に生きるグラディウスは知っているはずだった。
それなのに、『ケーキ作り』などというお花畑なことに頭がいっぱいで、見落としてしまう。
こうしてベビー5とラブいちゃ(?)ケーキ作り体験が始まり…。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
バレンタイン前日。
すでにグラディウスに作れないケーキなど存在していなかった。本気を出したベビー5に徹底的に教え込まれたのだ。
ムースを使ったケーキから、タルトやクレープ、シュークリームにパイ、ふわっふわのスポンジケーキまで。
体臭まで甘い香りになってしまいそうなほどキッチンに缶詰めで、ケーキを作り続けたグラディウス。
自宅警備員からパティシエにジョブチェンジしたと言っても過言ではない。
焼き上がったばかりのハート型のフォンダンショコラをみつめ、彼は小さく溜め息をつく。
自分は何をやっているのだろうかと。
対照的にベビー5は生き生きとしていた。
分厚いレシピ本に視線を落とし、あれでもない、これでもないと呟きながらものすごいスピードでページを捲っている。
その姿はどうにも不気味だ。
そんな彼女を一瞥した後、グラディウスは濃いめに入れたコーヒーをマグカップへと注ぐ。
そしてまるで懐かしむような口調で語りかける。
「今日でケーキ作りも終わりだな。」と。
午後、ここにやってくるシュガーと共に一番簡単に作れるブラウニーを焼けば、グラディウスがケーキを作る理由はなくなるのだ。
もとより、それ以外のケーキをマスターする必要もなかったのだが──ベビー5の熱意ある指導に呆気に取られ、あれよあれよという間に持ち前の器用さと暗記力でプロ並みの腕前となってしまっていた。
だからといって、彼は暗殺業をやめる気はなかったし、当然ながらパティシエとして食べていく気もない。
これ以上ベビー5とケーキを作り、試行錯誤する必要などなく、やっと長らくの重荷が下りたような気になっていた。ただ、そう考えていたのはグラディウスだけ。
「必要としてくれたんじゃなかったの!?」
差し出されたマグカップになど目もくれず、ベビー5はハスキーな声を荒げる。
なんのことかわからず、呆気に取られた彼は口をパクパクするだけ。喉から溢れる空気は色を持たず、吐き出されるのは音のない息。唇こそ動いているが、彼がやっているのはただの呼吸に過ぎない。
「私を必要としてくれたじゃない!」
気がつけば心臓部分に銃口が突きつけられていた。グラディウスの全身から血の気が引く。
「おい、待て。ベビー5…。」
後ずさるグラディウス。彼女もまた、それに合わせて、一歩一歩と前にでる。
「ケーキ作り、本来の目的を忘れるな。」
「あんたが私を必要とするフリをした。私が知るのはそれだけで充分よ。グラディウス。」
「だからなんでそーなる!?」
本気で命の危険を感じた彼は、音もなく床を蹴り大きく跳躍する。突然のグラディウスの動きについていけなかったベビー5は、とりあえず発砲してみる。
飛んでくる銃弾を安全靴の先端で蹴り、軌道をそらす。天井に吸い込まれたそれは真っ白な壁紙に小さな穴をあけた。
「逃げないで、グラディウス。」
「撃つな。ここの大家は若だ!」
「関係ないわ!!!」
壁を蹴り、床に足をつけることなく逃げ回るグラディウスをベビー5もまた見事な跳躍で追いかける。
この場面だけをみればただの修羅場だ。
おまけに「遊びだったのね!」「あんたを殺して私も…」なんて台詞を泣きながら口にするものだから、もうなにがなんだか─。
なんとかグラディウスは玄関まで逃げのびた。どのタイミングでそうしたのかは謎だが、ベビー5は小型の銃から、大型ライフルへと武器を持ち変えている。
硝煙の立ち込める各所。壁や天井のあちこちに穴をあけ、シャンデリアをぶち壊し、ガラスを割っての追走劇。
一切応戦する気のないグラディウスをよそに、ベビー5は本気モードだ。
「俺が何をしたってんだ!?」
「私は、私はあんたのために…」
言葉の途中で、玄関が開く音。
二人はお互いに意識を向けたまま、ドアへと視線を向け──
「どうして喧嘩しているの?」
ちょこんとそこに立つシュガーは不思議そうに首を傾げる。
大型ライフルをみてもなお、特に驚かないのは普段からヴェルゴがミリタリーショップに彼女を連れて行っていたため、それがおもちゃか何かであると勘違いしているようだ。
ここでグラディウスが跳躍。
シュガーの背後へと回った。
さすがのベビー5もこんな幼い出で立ちの女の子に、銃口を向けることなどできないだろうと考えたのだ。
その読みは半分正解で半分外れ。
ベビー5は躊躇うことなくライフルを構えたものの、トリガーを引くことができない。
たじろぐメイド服の銃器女を前に、標準が合わないようにシュガーを盾にチューチュートレインしてみせるグラディウス。
どうにも状況の読めないシュガーは、モノクルの向こう側で真顔だ。
「シュガーから離れなさい、グラディウス。」
「無理だな。離れて欲しいなら、その銃を降ろせ。」
「まさかあんた…、ロリコンなの!?」
どこらへんの台詞を抜粋すればそんな答えが導き出されるのか。混乱と動揺の中、『ロリコン』という言葉に引き寄せられて飛び込んでくるもう一つの人影。
「やっぱりそうだったね、グラディウス。」
地の底を這うような低い声で唸るモネの目に飛び込んできたのは、彼女にとって自身の命よりも大切なシュガーの肩を抱くグラディウスと、二人に銃口を向けるベビー5の姿。
「いや、それは誤解だ。俺は別に…」
「グラディウスがシュガーを盾にしたのよ。別にあんたの妹を撃とうとしたんじゃ…」
モネから豪々と沸き上がる殺気。
それは吹雪のように辺りを包み込み、その場にいるもの全てを凍りつかせるべく室温を下げてゆく。
その時すでにシュガーはそこにいなかった。
というのも…
ベビー5とグラディウスがほぼ同時に言い訳を口にし始めた時、彼女は硝煙の匂いに混ざるわずかな甘い匂いを嗅ぎ分けていた。
このままではケーキ作りを習うことができないと悟っていた彼女は、わずかな期待を胸に靴を履いたままキッチンのあるリビングへと向かう。
飛び散ったガラスや、壁のあちこちに残る靴で蹴り抜いた跡。それを見ても彼女の表情は一つも変わらない。
シュガーにとってモネへのプレゼントはなによりも優先すべきものであり、背後から響き渡る一組の男女の悲鳴など気に止める必要もなかった。
なにより今この状況では、ケーキ作りを教えてくれないグラディウスにはなんの価値もなく、痴話喧嘩の盾に自分を使ったアホ野郎でしかない。
銃口を向けたベビー5も同罪で、ちょっとくらいモネに叱られるべきだと感じている。
キッチンの作業台に乗せられたフォンダンショコラをみつけた途端、彼女の表情はパッと明るくなった。
とてとてとそれに駆け寄り、破片などが飛び散っていないかを確認すると手に持っていたバスケットにソッと忍ばせる。
「ラッピングは帰ってから…」
そう呟いた彼女の目に止まったのは、ベビー5の分厚いレシピ本。そこにある写真のケーキには白い粉が降りかけられていた。
誰が見ても現物より写真の方が美しい。
そう感じた彼女は白い粉を探し、すぐさま目的の物を見つけるとさっさとポケットに収める。
完全に盗人行為だが、この混乱の中でそれに気がつくものはいない。もちろんシュガーだってこの行為が泥棒であるとは思っていない。
そうして何事もなかったかのようにモネの元へと戻るシュガー。喧嘩していた二人は氷のオブジェと化していたが、彼女は全く気にも止めない。
「モネ、帰ろう。」
「そうね、帰りましょう。」
淡々としたシュガーの言葉に同意を告げる彼女は、すでに妖艶なオーラを纏ういつものモネに戻っていた。
「ねぇ、シュガー。もうグラディウスとは話しちゃダメよ。」
「わかった。」
こうしてグラディウスの悲劇は幕を閉じたのか、閉じきれていないのか。
(なんで俺がこんな目に…)
凍りついてしまった彼は、泣き言を口にすることすら許されない。仲良く立ち去る姉妹の姿を、彼は瞳だけで追いかけた。
END
prev |
next