肉食系鈍感男子
ときどき自分が何をやりたいのかわからなくなる時がある。ただ自分の気持ちにまっすぐであることが、こんなに辛いだなんて思ってもみなかった。
それは2月14日のこと。
いつものようにキッドの家で、いつものように身体を重ねて…。
「クッ、出る…。」
射精の寸前、背後で身を固くする彼から逃げるため、その腕の中から這い出そうとしたところを、グッと押さえ込まれる。一度抜けかけた性器が、奥を乱暴に突き上げ「あっ」と声が漏れた。
途端、体内を支配していた熱が緩やかに数回震え、耳に乱れた熱い息がかかる。
「誰が逃げて良いって言ったよ。」
「だから、中はダメだって…」
「俺に指図すんな。ブッ殺すぞ。」
息を切らしたまま、囁くようにそう言われてもなんとも思わない。きっと彼自身も、ただの口癖かなにかでそう口にしているだけだろう。
汗ばんだ腕の中にいられるのは、呼吸が整うまでの数分間。言葉を交わすこともなく、ただ熱のこもった素肌を重ねるだけ。その体温と肌触りがたまらなく心地よく、イオナにとっては幸せな時間だった。
彼女とキッドは恋人同士ではない。
「次はいつ逢えんだよ。」
「どうせ突然電話してきて、用事なんて断れって受話器越しにぶちギレるんだから、次の約束何て要らないでしょ?」
「っるせぇな。」
たまたま知り合った時に彼に恋人が居たってだけで、それだけのこと。
初めて関係を持った時、まだ彼は恋人と交際中で、その娘と別れてからも関係を引きずったままってだけで…。
「ま、気まぐれに連絡ください。」
連絡をくるのを待つだけの恋。
それで満足しておけばよかったんだ。
‥‥‥‥‥‥‥‥
「なんで、ついでなんて言ったんだよ。」
「だって、すんごい顔されたんだもん…。」
バレンタインデーの敗戦後、一人になるのが辛くて、バイト仲間のゾロの家に逃げ込んでいた。
「だからってお前なぁ。」
缶ビールを何本も空けて、それでも涙の止まらないイオナをみて彼は苦笑いを浮かべていた。
そう、彼女は帰り際にやってしまったのだ。
……………………
帰り支度を済まして、ベッドの上に仰向けで寝転がる、パンツ一丁のキッドに向き直った。
ドクンドクンと心臓が脈を打つ。喉になにかがつっかえて、気持ちが悪くなりながらも小さく深呼吸した。
「ねぇ、キッド。」
「んあ?なんだ?」
漫画をベッドの脇に置き、サッと身体を起こした彼に赤い包みを差し出す。
このイベントに乗せて想いを伝えようと、ずっと決めていた。そして、もしこれでダメなら関係ごとやめてしまおうと考えていた。
「はい、ハッピー・バレンタイン。」
手が震えた。
先に裸を見せてしまうと、先に身体を重ねてしまうと恋のときめきを失ってしまうというのは、あながち嘘ではないのかもしれない。
目の前で口をパクパクさせて呆然としている彼の様子から、自分が恋愛対象でないと悟った。
その時、とっさにとった行動は…
「こ、これついでだから。安心して受け取って。本命はちゃんと別にいるから!」
嘘をついた。お前はただのセフレだと言われるのが怖くて、この状況を誤魔化したくて、めんどくさいと思われたくなくて…。
ごちゃ混ぜになった心を整理する余裕もなく、慌てて言葉を吐き出した。
「あっそ。」
その包みをひったくり、テーブルに向かって放った彼は、再びベッドに寝転がり漫画を読み始める。
その行動の意味はわからない。
ただグチャッとなった包みを見ていると、その場で涙が溢れてしまいそうで、「じゃあ。」とだけ声をかけて、そのまま部屋を飛び出した。
…………………
「もう連絡こないかも。どうしよう。」
「どうしようって、お前セフレやめたかったんだろ?」
「でも、他の娘とヤるくらいなら…」
ちいさなボロアパート。
布団一枚敷いたら半分埋まるような狭い部屋で、突然現れたバイト仲間にワンワンと泣かれて、これからどうしたものかとゾロは内心頭を抱え、脇腹を掻く。
「あぁ、ほんとになにがしたかったんだろう。私バカすぎるよ…。こんななら、今まで通りでよかったや。」
心のどっかで彼女になれると期待していて、それが自分のヘマで上手いこといかなくて、ならば展開なんて要らなかったとゴネる。
「あぁ、お前の気持ちはよーくわかったよ。そーかい。そーかい。今晩遅いから泊まってけ。送ってくのめんどくせぇし。」
彼女は相手の男が誰かというのを知られていないつもりでいるらしく、ゾロも深入りはしない。ただ、「そうか、そうか。」と話を聞き流すだけの役割。
しばらくして泣き声が静まったかと思えば、彼女は部屋のすみにうずくまり眠ってしまっていた。
「ま、あっちも大騒ぎしてんだろーな。」
一式しかない布団の掛け布団と毛布をイオナにかけてやり、ゾロはどこかへ電話をかけはじめた。
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