勘違い程度の事
賑やかな雑談室の出口に近い端の方の席で、イオナはサークル活動の一貫とやらの誘いを受けていた。
「イオナ、聞いてる?大手薬剤会社よ!乗るっきゃないじゃないっ。」
「確かにそこの職業面接なら受けたいけど…。」
このやりとりは1週間前にもしたハズだったのだけど、彼女の中では抹殺された記憶らしい。
「来るって言ってたノジコが彼氏出来ちゃったの。でさあ…。」
「待って。ノジコちゃん、彼氏候補が居たのにも関わらず、合コン参加する予定だったの?」
「なに言ってんの?パッと彼氏ができるなんて、よくあることじゃない。」
そうそう。
突然理想の男が湧いて出てきて、片膝ついて、バラ出して告白してくれるよね。よくあるよくある。
って、ねぇーわ。
一人脳内でノリ突っ込みして、そのレベルの低さに顔をしかめた時。
『ローさん、こんにちは♪』
『よう。』
媚びるような黄色い声と共に姿を現したのは、イオナがずっと気になっている優秀な男子学生。
鋭い目付きとスラッとした長身がよく目立ち、なによりあの声の破壊力が半端ない。身体の芯にそっと触れるような低い声。少しだけ淫靡で、エロくて、色っぽい…。
まるで媚薬のような響きを耳にする度に、彼女の顔はポッと赤く染まるのだ。
というわけで現在もイオナは紅ほっぺちゃんだ。
それにナミが気がつかないのは、彼女の目線がスマホに釘付けだから。彼女のline相手に感謝の言葉を述べたいと思いながら、イオナは再びロー様に視線を戻す。
『この日ごはんダメですか?おいしいお店があるんです。』
この手の女子は後をたたない。いっそ、全員呼んでパーティでもしろよ。と言いたくなるほどの人数が、あの方と食事したさに群がる。
『何度言えばわかる。無理だ。』
そして、彼は必ずこの返答。一度でもOKしたことはない。
興信所の調査によると、特定の彼女がいると言うことでもないらしい。
そこから自分にもわずかながらチャンスがあるかもしれないとイオナは考え、いつも1m以上離れた距離から彼を見守っていた。
『じゃあこの日は?』
しつこい女!ロー様に無礼だ!
殴って追い払って差し上げたくなるほど食い下がる女にイライラした。しかし、優しいあのお方はそんな彼女にも優しく言葉を返す。
『その日は教授の娘とデートだ。』
そーですか。ロー様がおデート…
『えぇー。誘ったのも、断られたのも初めてなんですけど。っていうか、教授の娘さんって…』
『深いことは聞くな。話す気はない。』
教授の娘とデート…!?
&☆◎※%#*@¥!?!?!?!?
頭を貫く衝撃。イオナ on the 鈍痛。
誰か私の頭殴りましたか!?
ズンと鈍い音がしたかと思うと、瞼の裏がチカチカと瞬き、思考回路のすべてが遮断された。
ダメだ。終わった。私の人生、おわった…
予想外のライバル出現に、すでに敗北を決め込んだイオナは、ただ項垂れる。
これまで彼の調査を行うための調査費用始め、尾行に費やした時間や労力。その全てが一身に降り注ぐ。
「ちょっと、イオナ。大丈夫?顔色悪いわよ。」
「大丈夫。気にならさないで。」
「なさらないでって、アンタ…。まぁ、いいわ。それより合コンよ!アンタはどうする?くる?こない?」
顔をのぞきこむナミをよそに、彼女の頭の中ではまた別の話が進む。
ロー様はおデート。おデート。ロー様とおデート。いいなあ。ロー様のデートプラン。私も、私もロー様とデート…
「行きたい…。」
「え?」
「私も行きたいよ!ナミ!」
「よし、じゃあ決定ね。またメールする。」
大喜びで席を立つナミを目で追いながら、先程の会話をおもいだす。
決定…!?なにが決定したんだ!?
ノジコちゃんが彼氏で。
だから代わりが必要で。
私はロー様とデートに…
『くる?こない?』『行きたいよ!!』
さきほどの会話の内容が鮮明に蘇り…
「ギャーッ!!!」
あまりの展開に絶叫しながら、席を立ち、ナミを追い越す勢いで走り抜け、その場を後にした。
○●○●○●○●○●○
イオナの立ち去った席に残されたスケジュール帳の存在に気がついたのは、彼女の叫び声に驚きそちらに目を向けたローだった。
うるさい女をうまい具合にかわし、 そのスケジュール帳を手に取る。
女の子らしいガーリーな装いの手帳を数ページめくった後、眉間にシワを寄せなにやらブツブツと呟いた。
「なに見てるの?ローくん。」
「黙れ、アバズレ女。」
突然の悪態にその子は怯み、ズルズルと後ずさる。
「え?あの…」
「馴れ馴れしく話しかけんじゃねぇよ。」
彼が放ったのは、場が凍りつくほどの低く重々しい声だった。
彼女はローから目をそらさぬまま後ずさっていたため、ガタンッと音を立て椅子にぶつかり尻餅をついた。
「痛い…。」
小さく声を漏らし、そのままシクシクと泣き出してしまう。ローに対する恐怖から、肩が小刻みに揺れている。
「やばくない?」「ローくん怖ッ」
「ありえない。」「信じらんない。」
こんなときの女子の団結力はありえない。口々に漏らすのは、彼女への同情とローへの文句と落胆の言葉。
そして、その状況だけをみた周囲の人たちは、ローが突き飛ばしたのだと思い込み、彼に冷たい視線を送る。
が、彼はそんなことを気にする様子もなく、手元のスケジュール帳を自身のリュックにしまうとゆっくりと部屋を後にした。
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