隣のロロノアくん
イオナは本日何度目かの深い溜め息ついた。
彼女の視線の先には、机に突っ伏して眠るクラスメイトの姿がある。
無防備な後頭部。よく管理の行き届いた芝生のような綺麗な緑に、触れたいという衝動を抑えるのは簡単なことじゃない。
ほんの50cmの距離。右腕の届く距離で、彼はいつだって眠っている。
ずっと寝てばかり。
寝ても覚めても寝てばかり。
一方通行の恋というのは初めてで、なにをどうしていいのやら。勝手にドキドキして、勝手にメソメソして。
そんなこんなで月日は流れ。
たまたま隣の席になれたのは先月のこと。
それでも、眠れる王子さまを相手に会話をするきっかけなどは一切なく、この恋は停滞状態を迎えている。
ちなみに一目惚れをして今日で一年だ。
情けないやら、悲しいやらでイオナがまた一つ大袈裟に溜め息をついたその時──
「ねぇ、聞いてる?イオナ!」
「え、あぁ。うん!」
突然、にょんっと背後から顔を覗かせたのは、後ろの席のナミだった。話しかけられていることにすら気がついていなかったため、驚きのあまり適当な返事を返してしまう。
途端に彼女なしたり顔だ。
「じゃ、週末は予定開けといて。」
「週末?」
「やっぱり聞いてなかった。合コンやんの!来て!相手はさ、私のバイト先の大学生でね…」
不思議そうに小首を傾げたイオナに、ナミは興奮気味に語りかける。その台詞の中の要所要所、主に気になった単語のみがイオナの頭の中で横一列に並べられ─
『合コン』+『大学生』=『???』
ヤリ目?セフレ?ワンナイトラブ?
─脳内で鳴り響くのは警告音。
先日読んだばかりの携帯小説の内容を思い出してしまい、おもわず顔をしかめてしまう。
「あんた、また変な心配してんでしょ?」
「え?あ、いや…。」
目敏いナミにすぐに勘ぐられ、慌てて顔を伏せるがもう遅い。彼女は更にグイと身を乗り出し、鼻のくっつく位置まで顔を近づけると語り始めた。
「やったことがないから、悪く思うだけ。だいだい私ら高校生よ。お酒が入るでもなし…、不安がるなんてどうかしてる。何事も経験でしょ?」
「でも…」
イオナは「好きな人がいるから。」と告げようとしていた。それが免罪符になるかどうかはわからないが、とりあえず言ってみようと思ったのだ。
そしてもちろん、彼女の言おうとしていることなど、ナミはお見通し。
「1年間想って好転せず。なら次に進まないと。若いうちしか出来ないんだから。恋なんて楽しんでなんぼ!」
実にナミらしい持論が展開されたが、そんなものでイオナの表情が晴れるはずがない。
ちなみに、ナミには片想い中であることしか伝えていなかった。まさか、イオナの好きな相手がすぐ隣で眠っているロロノア氏だなんて考えたこともないだろう。
イオナはチラリとゾロの様子を伺いながら「ちょっと考えさせて。」と返事をする。
別に妬いてもらえるだなんて期待はしていない。ただ、合コンにノリノリで参加すると思われるのもいやだった。
「だめ、強制参加。」
「えぇー。でも。」
「いい男がいなかった、途中で帰ってもいいんだから。なにごともチャレンジよ?」
ごねるイオナと、諭すナミ。
歳離れたお姉さんが、聞き分けの悪い妹に言い聞かすような優しい口調に、イオナはほだされ始める。
「ほんとに途中で帰ってもいいの?」
「えぇ。好きにして。もちろん連絡先だって交換しなくても構わないし、一旦顔を出してくれさえすればいいから。」
「なら…。うん、わかった。」
実際は相手の居ることで、途中で帰るだなんて許されるはずがない。完全に口車に乗せられた形で、イオナは頷いてしまう。
それを聞いて、「じゃあ決定!」と大きくうなずいたナミは、ずいぶんと満足げな笑みを浮かべていた。
●○●○●○●○●○
そして金曜日の朝。
合コンを翌日控えたことで、イオナの心の中から余裕が失われていた。
「ちゃんと、メモって。遅刻厳禁よ。」
「あ、う、うん…。」
興奮を隠しきれていないナミは、まるで遠足を心待ちにする小学生のようだ。その声色とテンションについていけず、余計にイオナの心に陰りが増してゆく。
「待ち合わせは――公園に18時。ちゃんとおしゃれしてきてね。カジュアルな服は厳禁よ。」
「あぁ、うん…。」
「相手は歳上なんだから、心配しなくてもリードしてくれるって。あんたはグイグイくるタイプに身を任せたほうがいいのよ。ボーッとしてるし。ほら、そんな不安げな顔しない。」
まるでマシンガンのように次々と放たれるナミの言葉に、イオナは黙り込む。
もとより臆病なのだ。片想いは出来ても、自己アピールは全くできない。もちろん、積極性もない。ナミの言う通り、グイグイ来る人と恋したほうが良いのかもしれない。
好きな人ではなく、好きになってくれる人と…?
まだ出逢ってもいない誰かを想像した後、いつものように机に沈む緑頭を一瞥して、小さく溜め息をつく。
新しい出会いがあったところで、この人以上が現れるのだろうか。
実際、ゾロになにかしてもらった訳ではない。勝手に恋をして、勝手に目で追っていただけだ。それでもこんなに好きになってしまっているのに、簡単に忘れられるとは思えない。
考えるほどにどうしようもないほどに憂鬱な気分になってきて、たくさんの注意点が書き込まれたスケジュール帳をパタンと閉じた。
○●○●○●○●○●○●
昼休み。
あいかわらず上機嫌のナミは、他クラスの合コン参加者と熱心に打ち合わせをしている。もちろんイオナも参加を促されたのだが、疲れているからと断っていた。
彼女の唇から、また「はぁ…」と深い溜め息が漏れる。
時間が近づくほど、気が重くなる。
心が澱んでいく。
ため息のつき過ぎて地球温暖化が進みそう。
って、そんなことあるわけないか。
バカな考える自分に対して呆れた笑いを溢した後、イオナは頬杖をついて教室を見渡す。
それは、いつもの癖だった。
初めて彼を見かけた日が、恋に落ちた日が、合コンの日だと気づいたとき、なにか運命的なものを感じた。
もうこの恋は終わらせろ。と神様がおっしゃってるのではないかと、都合よくそんな風に考えたりもした。
でも…
なにもしないままこの恋を終わらすことに、納得がいっていないのも確か。
不甲斐なさに溜め息は止まらない。
ロロノアくんは好きな子いるのかな?
どんな子がタイプなんだろう。
今までの彼女は…
考えるのはこんなことばかりで、まったくもって進展の気配はない。
どうして私はこんななんだと、自責の念がこみ上げてきたタイミングで、あちこちさ迷わせていた視界に、ゾロの姿が収まった。
寝てばかりいる彼が、しっかりと起きている昼休み。友人と弁当を囲む彼の横顔はあいかわらずかっこいい。
彼からみて、私はどう見えているのだろうか。そもそも彼の視界に私は存在したことがあるのだろうか。
考えれば考えるほど遠い存在に思えてくる。同じクラスで、机を並べて授業を受けているはずなのに…遠い。
イオナは自分自身がいたたまれなくなり、情けない顔を晒すことのないよう机に突っ伏した。
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