失恋もどき
気乗りしないなんてもんじゃない。
嫌で嫌で仕方がない状態。
それでも行かなくてはならない理由は、片想い中のあの人に恋人が出来てしまったから。
イオナは深い溜め息をつく。
髪型を変えても、おしゃれをしても、散財したって吹っ切れない。一方的な恋が失敗に終わった程度で、ここまで落ち込んでしまうことになるとは思ってもいなかった。
『えぇー。あんたまだ知らなかったの?サボ君、二歳年下の彼女が出来たんだよ。』
合コンに誘いを「好きな人がいる」と断ろうとしたところで、突き付けられた絶望的な現実。
自分が恋愛対象ではないことは理解していた。なにせ、そう思われないように接近していたのだからそれは仕方のないことだろう。それでも…
「好きです。」と伝えるチャンスくらいは欲しかった。
それが最大の心残り。
どうにも彼の恋人は何度フラれても彼に言い寄り、なし崩しに交際に持ち込んだ強者であるという噂だ。
そんな荒業が通用する相手なら、もっと積極的に行けばよかった。好意を隠してさりげなく…だなんて、遠回りにもほどがある。
実際、そのやり口が通用するとわかっていても、実行出来たかはわからない。けれど、自分が慎重に動いていた同じ時期に、まんまと持っていかれてしまったという衝撃は心に深く後悔を植え付ける。
─どうせ無理なんだから新しい恋をして忘れなさい。
そんなお節介とも思われる気遣いにより、強制的に参加させられることとなった合コン。気が進むはずもなく、新しい人に出逢える予感もしない。
誘われた日から、合コン当日である今日という日まで、何度泣いたかわからない。それは、彼とのあれこれを思い出したからでもあるし、自分の不甲斐なさを悔やんででもある。
彼の好きなアーティストの曲を聴き、彼の好きな映画のシリーズを観て、少しでも近づきたいと思った。
気がつけば同じものにハマっていて、他愛もない情報交換をして、距離を少しずつ縮めていった。
今の自分の価値観は彼があってこそのもので、それを捨てるというのは無理がある。
例え、強引に新しい恋に走ったとしても…
失恋を笑い飛ばせる余裕があるのならまだしも、"心の整理もついていない状態"で出逢いの場に行くのは間違いなのかもしれない。
不安定が故の『過ち』が起こる可能性もある。
そうなったときの虚しさを想像するだけで、目頭が熱くなってきた。
それでもイオナは待ち合わせ場所に足を運ぶ。ドタキャンが許されるとは思えないし、いつまでもクヨクヨしていると思われるのも嫌だった。
「笑顔の練習…」
スクランブル交差点。信号待ちのイオナはポツリとそう呟き、無理矢理口角をもちあげる。スマホの暗い画面に、その表情を反射させ、ぎこちない笑顔に向かって溜め息をつく。
好きだった。大好きだった。
別に付き合いたかったわけじゃない。
ただ、これまで通りの関係で…
相手に彼女ができたと知った時点で、イオナはサボと連絡を取るのをやめてしまった。向こうからは何度かLINEが届いたりもしたが、なんとなく後ろめたく思えスルーしていのだ。
もし自分が彼女だったら、そんなの嫌だから。
サボに気持ちがなかったとしても、相手の女の子はそうではないかもしれない。例えそんな娘じゃなかっとしても、「略奪を狙ってるんじゃ」と疑ってしまうかもしれない。
それで二人の仲が悪くなってしまうのは嫌だった。自分が幸せを壊してしまうのだけは避けたかった。
恋愛に馴れた人たちには、偽善者と言われてしまいそうだけど、その考えだけは譲れない。
不器用であることは理解しつつも、イオナはそんなポリシーの中で彼を避け続けていたのだが──
真っ暗なスマホの画面に映りこんでいた、物憂げな表情が消える。その代わりに画面に写し出されたのは、着信中の文字。そしてその相手はまぎれもなく『サボ』と表記されている。
心拍数が跳ね上がる。それと同時に信号が青に変わった。イオナは人の群れの流れに乗るように一歩足を踏み出しながら、スマホを耳にあてがう。
「もしもし…」
『暗い顔してどうした?』
「え?」
『歩くときはちゃんと前みて歩けよ。』
俯けていた視線を持ち上げる。足元ばかりみていたために気がつかなかったが、ずいぶんと多くの人が行き交っていった。けれど問題は、見るべきところはそこじゃない。
「どうして…」
イオナは目を丸くする。進行方向。向かうはずの横断歩道の上で、同じくスマホを耳に当てたサボが立ち止まっていた。
『偶然だ。』
「でも…」
彼はそれ以上足を進める気はないようで、その場から一歩も動かない。イオナは流されるがままに彼に歩み寄る。
「どうして…」
もう一度同じ言葉が喉から溢れる。それと同時に目頭が熱くなり、鼻の奥がツンとした。
「『どこかでゆっくり話せるか?』」
大好きだったサボの声。正面から聞こえたその温かな響きに、視界がグニャリと歪む。
頷いてはいけない。頭ではそうわかっているのに、身体は勝手に動いてしまっていた。
…………………………………………………………
「彼女は…大丈夫なの?」
先に切り出したのは涙を拭った後のイオナだった。
何度か通りかかったことのある公園。昼間はずいぶんと賑やかな場所だが、子供たちが遊ぶにしては遅い時間であるため、現在は人気が少ない。
中央付近にある小さな池の脇に置かれたベンチに腰掛けたところで、沈黙を嫌ったイオナが口を開いた。
「誤解されたら困るから、あんまり二人きりとか…」
「別れたよ。」
「え?」
「もう、別れたんだって。何度も言わせるなよ。」
明るい調子で言い切るサボ。その声色に一切の憂いはなく、むしろ嬉しそうなニュアンスが含まれている。
悲しそうであるならば励ませばいい。
怒っているのならば宥めればいい。
こういった話の流れでやるべきことは、だいたいその二つ。けれど、サボの表情や声色はそのどちらでもない。
なんと返事をすればいいのかわからなかった。
だからこそ、なにも言わずに話の続きを待つ。
そんなイオナの反応をどう思ったのか、サボは困ったような、試すような、とにかく曖昧な表情をしつつも話し始めた。
彼女にしつこく言い寄られていたこと。何度断っても食い下がられ、最終的には一週間だけ期間限定でいいから付き合って欲しいと言われたこと。それを甘受したこと。
「それで諦めてくれんならって思ったんだ。エスカレートして、ストーカーになられても怖かったしな。」
少しだけ申し訳無さそうな表情で彼は言う。その表情は少しだけしらじらしいものだったが、その話が嘘ではないということはなんとなくわかる。
「ちゃんと説明しておけばよかったな。俺に気を使ってくれてたんだろう?」
「そう、だけど…」
「だけど?」
「別に。なにもないよ。」
悪戯っ子みたいにサボは笑った。きっと誘い出したい言葉があるのだろう。ねだるような視線に耐えられず、イオナは靴の爪先へと視線を落とす。
「合コン、行きたかったか?」
「別に。っていうか、どうして…」
動揺して顔をあげた途端に、温かな両手で頬が包まれる。顔の位置を固定されてしまって、からかい交じりの眼差しから逃れられない。
「質問を変える。もし俺に浮わついた話がなかったなら、今回の合コンに参加してたか。」
「…して、ないよ。」
「どうしてだ?」
「それは…」
誘われている言葉がなんのかは理解できる。でも、言える訳がない。あんなに伝えておけばと悔やんだはずなのに、いざチャンスを与えられても、その想いを音にするのはずいぶんと難しかった。
言わないと…
焦る気持ちのせいで、緊張のせいで喉が渇く。
思わず瞼を閉じたイオナ。
それを見計らったかのようなタイミングで唇に触れたのは、熱っぽく柔かな感触。
パッと目を開くと、鼻先が触れるか触れないかの位置にサボの顔があった。いつにも増して、真剣なサボの表情が。
「他の男なんてみなくていい。」
甘く芯のある響きにまた視界が歪む。
頬を伝った涙は彼の親指によって拭われる。
「イオナには俺がいるだろう。」
嗚咽で言葉がでない。
小さく鼻を啜ったイオナに、さらにサボは優しく声をかける。
「ずっと好きだった。」と。
…………………………………………………………………
数日後。
イオナはサボのアパートへと向かう。
レンタルショップの袋を手に、真新しいワンピースを身に付けて。
初めて部屋にあがるというわけではないけれど、「付き合い始めた」というその関係の変化だけでドキドキさせられた。
もちろん、それだけじゃない。
些細なことで送られてくるLINEや、毎晩記録を更新される長電話が嬉しくてたまらなかった。幸せで仕方なかった。
だからこそだと思う。いつもと変わらないサボの態度にムッとしてしまう。
別に肉体的な接触を求めているわけではないけれど、付き合う前と変化がないというのも何かこう耐えられないものがあった。
そんな不穏な感情のせいか、雰囲気にほだされて、件の年下彼女(元カノ)の話を聞きそびれていたことも思い出してしまう。
触れたくないこと。でも知りたいこと。
藪蛇になる可能性もあるにも関わらず、イオナは衝動的に切り出した。
「あの子にいつから言い寄られてたの?」
「いつから…、んー。去年の5月とかだったような気がするけど。それがどうかしたのか?」
まるでずいぶんと過去のことのように言い切るサボ。そんな恋人にイオナは冷たい目を向ける。
「サボって、好きじゃない子とも付き合えたんだよね。ちょっとがっかりかも。」
「がっかりってなんだよ。」
「そんな簡単に付き合えるなら、全然特別じゃないじゃん…」
ずっと考えていた訳でもないのに、スムーズに口をついた言葉。どうしてそんなことを言ってしまったんだろうと後悔するが、口に出したものは帰ってはこない。
ばつが悪くなり、視線を伏せる。
そんなイオナの隣に寄り添うように座り直したサボは、決して怒ってはいない。むしろ、その場の雰囲気を楽しむかのように、頬を緩めている。
「もちろん指一本触れてないぞ。そりゃ、向こうはなんか期待してたみたいだけど…。」
「なんかって?」
「そりゃ、あれだろう。」
含みを持った言い方。それだけで、顔が熱くなるのだからたまらない。頬を両手で覆おうとするけれど、それより一瞬早く顎を持ち上げられてしまった。
かっちりと噛み合う視線。
こんな時に笑顔だなんて意地悪だ。
イオナは視線だけを下に反らすが…
「やってみるか?」
「な、なにを…」
「恋人同士にしか出来ない特別なこと。いや、それじゃあちょっと語弊があるな。」
少しだけ考え込むような素振りを見せるけれど、それもこちらの反応をうかがうための時間稼ぎのように思える。
熱っぽさに身体が疼く。
不思議なものでただ指を添えられているだけなのに、無意識に顎を持ち上げてしまっていた。
ちょっと展開が早すぎる気がする。
そう思う反面、安心しきりたい自分もいる。
友達ではなく女として意識されていると。
そんなイオナの期待を知ってか知らずか、サボは楽しげな表情で言葉を紡ぐ。
「特別な相手としかやらないこと。でどうだ?」
「好きにすればいいじゃない…」
「そうか。なら、そうさせてもらう。」
いつもと変わらない飄々とした態度のサボ。けれど、どこかワクワクしているようにもみえた。
END
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