日差しの暖かい2月の中旬。
次の講義まで余裕のあったイオナとナミは、大学内の庭にあるベンチで時間を潰していた。
『どうして?ねぇ。』
『お前が付き合ってくれ、抱いてくれって言うからそうしてやったんだろ。どうしてもこうしてもねぇわ!』
『そんなのひどいよ、待って。』
『うるせぇ。別れるったら別れんだよ!』
二人の耳に飛び込んだのは男女の仲違いの声。と言うより、一方的に男が女を切り捨てる悲惨なやり取り。
でも、「何て酷い男なんだ。」なんて思ったりはしない。なぜなら二人はこの声の主をよく知っているから。
「またやってる。なんで好きでもない女と付き合ったりすんのよ。可哀想じゃない。」
そう言いながらもナミはたのしそうにそちらを眺めて、ヘラヘラと笑う。
「断るのがめんどくさいって聞いたけど。」
「なにそれ。あの別れ話の方がやっかいでしょ。」
「あれだけ大袈裟にやってても、次から次へと言い寄る女の子が居るんだもんね。」
「アイツもアイツだけど、あんな悪い男に惚れる女も大概よ。」
「そうだね。」
短く返事をしながら、自分もその『大概な女』の中の一員であることを落ち込み、情けなく思った。
「おう、やっとみつけた。」
まだ遠くで女の子の泣き声が響き渡る中、明るい表情で現れたその人は当たり前のようにイオナの隣に腰をかける。
そこにおいてあったはずの彼女のバックは彼の膝の上に乗せられた。
「キッドさ、いい加減学習したら?」
「また説教かよ、ナミはおっかねぇな。」
「ふざけないで聞きなさいって。相手を大事にしないなら付き合うなって言ってんのよ。普通のことでしょう?」
「あぁ、イオナ。ナミが怖ぇよ。」
キッドはおどけた調子でそう言い、さりげなく肘でイオナの身体を小突く。こんなスキンシップの取り方はずるいとイオナは思った。
「ふざけないで聞きなよ、キッド。」
「おい待てよ。イオナは俺の味方だろ?」
「敵とか味方とかそんなこと言ってるんじゃないって。あ、そういえば、さっきの講義のノート、バックに入ってるからいるなら使っていいよ。」
「まじか、サンキューな。」
軽くお礼を言った後、先ほど勝手に膝に乗せたバックをガサガサと漁り、彼は一冊のノートを取り出す。
ペラペラと中を確認した後、嬉しそうに自身のバックにいれる様子はなんだか愛くるしい。
「ちょっと、イオナ!今わざと話題そらしたでしょ?」
「そんなんじゃ…」
「ナミ、てめぇ黙れよ!」
「は?なにその態度。腹立つ。」
「俺に指図すんな。殺すぞ。」
乱暴な言葉。でも、本心でないのはナミもイオナもわかっていた。彼には言葉選びに加減と言うものがない。思ったことをそのまま口にするとんでも体質なのだ。
そしてナミもまた…
「殺れるもんなら殺ってみなさいよ。」
「ナミ、声デカいって。」
恒例となっているこの喧嘩も、これ以上白熱することはない。イオナが止めに入るから、というわけではなく、二人とも極端に飽き性なのだ。
「あぁ、うざい。キッドってばほんとうざい。」
「お互い様だろ。俺は犬猿の仲なんだよ。」
「私は犬も猿もごめんよ。あんたは猿だけど。」
徐々に言葉の威力は減少していく。そんなやり取りをみて、イオナは苦笑いを浮かべた。
キッドが誰かと付き合い始めたと聞くたびに、イオナの胸は締め付けられ、胃はキリキリと痛む。
そして、別れたと聞けばホッとして胸が軽くなると同時に、振られた女の子と自分を重ね、とてつもなく悲しい気持ちになった。
こんなことの繰り返しはごめんだ。
そう思いながらも、彼を吹っ切ることができないのは彼がみせる些細な優しさのせい。
「そろそろ講義室行こっか。キッド、バック返して。」
「いいよ。重ぇだろ。俺が持ってくよ。」
「えっ、でも悪いし。」
「ノート借りたお礼だ。」
彼はヤンチャな笑顔で言う。
女の子をタブらかす時とも、口説き落とす時とも、ことなる純粋な笑顔だ。
イオナはそれ以上なにも言えなかった。
せかせかと歩き始めたキッドを追いかけるように腰をあげた彼女の腕を、咄嗟にナミが掴む。
「あんた、いい加減やめときなさいよ。」
「そんなんじゃないって。」
「後悔するのはイオナなのよ。」
「だから…」
ダメだと言われれば言われるほど、気持ちを押さえることができない。逆にどんどん膨れ上がってしまう。
自分にだけ妙に優しい。
勘違いかもしれないのにそう思い込んでしまって、どんどんどんどん好きになってしまう。
イオナはそれがいけないことだと自覚していながら、変えることが出来ないでいた。
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