Mission's | ナノ

合コン当日。

玄関でお気に入りのブーツを履き終えたイオナは、鏡に全身を映して身なりを整える。

ナミに任せたコーディネート。そして、髪もこれから彼女にセットしてもらう予定となっている。まるで自分らしくない格好で、わりと大変そうなイベントに参加しようとしている。

「凶と出るか、吉と出るか。」

意味もなく呟いた。本当に特に意味ははい。

下駄箱の上方にある、小さな引き出し。ここにはカートンで購入した煙草のストックがある。彼にプレゼントするためだけに購入した煙草だ。

「あ、これで最後か…」

すごくいいタイミング。
今日のパーティにいい人が居ようが居まいが、もうサンジに執着するのはやめよう。ちゃんとした連絡をしよう。

少し前からイオナはそう考えていた。

「もう充分でしょ。」

鏡の自分に言い聞かせるかのように声をかける。彼女は相変わらず冴えない顔だ。

(あぁ、この顔が私らしい。)

自虐的なことを考えつつ、ゆっくりとノブを回した。

●○●○●○●○●○●

合コンパーティ。

人数が多いだけでこの勘に触るノリは変わらない。

それぞれ簡単な自己紹介が終わると、各々が好きな行動をとる。気に入ったタイプの異性に声をかけたり、ひたすら食べていたり、その場を盛り上げ始めたり。

そんなざわつきの中イオナは落ち着いていた。

「サンジさん、お疲れさま。」

いつもよりずっと疲れた様子のその人に、先ほどコンビニで購入した栄養ドリンクと、最後の一箱であるタバコを手渡す。

「ありがとう、イオナちゃん。」

「どういたしまして。」

これで最後。そんな風に思うといつもより余計に視線を送ってしまう。もちろん客商売の長い彼はそれにすぐに気がついた。

「どうかした?」

サンジは柔らかく微笑む。その手元を見て、イオナは胸中で呟く。

まただ。と。

彼は手渡したばかりの箱を開け、爽やかに煙草を吸い始めた。口から吐き出した白い煙は、ふわふわと宙を漂い、次第に濃さを失いながら換気扇に飲み込まれてゆく。

私の恋も儚いもんだな…

消えてゆく煙からサンジへと視線を戻したイオナは、彼の表情に違和感を覚える。

いつもの笑顔であるはずのそれが、どこか不自然でひきつっている気がしたのだ。彼は疲れているのだろうか。

「なんでもないよ。」

出来るような相談事はない。

イオナは相変わらずの単調で答え、彼に背中を向ける。

このままサンジのそばにいれば、「どうかした?疲れてる?」と声をかけてしまいそうだ。そんな野暮な質問をしてしまいそうな、自分が嫌だったのだ。

後ろ髪を引かれる思いでサンジから離れる。

もう最後。これでおしまい。
そう自分に言い聞かせながら。

店内を見渡すと気分が悪くなりそうになった。複数の男女が料理を囲み談笑する姿も、追い追われる姿も、客観的にみれば落ち着きがない。

ガツガツとしたその雰囲気はプラティそのもの。

そして、愛想笑いのひとつも浮かべられないイオナは、あいかわらずの巻き貝ちゃん。

水槽のガラスに張り付いて、コケを取るだけに熱心になっていてる。地味で、目立たない、可愛くない存在。

イオナは自虐的に自身を巻き貝だと笑うけれど、同じような男性がいることに気がついた。

「あそこにも巻き貝がいる…」

おもわず呟いてしまったのは、同じ価値観の人間に出会えたことが嬉しかったからか。はたまた彼を哀れだと思ったからか。

水槽の前に椅子を置き、熱心にプラティを眺める男性。ふわふわの白い帽子をかぶり、細身のパンツを履いたその人は、背もたれを脚で挟むようにして腰掛け、ダルそうに身をあずけている。

異性になどまったくもって興味がないかのように。

イオナはそこにあったカクテルを手にとり、さりげなく彼に歩み寄ってみた。

「よろしければ、どうぞ。」

男性は差し出されたグラスを一瞥した後、なぞるようにしてイオナの顔を見上げ、愛想笑いも浮かべないでそれを受けとる。

本当に愛想のない人種だ。お互いに。

「あぁ。すまん。」

小さく呟いた後、視線をまた水槽に向けた彼と、少し離れた位置に立ち、古代魚を眺めるイオナ。二人は場違いでありながら、この瞬間に浮いてもいない存在となった。

「水槽の世界は人間社会に通ずるものがある。」

ボソリと呟いた男性の言葉に、イオナは共感した。

「ずっと同じこと考えてました。私は巻き貝みたいだなって。」

水槽の底に近い部分、ガラスに張り付いたやる気のないその生物を、二人でまじまじと眺める。

水槽の魚たちに馴染むこともなく、かといってそこで目立つこともない彼らは魚たちをみてどう思うのか。

「巻き貝か。おもしれぇ。」

「補食したりされたり、自分をアピールしたり、されたり、この子たちは関係ないんですよね。」

感慨深げだった彼にそう伝えると、返ってきた言葉は否定の言葉。

「そいつはちょっと違うな。」

「え?」

彼はこちらに向かって口角をあげた。

「捕食者の中には静かに暮らす生き物を虎視眈々と狙い、息を潜めているものもいる。」

「たしかに…。」

「追いかけるだけが狩りじゃない。」

「罠をしかける魚も居ますしね。」

同じ世界観を持っている。
それだけで会話が弾むのだから不思議だ。

圧倒的な捕食者であるサンジとは違って、同等の価値観を持つ巻き貝でしかないこの人に、妙な親近感を覚えた。

「人も文字も仕事で嫌と言うほど目にするからな。休日には魚を眺めるのが一番だ。」

「私もそう思います。」

自己紹介をして、アドレスを交換して、なんの気もない他愛のない会話に花が咲く。お互いのことよりも、専ら魚のことばかり話していた。その方が楽だからだ。

互いのグラスが空になり、じゃんけんでどちらが飲み物を取りに行くか決めた。ここでもし彼が「俺が行くよ」なんてさらりと言え男性だったなら、イオナの関心は冷めていただろう。

渋い声で「じゃんけんだ。」と呟いたことに意味がある。


飲み物を取りに中央のテーブルに歩み寄った時、「あんたやるじゃない」とナミに声をかけられた。
ほのかに頬を染めた彼女は愛くるしく、それとは対照的なガッツリと開いた胸元が妙に艶めいて見えた。

とっさに思う。
罠をしかけるタイプの捕食者だと。

舌を出して小魚を狙う深海魚を思い出し、思わず吹き出しそうなった。

彼女の視線は相変わらず水槽を眺めてばかりの巻き貝くんへと向けられている。

品定めは完了しました。彼は優良物件です。高品質です。血統書付きです。鑑定証はいかがなさいましょうか。

ナミの言いたいことはわかっている。

「べつにそんなんじゃないよ。」

口先だけで否定する。関心があるのは事実で、それが好意かどうかは定かではなかった。

そんなイオナの気持ちを知ってか知らずか、ナミはペラペラと語り始める。

「彼、お金持ちなんだって。ギャンブルもタバコもやらない。酒はたしなむ程度。もちろん女遊びもやんない。無難主義のあんたにうってつけだとおもうんだけど…。それにね、」

今後ナミには男鑑定士を名乗っていただきたい。イオナはそんなバカみたいなことを考えながらも、内心ムッとしていた。

「あはは。お手洗いに行ってくる。」

あからさまに乾いた笑いだ。
ちょっと待ちなさいよのナミの声を無視して踵を変えす。

2年間想い続けた誰かさんは、ギャンブルもタバコも好きだった。パチンコ屋や雀荘から出てくるところを何度も見たことがある。

ナミの言葉により、サンジとの相性を否定されたような気がしたからだ。

無難主義。そうであってそうでない。
ただ踏み出せないだけだ。

もう諦めると決めていたはずなのに、指摘されると気になって仕方がない。腹が立って、私だって…と思ってしまう。

この意思の弱さはなんとかならないものか。

イオナは難しい表情のまま。男女兼用のマークのかかるお手洗いのドアを開いた。オレンジ色の照明が妙に暖かく感じる。

入ってすぐ左手には腰まで映る大きな鏡のある洗面台があり、大理石風の流しの上には小さな瓶に入ったマリモが置いてある。

この店にある水性生物はほとんどイオナが持ち込んだもの。サンジの気を引きたくて、持ち込んだものばかり。

適当に水を捨てて、新しい水を注いでやるけれど、なんの反応もない。当たり前。だってマリモなのだから。

鏡の正面に立つと浮かない顔の女がいた。

無理矢理口角をあげて見せるけれど、ナミやサンジのように上手な笑顔は作れない。それ以前に、この表情は不気味にみえる。

ポーチからチークを取りだし頬に薄いピンクを散らし、乾いた唇にグロスで潤いを与えた。

水槽の掃除をしながら、魚を誘うかのように水槽を駆け巡るヌマエビくらいにはなれたろうか。

今晩の出会いで、自分は…

「バカみたい。」

イオナは余分なグロスを拭き取ると、鏡の自分をもう一度眺めて小さなため息をつき、ドアの取っ手に手をかけた。

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