Mission's | ナノ

チョコレートは再び木製のワークデスクの引き出しの中に戻され、ロー自身も表向きには日常の生活へと戻っていた。

医学書や歴史書を読み、クルーに指示をし、作戦や動向を考える。頭の片隅には常にイオナが居座っているものの、彼女にすべてを奪われるほど愚かではない。

チョコを眺めてから5時間後。
世間ではオヤツの時間。

コンコンッ、ガチャ

「入るなら返事をしてからにしてくれ。」

本棚を眺めていたローは、ノックのすぐ後に開いたドアに視線を向けることなく、言葉を投げ掛けた。

「うーん、そうでしたね。キャプテン。えっと、聞きたいことがあるんだけど。ですけど。ですが…」

語尾をどの言葉にするか悩む突然の来客者をローは鼻で笑うと、小さな卓上コンロの方へと足を進める。

「話しは聞いてやる。そこに座れ。」

その言葉に「はーい。」と明るく返事をした彼女は、対面して置かれたソファの、下座側に並べられた一人掛けソファ3つのうちの真ん中に腰掛けた。

「キャプテンは敬語派ですか?私は敬語嫌いですけど、でもキャプテンは船長だから目上の人だから。ですから、悩んじゃうんです。」

「教養がないのは察しがつく。
好きにしろ。使えてない敬語はもどかしい。」

「あぁーっ!今、キャプテンってば、私のこと野暮ったいって思ってるんでしょ?」

「気がついたなら少しは知識をつけろ。もともとの利口さがなくても、それが助けになることもある。知識は裏切らん。」

言葉を投げ掛けながら、頬を膨らます想い人にマグカップを差し出す。それは彼女の好きな茶葉で入れた、濃いミルクティだった。カップを受けとる際に触れた手の先がわずかに冷たく、「生姜でもいれてやれば」と内心後悔した。

「でもこの船にさえ乗ってれば、誰かが教えてくれるんですよ。いちいち勉強するのもバカらしくって。」

向かい側に腰掛けたローに向かって、イオナは無意識の上目使いを向ける。彼女の意識はマグカップに息を吹き掛けることに向いていた。

「それで、クロスワードをここに持ってきたということか。」

「え?キャプテンまさかのエスパーですか?そ、そんなスピリチュアルな一面を垣間見れるとは。あとでベポに教えてあげ…」

「いや、違う。答えはソレだ。」

ローの指差した先、彼女の膝の上で開かれた冊子は、まだほとんど空白のままで、全く努力した様子も見られない。彼は続ける。

「もしソレがここにきた理由じゃないなら、なぜ今開いているのかを聞かなきゃならん。」

「キャプテンってあれですね。軽薄?じゃなくて、薄情じゃなくて…」

「ん?」

「アレですよ、察しがいいことを「明察か?」

「そう、それです。キャプテン!」

人指し指を顔の横でブンブン振って喜ぶ彼女の膝の上から冊子を取り上げ、ローはその問いに目を通す。

「朝からずっと悩んでて。ベポがキャプテンに聞いたらすぐにわかるのにって言うんです。

だから、持ってきちゃった。」

この言葉が終わる頃、ローの腰かけている2.5人がけのソファの右側がわずかに沈んだ。真ん中に腰かけていた彼の右側。華奢な二人なら問題はないが、それなりに近い距離となる。

「仕事は?」

「これが解けなきゃできない、です!」

どやッと言わんばかりの言い切りにローは溜め息をついた。きっとベポも同じように、諦めてしまっていたに違いない。

いや、そんなことよりも、隣で揺れる長い髪と、微かな息づかいは彼の胸を高鳴らせるには充分だった。

文句を言う気にもならないほどのこの愛くるしさは、どんな武器よりも強力だとローは心のなかで頭を抱えた。

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