素っ気なく温かい
「義理チョコ…」
波の音まで遮断されたように感じるほど、殺気立った船長室で呟かれた言葉は、どことなく場違いなものだった。
しかし彼はいたって大真面目。
顎に添えた指先はわずかに痙攣し、眉を強くひそめたためにシワは深く刻みこまれる。これでもかと言うほど、眼差しは鋭く、その瞳は深く沈む。
一度大きく息を吸い込むと長く息を吐き、口を堅く結んだ。
深刻な事態を連想させる雰囲気に場違いなのは、呟かれた言葉だけではない。それは彼の視線の先にある。
ローは今、ラッピングをほどくこともできないでいる、市販品のチョコレートを手に取り睨み付けていた。
バレンタインと呼ばれる風習は、互いに好意を抱く男女を結びつける、《喜ばしいイベント》というわけではない。
例えばこの男。トラファルガー・ローはその日、意中の女から愛くるしいリボンのついた箱を、はにかんだ笑顔と共に手渡された。
と、言うのに。
「あ!これ義理チョコですから!」
この言葉に全てをぶち壊された。
半年近い航海の中で他のクルーにバレないようにこっそりと好意を示してきた相手に、《義理》という言葉で突き放された上に、はにかんだ笑顔というフェイントをかけられたということ。
「渡すまでのあの間はなんだったんだ…」
悶絶したいほどの喜びに胸を膨らませていただけに、その言葉はあまりに鋭すぎた。
やり場のない想いは、四肢のゆびの先まで追いやられるも、吐き出すことは出来ず、血流と共に心臓のあたりに舞い戻ってくる。
「イオナ…。」
告白することもなく、フラれるという理不尽で過酷な状況にうちひしがれた2週間。
食事も喉を通らず、部屋からも最低限の用事の時以外は出ず、彼女と顔を合わせるのを避け続けた。
次第にその痛みになれた頃、ふと頭を過ったこと。それは、
「まさか…、本命がいるのか?」
わざわざ義理チョコだけを大量に用意するなんてことがあるのだろうか。
おとりで引き寄せたにも関わらず、目的を果たさないまま終わるような行為をしたところでどうなることだろう。
真面目に考えるローならではの推測。
彼女の好意がどこに向かっているのかが気になり始め、クルーの生活に過干渉になりすぎた1週間はすぎた。
しかし、
「全くわからん。」
まんべんなく誰とでも関わり、明るい笑顔を見せるイオナに隙はなかった。反対に、男どもはメロメロだったようだが、今の彼にそれは関係ない。
ローの頭を埋め尽くす彼女の言動のすべてが、思考の舵を取り、導いていた。
その頃、当の本人は。
海面に顔を出した甲板に寝転がり、のんびりと一冊のノートと向かい合いって鉛筆を鼻と口の間に挟んでいる。
「頭文字は《い》か。で、治療目的で体内に埋め込まれる器具の総称…?なにこれ。わかんないよ…。」
医学的な単語を多く含むクロスワードを前に、足をじたばたさせ悪戦苦闘していた。
「キャプテンに聞いてみなよ。」
「キャプテンかぁ。」
ベポの言葉に一瞬考え込んだ彼女は、コロンと仰向けに寝転がり太陽に手をかざし、続ける。
「最近、殺気立ってるよね?聞きにくいなあ、視線も怖いし…。」
「確かにそうだね。」
「なにかあったのかな?」
「さあ?」
全くわからないといった風のベポを見て、イオナははにかんだ口調で呟いた。
「でもあの表情ちょっとかっこいい。」
「え?」
「あぁいう表情ばかりのキャプテンも嫌いじゃない。」
意味を理解できないでいるベポの視線の先にいる彼女は、いつになく柔らかいほどけた笑みを浮かべ、目をキラキラと輝かせてベポを困惑させた。
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