「早く行かねぇと、
ナミが困るんじゃねぇのか?」
「うん。」
短く返事をした後、再び彼へと視線をむける。筋肉質で勇ましい背中。服を着ているとわからない背筋に、何度触れたいと思ったことか。
「なら、早く行けよ。」
「でも…、足痺れてるから。」
苦し紛れの言い訳だ。
行かなきゃダメなのは分かっているけれど、もう少しだけここに居たかった。
「嘘つけ。」
「嘘じゃないもん…。」
「へぇー。」
座ったままの姿勢から、パタンと仰向けに倒れたエースの頭はイオナの膝の辺りに転がり、二人の視線がぶつかる。
彼の表情は少しだけ笑って見えた。
というより、もう完全に笑っている。
「どんだけ痺れてんだよ、イオナの足は。」
「しらない。足に聞いてよ。」
「足って話せんのか?」
「だから、足のことは足に聞いて。」
自分の言っていることのバカさ加減に、思わず吹き出しそうになる。同時に彼も笑いを堪えている顔をした。
「ずっと痺れとけよ。」
「なに?」
「お前に言ってんじゃない。足に言ってんだよ。」
「は?」
もう限界だ。
二人してこのやりとりの幼稚さに堪えきれず吹き出す。そのまま顔を見合わせ、手を叩いて大笑いした。
たぶん半分くらい照れ隠しだ。
「さっきはごめん。なんか怒らせて。」
「いや、俺も勝手にキレて悪かった。」
「キレるとからしくないよ。」
「だよな、俺のカッコよさ半減だわ。」
「プッ、自分で言う?それ。」
笑いながら身体を起こしたエースは、正面に座り直しあぐらをかいた。
剥き出しの上半身と首からさげたタオル。しかも下はパンツだ。ボクサータイプの。
目のやり場に困る。顔が熱くなる。そんな動揺に気づかれないよう、慌てて視線を伏せた。
気がつけばお互いに笑うのもやめてしまっていて、まるでお見合いでもするかのように向かい合っている。
さきほどまでのやりとりとは打って変わっての沈黙に、自分達で作り出した空気だというのに、二人はドキマギするばかり。
二人してこういう空気は苦手だった。避けていた。だからこそ、若い男女が二人きりで旅行に行っても、深い関係になることもなく帰ってこれたのだ。
「仲直りできてよかった。エースと喧嘩したまま帰るとか、後味悪いなって思ってたんだよね。」
結局、沈黙に耐えられずに、イオナは早口で捲し立てるように口走る。
いつものエースなら「そうだな。」と言って笑ってくれるはずだ。
さっきいつも以上を求めて喧嘩になったのだから、もうそれ以上を求めていなかった。
イオナが立ちあがろうと床に手をついた時、突然、その腕を掴まれる。
「待てよ。」
「え?どうしたの?」
「どうしたの、って。お前な─」
彼は乱暴に頭を掻くと、真剣な表情を浮かべイオナの顔を覗き込む。
「─この状況でそれはないだろ。」
「ごめん…。」
小さく謝ったイオナは、エースの視線から逃れるように慌ただしく目を泳がせる。
握られた腕からジワリジワリと流れ込んでくる熱のせいで、全身が急激に熱くなった。
様子をうかがう度に目が合うことが照れ臭く、沸騰してしまいそうだった。
そんなに見つめないで。と言おうとしたとき、エースが口を開く。
「俺がいんのに、なんで合コンなんて行くんだよ。」
「それは…。」
「どうせ男作ったって、俺のこと優先して喧嘩別れするクセに。いちいち彼氏なんて必要ねぇだろ。」
「そうだけど…。」
だけど…?それ以降の言葉が見当たらない。と、いうより言われたままなのだから、返す言葉がなくて当たり前だ。
言葉につまり戸惑っていると、腕を強く引き寄せられた。身体はバランスを崩し「わっ。」と声が漏れる。
そのまま前のめりに倒れた身体は、エースの腕の中にスッポリと収まってしまう。
「エース?あの…」
身体に伝わる熱がむず痒い。内側から溢れる熱のせいで、逆上せてしまいそうだった。
「だけど、じゃねぇだろ。あんま恥ずかしいこと言わせんな。」
「だって…。」
そう呟くなり、イオナは慌てて口をつぐんだ。言葉だと上手く言えそうにない。
そう思った彼女は裸の背中を抱き締める。口元に触れたタオルからは、エースの香りがした。
「イオナ、今日はうちに居ろよ。」
小さく頷きながらイオナが腕に力を込めると、それに答えるかのように、エースは彼女をギュッと抱き返す。
痛いくらい抱き締められるのは気持ちいいことだった。おもわず、笑みが溢れる。
「明日も居たいかも…」
「好きなだけ居りゃいいだろ?」
大袈裟な鼓動の音が重なり鳴り響く中、ゆっくりと身体を離す。
静かな部屋で鼓動だけが響く。
どちらからともなく視線を交え、ぎこちない笑顔を交わす。そっと頬に触れた温もりが、彼の体温を教えてくれる。
照れ臭い。すごく恥ずかしい。
けれどそれ以上にドキドキして嬉しかった。
「イオナ、俺と…」
互いに小さく息を飲み、熱い息を吐いた、
その時。
『ユーガットメール、ユーガットメール』
響き渡る低い男性の声。
淡い時間から現実に引き戻された二人は、パッと身体を離し互いに顔を背けた。
「お前なあ…」
「ご、ごめん。」
呆れた表情を浮かべるエースの頬は驚くほど真っ赤で、きっと同じくらい自分も真っ赤なんだと悟り照れ臭さは増す。
「で、電話してくる!」
「あぁ。もう絶対言わねぇからな!」
「ごめんなさーいっ。」
慌てて立ち上がり逃げるようにトイレに駆け込み、スマホの電源を落としたイオナは、小さく安堵の息を吐いた。
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