シャワーのあとで。
コンビニでのバイト中。
夜更けの店内で暇を持て余した二人は、いつも通り何気ない近況報告をし合う。
大学でこんなことがあったとか、父親が出会い系にハマっていたとか、そんなくだらない内容をちょっとした笑い話として提供し合うのだ。
「そうそう。彼氏の浮気が発覚したんだよ。」
明るい調子で話し始めたイオナに対して、サボは少しだけ困ったような顔をする。けれど、彼女はそれに気がついていないのか、カラコロと笑いながら言葉を続ける。
「なんで浮気したの?って聞いたら、だってお前バイト忙しいだろ?って。誰と行く旅行のために掛け持ちしてんだって話じゃない?」
「まあ、そうだよな。」
「私の分の旅費を私が払わなきゃならないことはわかってるよ。けど、思うんだよ。浮気相手とラブホ行く余裕があるなら、私の分も払ってくれたらいいのにって!」
辛い話のはずなのに、イオナのその楽しげな口調は揺るがない。あまりのショックで気持ちがハイになっているのかもしれないけれど、だとしたらその高揚がなくなった時点で涙腺崩壊は免れないのではないか。
サボは「まあ、男ってヤツは短絡的な生き物出しなあ。」と中立的な事を呟きながら、そんなことを考える。
プライベートで泣きすがられるのならいいが、バイト中に泣き出されるのは勘弁だ。相手が例えイオナであったとしても…
一瞬、邪心に囚われるサボ。
ここをチャンスに変えなくてはなどと考えてしまう自分に、少しだけ嫌になる。そんなバイト仲間の気持ちなど露知らず、彼女は愛くるしい笑顔で口を動かし続ける。
その表情に一切の憂いはなく、まるで遊園地に行った思い出を語るかのように、恋人との修羅場を彼女なりの言葉に変えて発信する。
「─その浮気相手がさ、共通の友達なんだけど…。結構良い身体してるんだよね。ほんとなにやってんだか、みたいな。おまけに交遊関係被りすぎてるから、今回は目をつぶって欲しいって言われて。で、私。どうしたと思う?」
突然の問いかけに、更に困った顔をするサボ。そのなんとも言えない表情を、イオナは満面の笑みで覗き込んだ。
途端に顔の距離が詰められたことにサボはたじろぐが、彼女は当然ながらおかまいなし。顔の前で腕をクロスすると、「ブッ、ブーッ。時間切れでーす。」と言い放った。
こういったノリはいつものこと。なんの変鉄もないテンション。いつもと"変わらなさ過ぎる"明るくヤンチャな立ち振舞い。きっとこれが修羅場の話でなければ、頬を緩めて耳を傾けることができただろう。
サボは反応に困りつつも呆れたように告げる。
「待てよ。今のは答えるタイミングが無かっただろう。」
「ダメでぇーす。サボくん罰ゲーム決定ででーす。」
「おい。聞いてねぇぞ。罰ゲームなんて…」
思わず目を細めるサボに、イオナは一歩歩み寄る。なんとなくドキッとしてしまうのは何故だろう。いつも以上に彼女を意識してしまう。もともと好きな子だったのだから尚更だったのかもしれない。
勝手に照れて視線を泳がせてしまう。
恋愛未経験者という訳ではないが、こういったシチュエーションは苦手だ。というより、なんど繰り返しても得意にはならないだろう。
プレッシャーに負け、後退りしかけるサボ。それを引き留めるかのように、イオナは声を掛けた。
「ねぇ、サボ。」
「ん?」
「バイト終わったら付き合ってよ。」
「終わったらって…、朝だろ?」
「早朝だから。付き合って欲しいの。」
短く見積もって20センチの身長差。上目使いに当てられ、理性が吹き飛びそうになるが、生憎ここはバイト先。強盗対策用のカメラのたっぷり設置されたコンビニのレジの前だ。
(ダメだ。絶対にまずいぞ…。)
衝動を抑え込んだサボは、苦し紛れに彼女の両頬を摘まみ、びよーんと引き伸ばす。イオナは一瞬驚いた顔をしたが、抵抗もしないでされるがまま、彼をみつめ続ける。
「特別予定もないし、付き合うのはかまわねぇ。ただ…」
サボは意図して表情を固くする。イオナは頬を引き伸ばされたまま不思議そうな顔をした。それはあからさまで、普段よりずっと大袈裟で。
だからこそ唇は勝手に動いた。
「その代わり、もう無理して笑うな。」と。
一瞬、イオナの瞳が潤んだ。 やっぱり。そう思う反面、このまま泣かれてしまったらどうしようかとも思う。涙を誘ったのは自分なのだから慰めるのは当然だが、そうしていては仕事にならない。客が来たときに困り果てることになる。
若干焦りつつも、どこか冷静なまま。
サボの頭の中では思惑やら、期待やら、焦燥やらがひしめき合っていたのだが。
彼女は泣かなかった。クルッとサボに背を向け、つまらなさそうに呟く。
「無理なんかしてないんだけどなあ。」と。
気丈な振る舞いをしているつもりなのだろうが、その声はわずかに震えていて、不安が滲んでいる。
楽天的なキャラなだけに、弱味を見せるのに慣れていないのかもしれない。それはあくまでサボの抱いた勝手なイメージなのだが、そう思うだけで更に愛しい存在に思えてきた。
「後で話は聞いてやるから。」
さっきまでイオナの頬を摘まんでいた手。彼女が背を向けた拍子に、宙を漂っていたその右手のひらでポンポンと頭を撫でてやる。
普段の彼女なら「やめてよー。」と明るく笑いつつ、手を払いのけただろう。こんなだけど、一応彼氏が居るんだからね!とカラコロと笑ったはずだ。
でも、今日は違う。
「サボってば、喧嘩した子供を諭す親みたいな事を言うんだね。」
しんみりとした口調でそう呟いたイオナは、指の先で目頭をぐいぐいと押さえていた。
……………………………………………………
バイト終わり。
ロッカー室で着替えを済ました二人は、大量のアルコール飲料を買い付け、繁華街を進む。話を聞いてやるとは言ったが、切り出し方がわからない。
バイトが終わる頃には、イオナの面持ちも数段固くなってしまっていたため、更に聞き出しにくくなっていた。
それでも「付き合ってやる」「話を聞いてやる」と言ってしまった以上、その責任は果たしたい。
サボはまず簡単なことから訊ねてみることにした。
「それで、俺はどこに付き合えばいいんだ?」
少しだけ強張った表情で、まっすぐ前を見据えるイオナに問いかける。彼女は困ったような、それでいて申し訳なさそうな顔をして小さく呟く。
「ラブホ。」と。
「は?」
「お金は出すから…」
「いや。今のはそういう意味の「は?」じゃなくてだな…。」
時間が止まったような気がした。多くの男たちは、初めてそこに行くとき、必ず悩む。どうやれば自然に連れ込めるだろうかと。
がっつきすぎてもアレだし、消極的過ぎるともっとアレだ。いろいろと試行錯誤したのちに、やっと踏み込める領域であって─
「さ、サボは、なにもしなくていいから。ただの嫌がらせっていうか。その、復讐的な…アレだし。」
そう言いながら更に表情を強張らせるのは、多少の躊躇いもあるからなのだろう。もしかしたら、襲われるかもという不安も抱えているのかもしれないが…。
「されっぱなしはムカつくけど、でも、同レベルにはなりたくないから。だからフリだけでもしたくって。」
「だからそんな状態なのに別れなかったのか?」
コクりと頷くイオナ。心底申し訳無さそうに「変なことに付き合わせてごめん。」と、か細い声で呟くが、サボはそれを聞いていなかった。というより、その声が聞こえる精神状態ではなかった。
イオナを傷つけた。
イオナを甘く見た。
その男に一矢報いたい気持ちは、もしかしたらイオナより強かったかもしれない。
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