サンジが一通り話終えたところで、イオナは口を開く。
「じゃあ、手は出してないの?」と。
「そういうことをしてほしかったのかい?」
「そ、そうじゃないけど…。」
予想以上に落ち着いた返しに、彼女は顔を赤くして目を伏せる。乱暴されたと一度は疑った相手の紳士的な振るまいに、ときめきなど感じて良いものなのだろうか。
なにより、泥酔状態で突然現れた相手が、玄関先で嘔吐し意識を失った挙げ句、目を覚ました途端に、手を出したでしょう?と嫌な顔をしてきたのだ。
ここはキレるべきなのではないか。
千年の恋も冷めるわ。死ね!と罵りたくなるのではないか。
イオナは彼が一体何を考えているのかがわからなかった。それと同時に、どんな顔をしたらいいのかわからない。
猛省している風を装うべきなのか、はたまた、なによつまんない男ね!と強がるべきなのか。
短い時間で真剣に考えてみるが、そのどちらもが彼の望みを叶える答えでないような気がする。
無意識のうちにサンジの期待に答えたいと考えてしまっている自分に気がつかぬまま、イオナは押し黙った。
しばらくの無言。
顔をあげ、目を合わせる勇気がない。ずいぶんと自意識過剰で、失礼な態度を取ってしまった。自分が下着姿であることを差し引いても、充分に恥ずかしすぎる。
今ここに昨晩飲んだものと同じアルコールがあれば、二日酔いのことなど気にも止めずイッキ飲みしただろう。そうして現実逃避して、なるようになれよ!と捨て身になっていたろう。
けれど都合よくそんなものがあるはずがない。
ここにあるのは、落ち着いて話す前にサンジから手渡された、レモンと氷の浮いたグラスに満たされた水だけだ。やけに爽やかなそれのせいで、より鮮明に恥ずかしい気持ちが浮き彫りにされてしまう。
「何か食べられるかい?」
まるでこちらの気持ちを悟っているかのようなタイミングで、サンジは切り出した。そして、泣きそうな顔をするイオナに柔らかく微笑む。
「どうして…」
「ん?」
「どうしてそうやって優しくするの?」
「どうしてって…君のことが好きだからだけど。」
すごく不思議そうにサンジは言う。けれど、イオナにはその気持ちが理解できない。
「好きってそんな…」
「俺は嬉しかったんだ。イオナちゃんがわざわざ怒りをぶつけてに来てくれて。」
サンジはベッドの縁にさりげなく腰を下ろした。その動作があまりに自然で、違和感を覚えない。言葉に耳を傾けるイオナの髪を優しく撫でながら続ける。
「好きな子からもらえるものなら、それが例え罵声でも嬉しいものさ。例えそれがどんな感情であったとしても、イオナちゃんが俺を見ていてくれるなら、俺は幸せなんだ。」
なんて一方通行な想いなのだろう。
重たい、重たすぎる恋慕の感情。
けれど失恋したばかりの、大好きだった人に捨てられたばかりのイオナにとって、その言葉はすごく胸に響いた。
「なんで、そこまで…」
「恋愛に理屈も条件もないよ。俺はイオナちゃんをみた瞬間に恋に落ちたんだ。この子しかいないと、本能が教えてくれた。」
尊いものを見る目を向けられ、イオナははにかんだ。口説き文句にしてはあまりに盛大で、大袈裟な言葉たち。けれど不思議なもので、彼が言葉にすると妙に真実味を帯びてくる。
「イオナちゃんが好きだ。初めて会ったときから、ずっと。もうどうしようもないくらいに。」
「─でも、私は…」
失恋したばかり。彼氏にフラれたばかりで、まだ未練だらけで、次に進める状態ではない。
イオナは再び目を伏せる。
嬉しくない訳がなかった。大好きな人に否定されたばかりで、傷ついていた。そこで強く肯定されれば、その相手のことを「いい人だ」と思ってしまうのは仕方のないこと。
大切に扱われ、繰り返し好意を告げられ、髪を撫でられれば、ほだされてしまうのはしょうがないだろう。
でも─
まだ諦めきれない自分もいるのだ。
これは理屈じゃない、感情の問題。
ここで感情ごと対象をすげ替えれてしまえれば楽なのだろうが、思い出の中に彼は生き続ける。サンジと付き合いながら、彼を想い続けるような器用な真似が出来るとは思えないからこそ、このままサンジの言葉に頷く訳にはいかなかった。
言葉の続きを濁してしまったイオナに対して、サンジはそれ以上を求めない。彼女の不安ごと、「いいんだ。」と優しく包み込んだ。
「これから飯にしよう。着替えは足元に置いてあるから。タグは外してあるよ。」
「ありがとう…」
彼は朗らかな笑みのまま立ち上がると、「支度をしておくね。」と部屋を後にする。遠ざかるブロンドヘアがドアに閉ざされた時、イオナはぼんやりと考えていた。
このまま、一日でも早く、サンジの言葉に、雰囲気にほだされてしまいたいと。
もうその時点で恋に落ちているとも気づかずに─
END
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