Mission's | ナノ

恋模様

君が好きだ。

その言葉を口にするタイミングを、何度も繰り返しシュミレーションしてきた。意中の彼女に恋人の影があったところで、サンジは気にしない。

なぜなら、彼女が"自分以外の誰か"を愛していたとしても、それ以上に自分が彼女を愛しているという事実は変えようがないのだから。

俺以上にイオナちゃんを愛せる人なんていない。俺以外に彼女を幸せに出来る奴などいない。

サンジは真面目にそう考えていた。

それはまさしく『ストーカーチックな思考』なのだが、それを追求したところで彼は「だから?」と首を傾げるだろう。

自分がイオナに傾慕してしまうのは、彼女が美しすぎるからであり、可愛すぎるから。それ以上でも、それ以下でもない。

純粋に恋に落ちただけ。
それのどこにいけないことが…?

自分は彼女を傷つけるようなことは絶対にしないし、危険に晒すような真似も絶対にしない。ただ恋をしているだけ。想いを寄せ続けるだけ。

相手に危害を加えることで独占欲を満たし、自己満足に浸るクソ野郎と同じにしないで欲しい。それが彼の主張の全て。

しかし、想われる側にも事情はある。

イオナはその日、最愛の恋人に別れ話を切り出された。理由はずばり、サンジの存在だ。

イオナが男を手玉に取れるタイプの女ならば、サンジを飼い慣らしていたところで、恋人もその存在を気にかけることはないだろう。

むしろ、「そんな従順な男がいるにも関わらず、自分と付き合っている」というステータスに酔っていたかもしれない。

けれど、イオナもその恋人もまたそういった特殊なタイプの人種ではなく、ごく一般的な、普通で、堅実な恋愛を好む質だった。

最初こそ「しつこい男に言い寄られて大変だね。」のスタンスを築いていたイオナの恋人。きっと彼女は、彼のそんな温和な態度に甘えていたのだろう。丁寧に断ることはあっても、強く突き放すことをしなかった。

イオナのそんな態度をみているうちに、恋人は彼女とサンジとの関係を疑うようになった。

けれど、恋愛上級者ではないイオナは、そんな恋人の心の変化に上手く気づけない。またサンジのアピールを上手くかわすことが出来ず、その優柔不断な態度のせいで疑惑を晴らせないまま、確信へと導いてしまった。

結果の破局。

大好きだった恋人に、ありもしない浮気を疑われ、フラれてしまった。大好きだった相手に幻滅され、もう顔もみたくないと突き放され──イオナは一人飲んだくれた。

今さら悩んでも遅い。
どうしようもない。
自分が悪かったんだ…

最初こそ自分を責めた。もっときっちり断れていればとか、誰かを通して接触をやめるように言っておけばとか、たくさん嘆いた。

けれど、酔いが回るにつれて、怒りが芽生える。

もちろん、恋人に対してではない。
横恋慕を公然と行ったサンジに対してだ。

どうしてあの男はあんなにしつこいの?
なんで私なんかにこだわるの?

そこそこイケメンのくせになんの恨みがあって…

ロックグラスに注がれた琥珀色の液体。初めて飲むには強い酒だった。けれど今のこの感情の昂りにはちょうどいい刺激がある。

喉に焼けるような痛みを感じながら、イオナは酒をあおる。歪な形の氷が、グラスの縁にぶつかりカラコロと音を立てた。

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チャイムを連打されるのはいつぶりだろうか。

バイトから帰宅したばかりのサンジは、脱ぎかけていたTシャツを着直し、玄関へと向かう。リビングにインターフォンのモニターがあるが、浴室からならば直接玄関へ出向く方が手間がなかった。

玄関のたたきに裸足のままの右足の先をつけ、ドアの中央、覗き穴をソッと覗いてみる。

「イオナちゃん…?」

途端に、心拍数が跳ね上がった。あまりの感情の高揚で、指の先までもがドクンドクンと脈を打つ。同時に、部屋に招くことになるならハウスクリーニングを入れておいたのに、と部屋の掃除をないがしろにしていたことを後悔した。

どうみても覗き穴越しのイオナの表情は固く、険しいのだが、サンジの目に不都合な情報は映らない。

気持ちの昂りから震える指でチェーンを外し、2つの鍵を開ける。ドアノブを握ろうとしたところで、外からドアが開かれた。

あぁ、イオナちゃんはせっかちだな。

夢見心地に胸中で呟き、一瞬見せた驚きの表情を改める。

ほがらかな笑顔で最愛の人を迎え入れようとしたサンジに対して、彼女は途端に悪態を付く。

「この野郎、ぶっ殺す。」

「え?」

「絶対に、許さない…」

普段の穏和なイオナしかしらない彼は、彼女らしからぬ言葉の悪さと憎しみこもった眼に面食らう。けれどそのコンマ一秒後には、そんなイオナちゃんもかわいいと場違いなことを思い目をハートに輝かせた。

「まあこんなことろで立ち話もあれだから、中に入りなよ。外は冷えただろう?」

7月頭とはいえ、この時間は割りと冷える。薄着のイオナを気遣ったサンジは、彼女を部屋に招き入れようとしたのだが。

くらり…

イオナの身体は、力なく前のめりに倒れ込んだ。

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しじみの匂い…?

イオナは身体を持ち上げようとするが、頭部を襲う鈍痛に顔をしかめる。脳みそに鉛を仕込まれたような感覚。それが酔いのせいであることは確実なのだが、ここまでの痛みは初めてだった。

おまけに胃の辺りが気持ち悪い。ドロドロを溜め込んでいるのではと疑ってしまうほど、粘こい不快感が喉の方へと押し寄せてきた。

鼻孔をくすぐるしじみダシの香りが唯一の慰めなような気がして、深く深呼吸。もう一度身体を倒すと、ふかふかのマットに包み込まれる。柔らかな柔軟剤の香りで、傷ついた心が──

「で、ここはどこ?」

イオナは首を傾げる。大好きだった彼とは昨日別れた。別れなくてはならなくなった。そうだ、あの男のせいで。

二日酔いプラス、寝起きという冴えない頭でも、あの男の顔は鮮明に浮かび上がる。毎日のように絡んできて、付きまとってきた。確かに、助けられたことは何度もあったが、それさえも迷惑に思えてしまうほどにしつこさ。

アイツのせいで浮気を疑われ、フラれて…

「文句、言いに来たんだった。」

ベッドの上に横になっているというのに、目眩がした。自分に激しく言い寄ってきていた男の部屋に、泥酔状態で訪れ、意識を失ってしまった。

つまりは"そういうこと"なのではなかろうか。

イオナはここで初めて、自分に意識を向けた。服はちゃんと着ているか。下着は?肌に違和感は?と。

ここで再度、目眩。

「私の服は?」

肌に違和感はない。下着もちゃんとつけている。でも、服を着ていない。それはつまり、そういうことなのだろう。

視界が真っ暗になる。

「あぁ…、なんでこんなことに。」

小さく呻くが、今さら嘆いたところでこれまた後の祭りだ。きっと泥酔しているのをいいことに、いろいろなことをされたに違いない。いろいろなところをいろいろされたに…

けれど、自分を振った彼に対しての当て付けにはなったのではないか。お前に捨てられたところで、痛手なんてないんだぞとアピール出来たんじゃないのか。

いや、なんで私が彼に当て付けなきゃなんないんだ。

泣きたくなった。失ったのは恋人だけじゃない。貞操観念も消失してしまった。ビッチになってしまった。悔しくて、情けなくて、泣きたくなってくる。

いや、もうすでに鼻の奥はツンとしていたし、涙は溢れていた。

イオナは「ぐすん」と鼻をすする。深く布団をかぶり直すと、柔らかな柔軟剤の香りと男の人の匂いがした。

恋人の香りしかしらないはずなのに、その匂いが男性の匂いだとわかることが不思議だったが、そんなことは今はどうでもいい。

現実逃避ぎみに布団の端をギュッと握る。

「目が覚めたかい?」

まるで白々しい、紳士的な口調で声をかけられた。ほんの少しだけいい声だな。などと思ってしまった自分が情けない。

「だいぶ酔ってたみたいだけど、具合はどう?なにか食べられるようだったら、用意するけど…」

「なによ。」

「え?」

「泥酔してる女の子脱がしといて、なにが…」

「あぁ。」

涙がどばどば溢れる。自分が悪いとわかっているのに、彼に当たるのはどうなのだろう。

いや、酔っている相手にいかがわしいことをするのが悪いことなのは間違いないのだから、これは正当な怒りだろう。

それでも…

「情けない。私、すんごく、情けない…」

思わず漏れる本音。二日酔いの鈍痛などわからなくなるほど、胸が痛い。苦しい。それなのに、彼は「気にすることないさ。」とまるで他人事な言葉を口にした。

思わず「は?」と声をあげ、布団から顔を出す。
イオナを見つめるサンジは、相も変わらず柔らかく微笑んでいた。

「酔っぱらってたんだ。吐くことだってあるよ。乾燥機に入れて縮むといけないから、部屋干ししてあるよ。心配しないで、着替えは用意しておいたから。」

「私、吐いたの…?」

「あれ?覚えてない?」

「うん…」

「なら今の話はなしだ。忘れてくれ。」

「え?」

イオナは怪訝な顔をする。それをみて、彼は少しだけ困った顔をした。

「服はきっと最初から汚れてたんだ。俺はそれをみて、染み抜きしないとと思った。だから洗っただけ。イオナちゃんはなにも気にしなくていい。」

彼女はサンジの対応に困惑する。ただ彼がとんでもないことを言い出したことは理解できる。脱がされていたことで血が上っていた頭を落ち着かせるために小さく深呼吸し、提案する。

「あの、なにがあったか聞かせてくれない?」と。


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