それはただの電子音だというのに、まるで何かの起爆装置のような役割をなしていた。
エースがイオナへと視線を向けると、ちょうど彼女がスマホをポケットから取り出すところだった。
彼女はその着信画面をみた途端に、あからさまに慌てた表情を浮かべると「ちょっとごめんね」とトイレに駆け込んだ。
これ、100%マジじゃねぇかよ。
バタンと締まるドア。それにより、エースの心から希望は絶たれた。
浮気、浮気、浮気、浮気…
不貞行為に寛大になれるほど、彼は大人じゃなかった。だからといって、ここで彼女と別れる決断をするほど簡単な交際はしてこなかった。
2つ分の感情が、絶望に打ちひしがれそうになっている彼の精神をなんの遠慮もなく削ぎ落とす。
相手の男に文句を言うべきか?
いや、俺の存在を知らないとすれば…。
っていうか、ならなんでイオナは俺の部屋に来たんだ?
一番最初に不思議に思ってもいいようなことを、今さらになって考えるエース。
やっぱりマルコに電話しようかと思い直したところで、彼女がトイレから出てきてしまう。
「ごめん!すぐごはん作るね。」
「あぁ、頼む。」
あからさまにバタバタと慌てる恋人を横目に見ながら、彼はやはり頭を抱える。
おいおい…。頼む。じゃねぇだろ…
自分に突っ込みを入れるも、じゃああのタイミングでなんと言えばよかったのかを考えたところで答えなどわからない。
煮詰まっていく感情をどうにかしなくてはと、両手で頭をガシガシと掻いてみるも妙案は浮かばず。
美味しい匂いが部屋に充満し始め、このモヤモヤを抱えたまま上手く食事が出きるのかと不安が高まる。
この気持ち悪い感じだけでも払拭したい。
とにかく普通にやり過ごしたい。
打開策がないのなら、この状況をキープするしかない。
そうだ、イオナが帰った後にマルコに電話すりゃいいしな。
恋愛以外のことでは、どんなことに対しても決断力がすぐれていて基本的には迷わないタイプのエース。
だからこそ、こういった時に冷静でいられないのかもしれない。
何か言え。俺、なんか喋れ…
そう思うほどに追い詰められ、だんだんとテーブルに並べられていく料理を前に、切羽詰まってくる。
「ねぇ、エース。サラダはマヨネーズにする? ドレッシングにする?」
いつもの調子だ。
なんで平然としていられるんだ…
「いや、その…」
「ん?」
にこやかな彼女の笑顔。
裏切りなんて全く感じられないその笑顔が、彼を急き立てる。
とっとと聞き出せと。
それが悪魔の声だとわかっているのに、エースは冷静でいられなかったがために"言いたくなかった言葉"を口にしてしまう。
「イオナ、俺になんか隠してる?」
「な、なに?藪から棒に…。もうついでだからドレッシングかけちゃうよ?」
向かい側に腰を下ろし、二人分のサラダに和風ドレッシングをかける彼女の表情は明らかに動揺している。
素直にごめんと言って欲しかったのか、それとも何もないと言い切って欲しかったのか。
エースは自分の気持ちすらもわかっていないままに言う。
「誤魔化すなよ…」
当然と言えば当然のセリフ。
ただ言った当人もわかる程度には感じが悪く取れる口調で紡がれた言葉だった。
イオナは普段とはことなるエースの様子に驚いた表情を浮かべた後、視線を右往左往させたかと思うと、静かにドレッシングをテーブルに置いた。
そして、一度腰を浮かして姿勢を正すと、ただ一言「ごめんなさい」と頭を下げる。
あぁ確定かよ。
エースの中でモヤモヤと広がっていた感情か、一気にヘドロのような粘度を持った感情へと切り替わった。
「いつからなんだ?」
「1ヶ月前にから…」
「じゃたやっぱあのとき、納得してなかったんだな…。」
「だってエースってばなんでも頭ごなしだし、聞く耳もってくれないし…」
ポツリポツリと本音を漏らすイオナ。
「だからごめん。今さらやめられないし、もう遅いの…」
完全に振られる流れに一直線この状況に、エースは腹をくくる。も、展開はどこか斜め上に向かい始めた。
「お金も納めちゃったし、っていうか、筆記テストは…」
お金?筆記テスト?
てっきり別れようだの、他に好きな人が出来ただの言われると思ったのだが、どうやら違うらしい。
「まてまてまて。なぁ、イオナ。それなんの話だ?」
「何って…、教習だけど?」
「は?教習!?」
ともわずすっとんきょうな声を上げたエースだったが、彼女は動揺続ける。
「あんまりにも反対するからこっそり、免許取っちゃおうって。就活にも影響あるから早めの方がよくて…」
モジモジと話す恋人を見つめたまま、彼はポカンとしていた。
この状況を飲み込むのに、少しばかり時間が掛かっていたのだ。
「内緒事はしたくなかったんだけど…」
ようやく自分の置かれている状況に気がついた彼は、申し訳なさそうにチラチラと伺い見る彼女に問う。
「じゃあ最近素っ気ないのも、寝不足なのも、その服装も…」
「ごめんね。私ばかだから、筆記テストほんとに苦手で。毎日夜更かししちゃって。服装もそうだね。スカートよりショートパンツの方が運転しやすいから…」
コクリと頷いた後、落ち着いた調子で答える彼女の言葉に彼は内心納得する。
たしかに隣に教官がいるのに、ヒラヒラスカートじゃあ、な…。と。
そして、しばらく呆けていたエースだったが、ホッとしたのか後方にバタンと倒れ──
「よかった、よかったな…」
声を出して笑い始めた。
モヤモヤも、ドロドロも吐ききるように、出しきれるように、ただただ楽しそうに声をあげて笑う。
そんな彼の姿を首をかしげつつ眺めるイオナをそのままに、ケタケタと響く笑い声。
「コソコソすんなよなぁ…、ったく。」
「え?なに?」
「だーかーらー。もう二度とコソコソすんなよ!?俺の心臓がいくつあっても足りねねぇだろーが。」
エースは鼻の頭をポリポリと指で掻きなが、そう言って身体を起こした。そして素直に「ごめんなさい…。」と謝るイオナの方へと手を伸ばす。
「がんばって免許とれよ。」
「うん!ありがとう!」
最後の最後でかっこつけながら、エースはひっそりも思う。
これからはなるべく、彼女の意見を尊重してあげようと。
そして、こんな思いは二度と御免だと。
The next story is Law.
prev |
next