コソコソすんなよ!
◆◇◆◇◆
多分俺は…
彼女に避けられている。
◆◇◆◇◆
エースの心はどっぷりと沈む。
それもそのはず。
なにが理由かはわからないが、ここのところ恋人のイオナが妙に素っ気ないのだ。
声をかけても上の空で、寝不足なのかデートの時もよくあくびをするようになった。
おまけにとっとと帰りたがる。
ほんの1ヶ月前までは、向こうから「あれをしよう」「これをしよう」と約束を持ちかけてきていたはずだと言うのに…
エースはベロンとローテーブルに身を伏せ、頬をぺったりと天板に張り付ける。
いつもならこの時間になると、授業終わりの彼女が家に押し掛けてきて昼食を作ってくれるのだけど、もちろんのことイオナが来る気配はなかった。
大学生カップル。
その言葉だけを聞けば、なんだかとってもリア充なとろける日々を送っていそうな感じもするが…
どうやら彼は違うらしい。
というか、どうみてもそうには見えない。
「イオナ、お前の観たがってた映画は来週公開予定だぞ〜」
誰もいない部屋で一人ぼやく。
誘ってもらえるつもりでいたので、すでに前売り券を購入していた。
まさかこの時期になっても誘われないなんて予想もしていなかったのだから、そこからくるダメージはデカい。
それに加えて恒例のお宅訪問すらもスルーされるとなるとだいぶキツかった。
いつものように買い足してしまった食材が、手付かずのまま腐りゆく状況を想像して思わず身震いしてしまう。
「あの野菜、誰が食うんだよ。」
独り言を繰り返してしまう程度には、気が滅入っているのだろう。
自分がどれだけ彼女に依存しているのかを身をもって感じて、頭を抱える。
しばらくそうしていた後にスマホを取り出してみるも、もちろんなんの連絡もなく──深い溜め息をつく。
避けられているとわかっていても、どこか期待してしまう。相手が自分を見ていないなんてことはないと信じているからだ。
だからこそ、エースはただ停滞していた。
自分から連絡すると、めんどくさがられるかもしれない。
嫌われてしまってはもともこもないので、相手から歩み寄ってくるのを待っている状態。
なにが原因なのかは、わからない。俺は嫌われるようなことなんて─
そこまで考えて、エースは硬直した。
嫌われるようなことを言った覚えが…
…ある。
ふと思い出したのは、1ヶ月と少し前の小さな口論。
たしかにそれは、喧嘩というほどゴタゴタはしなかった。向こうの言い分も理解出来たが、結局エースが最後まで主張を押し切り通したのだけど…
「あれのせいで嫌われたのか!?」
スドーンと押し寄せる後悔の念。
たしかにあの日の彼女は府に落ちない顔をしていたし、それから数日は元気がなかったようにも思える。
エース自身は自分の言い分をイオナが汲んでくれたことに満足してしまっており、アフターケアがキッチリ行き届いていなかった。
ちゃんと彼女の話を聞いて、相談に乗ってあげていれば…
今さら悩んでも意味がない。
自己嫌悪に苛まれたところで、なにもかも遅すぎる。
「あぁ…、どうすりゃいいんだ…」
考えてもみれば、いつも大きな喧嘩にならないのはイオナが妥協してくれるからだった。
それに甘えて自分は理不尽な主張を繰り返していた。
ただ、このまま放置されるのは…
「気が持たねぇよう。」
弱気な声をあげ、小さく呻くエースの脳は思考を停止し、ただただ悲しみにくれていたのだが。
カチャッ、ガチャリ
玄関の方から鍵を開け、ドアノブを回す音と、それに遅れて「遅くなってごめぇん。」という気の抜けた声が聞こえた。
「イオナ!?」
跳ぶようにして立ち上がり、バタバタと玄関へと向かうエース。らしくない彼の行動にイオナは目をまんまるくして驚いた。
「そうだけど…、どうしたの?」
「いや!あの、その。今ちょうど逢いたかったとこだったんだ!」
まさか嫌われたと思って落ち込んでいただなんて、そんな情けないことを言える訳もなく──苦し紛れに、なんだかキザっぽいことを呟いてしまう。
「フフッ。どうしちゃったんだか…」
肩を竦めて笑うイオナの顔をみて、エースがホッとしたのも束の間。
いつも通りの仕草で脱いだ靴を並べ、玄関からの部屋へと続く廊下沿いにある流しで手を洗い、冷蔵庫を開き見る恋人。
そんなお決まりの動作しかしてしない彼女の、いつもとまったく異なる点。
それは─。
(服が…、服の感じが違う…よな?)
どちらかというと、ガーリーな装いをしていることの多いイオナ。それは"女の子らしい"のを追及していたエースがお願いしたことでもある。
そのため、ショートパンツよりは、膝丈のキュロットやスカートを履いていることがほとんどだ。
だというのに…、
今日はよりにもよってショートパンツを履いている。おまけにカジュアルなトップスを合わせていて、靴はスニーカーのようだ。ガーリーっぽさは皆無。
こうやってみればボーイッシュな装いも確かに似合っているし、なんら問題なくかわいい。
しかし、今のエースはそれを素直に褒めることも、ギャップに胸を高鳴らせることもできなかった。
ただ"今日はショートパンツを履きたい気分"だったというだけかもしれないのに、いつもと異なる恋人の服装が引き金をひき──
さっきまで失意のドン底だった彼の、どうにもならないネガティブモードがここにきて炸裂。
(まさか、ボーイッシュな服装が好きな男に乗り換えようとしてるのか!?)
ここのところ顔をみせないのも、そのせいだとしたら自分の立ち位置は非常にまずくなる。
自分がポイッと捨てられてしまうことを想像し、目眩すら感じる。部屋の出入口付近で硬直していたエースは、イオナの声によりやっと我に返る。
「そこで待ってなくてもいいよ?サクッと作っちゃうから。」
「あ、そうだな…うん。」
「ボーッとしちゃって。変なエース。」
クスクスと笑いながら、野菜を刻む彼女はやはりいつも通り。むしろ、いつもと違うのはエースの方なのだか本人は全く気がついていない。
ローテーブルの前に腰掛けたエースは、チラチラとイオナを伺う。
包丁がまな板に当たる音と、野菜の刻まれるザクザクという音。それだけでは心細い。なにか会話が欲しくて、エースは口を開いた。
「なぁ、映画…とか、どうだ?」
「映画?今日行くの?」
「じゃなくて、ほら、前に言ってた…」
「そういえば公開日近いんだっけ?」
視線を上に向け、考えるようなしぐさをしてみせながら彼女は首を傾げる。
観たい映画の公開日を覚えてねぇのか?
それは彼女にしては珍しいことであり、やはり違和感を感じざるを得ないことだった。
「来週いつでもいいからどっか予定開けとけよ。俺合わせるから。」
試しにそんなことを言ってみるも。
「ごめん!来週は予定いっぱいで…」
サックリと切り捨てられてしまう。
これ…完璧に黒だろ?
エースは今にも泣きたい気分で、今すぐにでもマルコに電話しようかと思ったのだが──彼女のいる家の中で、彼女の浮気の心配を相談する訳にもいかず思い止まった。
「いつまで公開期間だっけ?」
「いや、それは、わかんねぇ。」
「うぅーん。私、観に行けるかわからないから、もしあれだったらエースだけ先に…」
おいおいおいおい…
身体の中にいくつもの心臓があるかのように、ドクリドクリと血管が音を立てる。
冷や汗が吹き出し、胸の締め付けがキツくなり呼吸がしにくい。
自分の浮気がバレるのと相手の浮気を知るのとでは、一体どちらの心労が重いのだろうか。
そこでさらに追い討ちがかかる。
プルルルルルル、プルルルルルル…
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