Mission's | ナノ

歯車は噛み合わず

仕事の長引いたその日。

職場から急ぎ足で駅へと向かうシャンクスの目に映ったもの。

それは…

駅のある大通りからほんの数本それただけのホテル街から、人の波に紛れて現れた一組のカップル。

きっちりとしたスーツに身をくるんだ長身の若い男と、その隣を歩くカジュアルなサマージャケットを羽織る見慣れた顔の女。

その横顔を前に、シャンクスは思わず立ち竦んでしまう。

仲睦まじく会話をしながら、前方の人波に混ざった二人は、彼の存在に気がつくこともなく駅へと向かう。

まるでそれが自然なことのように、当たり前のことのように。

自分の隣にいるはずの存在が、自分より遥かに若い男の隣で笑っている。

人の群れに紛れてその姿が見えなくなっても、彼は動けなかった。

歩くことを忘れ、帰宅することを忘れ、ただ呆然と立ちすくむ。

「おいおい、待ってくれよ…。」

"勘違いかもしれない。"そう信じたい気持ちの上から、自身が今目にした映像が濁流となって押し寄せてくる。

自分の今までみてきた彼女ならば、そんなことはあり得ない。

そう。浮気なんてありえない。

浮気じゃないとしたならば……?

ここでシャンクスは一つの答えを導きだす。

絶対にそうであってほしくない、想像すらもしたくない回答を─。

「俺、嫌われちまったかな…。」

ポツリと呟いたシャンクスの顔には、ひきつった笑みが張り付いていた。

○●○●○●○

─30分後。

彼は恋人の部屋の前に立っていた。

何度かチャイムへと手を伸ばしたものの、それに触れることなく引っ込めてしまう。

いつものように合鍵で部屋に入ってもいいのだが、鮮明に思い出される"先程の記憶"がそうするのを拒む。

思わず自分自身の不甲斐なさに舌打ちが漏れ、それを誤魔化すかのように苦笑を浮かべながら首の後ろを掻く。

若い頃の自分ならば、すぐにでもチャイムを押し、顔を出した恋人を抱き締めて、「自分の方がお前を愛している」と自分本意のことを囁いて、気を惹こうとしていたところだろう。

そこまで考えたところで、やはり彼は一歩を踏み出すことを躊躇った。

この歳になれば理解しているのだ。

どんなに必死に足掻いても、抗えないことがあると。

相手の気持ちが離れているとわかった時、自分は潔く身を引かなくてはいけない。

シャンクスは誰に言われるでもなくそう理解していたが故に、その一歩を踏み出すことが出来なかった。

物音を立てないように意識しながら、ドアに背を預けてズルズルと座り込む。

直接確認する勇気がないのなら、そ知らぬ顔をして今まで通りに過ごせばいい。

いつか相手の口から告げられるまで、何も見なかったかのように振る舞えばいいだけの話なのだ。

そして、別れを切り出された時に、潔く"彼女の決断"を受け入れればいい。

そう振る舞うことが自分の思い描いていた『理想の男』の姿であり、自分本意ではない『理想的な恋愛』の形なのだから。

頭の中を巡り続ける幾重にも存在する選択肢から目を反らすかのように、シャンクスは宙を仰ぎ見る。

マンションの通路に嵌め込まれた窓から覗く空に月はなく、彼の心を反映しているかの如く、どんよりとくすんでいた。

それでも…

『例えわずかな希望であっても、すがる事で彼女を取り戻せるなら、それに賭けたい』と訴えている自分が心の隅に居ることに、彼は気がついていた。

こうしていつまでもこの場に留まっているのは、そんな自分のため。

若い日の"無垢でまっすぐなだけの自分"は消えてしまった訳ではなかった。

ただ現実と経験を言い訳にして、プライドの壁を隔てた心の隅に追いやってしまっていただけ。

それを知ってしまったシャンクスだが、やはりどうすることも出来ないで、自嘲めいた笑みを溢すだけだった。

○●○●○●

35分前。

ラブホ街をなんの躊躇いもなく突っ切る一組の男女。

ピンク色やゴールドの艶やかな看板や、華やかな電灯が閃くその街並みを二人は完全に無視していた。

「取引先のとの接待で、あんなにキレイなホステスさんたちに囲まれるとは思わなかったよ。」

サマージャケットのポケットから、何枚もの名刺を取り出しで苦笑いを浮かべるイオナ。

その隣を歩く男は、現在絶賛教育中の彼女の後輩である。

「高級クラブは僕も初めてだったんですけど、俺たちが普段行ってるようなキャバクラとは大違いですね。ホステスさんたちは品がありながら艶麗で…」

年上のホステスたちに「かわいい」だの、「○○に似てる」だのと構われたのがよほど嬉しかったのか、だらしのない笑みを浮かべる男にジットリとした目を向けるイオナ。

しばらくの間、ペラペラと地上の天国での思い出を語り続ける後輩だったが──先輩であるイオナの冷めた視線に気がつき、慌てて顔の筋肉に力を込めた。

「なんなんですか!?その目は…」

「いやぁ、別に。」

「別にって顔してませんよね?明らかに俺を蔑んだ目で見てましたよね!?」

「あはは、ごめんごめん。これあげるから許してよ。」

彼女は手に持っていた名刺を後輩に差し出しながら、ケラケラと笑う。

その名刺は取引先の相手の物ではなく、高級クラブの責任者や数名のホステスから受け取ったもの。

彼は一瞬迷った素振りをみせたものの、ヒュッと腕を引いてそれを受け取らない。


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