Mission's | ナノ

大ホールの講義室のドアを蹴り開けたキッドは、100人近い生徒の中から一瞬でイオナを見つけ出した。

とはいえ、それは愛の成せる技とかそういった類いの物ではない。

ほとんどの生徒がドアを蹴り開けた爆音に驚き、音のした方へと顔をむけたのだが──ひとつだけ動かなかった人影が存在し、それが偶然にもイオナだったと言うだけの話。

彼女は右端の前の方の席で、机に突っ伏してガッツリと眠っているようだ。動揺によって沸き上がった喧騒の中でも、目を覚ますことなく身動ぎひとつせずに眠り続けている。

教授が苛立った様子で制止を呼び掛けるも、キッドは一切の反応を示さずせかせかと眠りこけるイオナのところへ向かう。

教室のざわめきは大きくなり、「おい、キッドじゃん」とか、「なにやってんだ?」とか、「どうした、鶏野郎! 」などといった、知り合いからの声も聞こえたが、彼はやはりスルーした。

「おい、イオナ。起きろ。」

そう声をかけ、後頭部をを平手でパチンと打つ。すると彼女はのっそりと顔をあげ、「ふへ?」と呆けた声を漏らす。

「ふへじゃねぇよ。ほら、立てよ。」

「あぁ、ごめん。私、待たせちゃった?って、あれ?でもまだみんないるけど…、ってかまだ終わってな…」

「いいから来い!話は後だっ!」

寝ぼけて首を傾げるイオナの、スマホを握りしめていた方の腕をひっ掴む。

どういうわけか、彼女は最初から参考書やらノートやらを卓上には出してはいなかったらしく、足下に置いてあったバックをとっさに拾い上げるとそのまま引きずられるようにして講義室から出ていく。

「あ、あのっ、お騒がせしてすみませんっ。理由はあとで…」

「黙ってついてこい。」

「そんなにピリピリしないでよぅ。」

乱入者から溢れる殺気だけを前にしていれば、誰かは止めに入るか通報していたかもしれない。

ただその対象の女があまりにも緊張感がなく、ちょっと嬉しそうに笑っているようにも見えたため誰一人として動こうとはしなかった。

「邪魔したな!」

かっこいいのかアホなのかわからない台詞を吐いたキッドは、やはり大袈裟な音を立てて退室。

(ついでを言うと、連行されている身でたるはずのイオナは、教授に向けてペコリと頭を下げることを忘れていなかった。)

そして二人は…

「どうしたの?キッド?」

「話がある。家に帰るぞ。」

ズカズカと足を進めるキッドに引きずられないように、イオナは小走りで足並みを揃える。

歩む速度は速くなる一方で、 キッドの部屋に着いた頃には息を切らしていた。

それでも彼女は笑って言う。

「ダスティン・ホフマンじゃないんだから、連れ去っちゃだめじゃん!?」

肩で息をしながらカラコロと笑うイオナを前に、やはりキッドは恐怖に似た『何か』を感じていた。

いつもと変わらない態度。
昨日の不貞疑惑。
イオナの中での自分の価値。

考えるほどにその感情はドロリと濃度を増してゆき、その扱いに困った彼は一番手慣れた方法で吐き出してしまう。

「黙れよ。」

「え?どったの?」

「黙れ…って言ってんだよ!」

ベッドの方に向かってドンッと彼女をき突飛ばすと、イオナは小さく悲鳴を上げながらベッドに倒れこんだ。

目をまん丸くして自分を見つめる恋人の華奢な身体に覆い被さり、拳を振り上げる。

─殴ればなんとかなる。

胸中を渦巻くドス黒い感情の意味がわからず、それに支配されることを恐れて、自分が最も馴れた方法で感情をコントロールしようともがく。

─俺はいつだってそうやって、なんでも思い通りにしてきただろーが。

暴力的にも思えるこの行為は、彼の心の中に存在する"弱さ"の現れ。

─浮気され続けるくれぇなら、ここでぶん殴ってとことん嫌われてからフラれる方がマシだろ。

そんな自分の弱点に本人は気がついているのか、いないのか。

硬直するイオナを前に、キッドもまた動きを止めた。

彼は、気がついたのだ。

自分を見据える彼女の瞳には怯えがないことを。

─なんで怖がらねぇんだよ。なんで泣いて謝らねぇんだよ。なんで、なんで、なんで…

絶対的な信頼からなのか、単純に状況を理解できていないのかはわからない。

ただ、そんな彼女の反応が、一時的に彼が冷静となるきっかけとなったのは言うまでもない。

─俺、なにやってんだ…。

結局、振り下ろされることのなかった拳は、イオナの顔の横へトンと下ろされ、彼は馬乗りの体勢のままで口を開いた。

「昨日、てめぇはなにしてたんだよ?」

「えっ?」

「だぁーかぁーらぁ…」

これを聞いたら自分たちの関係はどうなってしまうのか。

すっとんきょうな勘違いをしているキッドからすれば、これ以上の話は聞きたくないのが本音。

知ってしまえば、『嫌な予想』だったものが《真実》になってしまう。

締め付けられる胸の感覚に息苦しさを感じながら、それでも野粗な自分を保つために彼は一歩を踏み込んだ。

「俺との約束蹴って、どこで誰と何やってたか言えよ。」

─終わった。俺、死んだわ。

そんな言葉が頭を過ったキッドだったが、

「あぁ〜あ。昨日のことね。うんとね、ホーキンスくんに占いやってもらったんだー。」

イオナの気の抜けた口調と、その内容に拍子抜けした。

「は?」

「いやぁね、ホーキンスくんの占いがよく当たるってみんなが言うからさ〜。」

彼女はさも楽しそうに、昨日の出来事をペラペラと話し始めた。

なかなか約束が取れなかっただの、ずっと占ってもらいたかったからごめんなさいだのと──先ほど拳を振り上げられたことなどもう覚えていないかのように、にんまりとしながら話続ける。

ただ肝心の『何を占ってもらったか』は話そうとはしなかったのだが…。

そこに疑問を感じたキッドだったがイオナに何をしようとしていたかを思い出し、身体のあちこちから冷や汗を滲ませる。

勘違いから彼女を殴ろうとした。

浮気を疑って勝手に暴走した自分が妙に情けなくカッコ悪く思えて、なによりイオナに申し訳なくて。

そうして黙り込んでしまったキッドに声をかけるのは、悩みの種である張本人。

キッドの頬にそっと手を触れ、彼女は茶目っ気のある笑顔で訊ねる。

「どったの。辛気くさい顔して。」

「なんもねぇよ…。」

「ほんとに?」

「当たりめぇだろーが。」

「ふーん。ならさ…」

何か言おうとするイオナの唇を自身の唇で塞ぐ。その勢いに任せて、トップスの裾から手を突っ込み、荒々しく胸を揉みしだく。

この場の気まずさと自分の勘違いを誤魔化すためだけに、手っ取り早くことを進めるキッド。

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