全部お前らが悪い
某Fラン大学の庭園。
ちょうど日陰になっているベンチの上で、キッドはいつものように寝そべっていた。
顔に乗せているのは分厚い週刊誌で、手に持ったスマホから伸びたイヤホンは、しっかりと耳に差さっている。
その辺りを行き交う生徒の数もずいぶんと少なく、のどかな時間が流れていた。
それもそのはず。
この時間帯は講義中ということもあり、ここらに居るのは空きコマを潰しに来ている生徒くらいのもの。
もちろんキッドもそのうちの一人である。
この前のコマが終わった時点で彼が受けているこの日の講義は午後の2コマのみとなっていて、昼休みの時間を考慮すれば一度帰宅する時間は充分。
それでもわざわざこんなところで"ぐでん"と寝転がっているのは、彼の恋人がまだ講義を受けているから。
彼女であるイオナの講義が終わる時間に待ち合わせ、一緒に昼食を食べるのが二人のお決まりパターン。
それは、待ち合わせなんてものには縁のなかったキッドの方が「ちゃんとここで待ってろよ?」とイオナに言いつけたのをきっかけに始まった習慣だった。
もっぱら天然と定評があり、どこかズレている底抜けに明るい性格のイオナ。
キッドにしては初めての"ギャルではない恋人"だったのだが、これが気が合うの放って置けないので浮気する必要もなく、せっせと彼女に生活リズムを合わせる始末。
おかげさまで周囲には「最近落ち着いたな」と驚かれていた。
本人は「落ち着いたもなにも…」と言いたいことはあったのだが、今更過去の恋人に酷評する気にもならず言いたい奴には言わせている状態。
そんな彼と恋人となったばかりの頃のイオナも、過去にキッドのやらかしてきたことを周囲から散々言い聞かされていたようだが──。
「ほんと!?キッドってそんなモテるの?あんなちんちくりんなのに!?」
という、ちゃんと話を聞いているのかいないのかわからない返しを繰り返すため、周りの方が諦めてしまった。
結果的にはキッドが"つまみ食い"どころか"よそ見"すらしなくなったので、彼女の対応は正しかったのかもしれない。
「みんな酷いんだよ!?キッドが浮気しないように手綱を引けっていうんだもんっ。だから言ってやったの。キッドのどこに手綱なんて付いてんの?って。」
「お、おう、そうか。」
大体の女子が不安を煽られると、必要以上に干渉しはじめたり、問い詰めてきたりと厄介だったのだが──イオナは不安という概念すら存在していないのか、何を言われてもキャハハと笑っていた。
いつでもなんでも笑って許してくれる彼女を、本当の意味で裏切る気なんて起きるはずもなく、本人たちも気がつかないうちに長い交際へと結びついている。
そんなほんの少しだけ昔のことを思い出し、キッドの頬は無意識に綻ぶ。
誰と付き合っても"無自覚のデリカシーの無さ"が原因となり、喧嘩三昧だったキッドにとって、沸点が見えないイオナはとてつもなく心地のいい存在。
だからといって、マンネリやら刺激が足りないやらということは一切なく、今日もまたキッドは彼女のことばかり考えていた。
「今日はどこに連れてってやろっかな。」「あぁ、そういや。こないだ食ったラーメンうまかったな。」「でもアイツ、うどんのが好きなんだよな。」「つーか、ダイエットがどうか言ってたっけな…」
頭の中いっぱいに彼女のことを巡らせながら、青い空に浮かぶ白いフワフワのわた雲を眺めていたキッドの耳に、近くを歩く女生徒の声が届く。
「ねぇねぇ、昨日見ちゃったんだけどさ…。」
彼はイヤホンを差していながら、音楽を再生してはいなかった。というのも、それは逆ナン対策であり「聞く気はありません」という意思表示でしかないのだ。
だから当然の如く、会話はダラダラと耳に流れ込む。
「ほら、あのキッドを手懐けた、ちょっとお馬鹿な女の子いたじゃん?」
「イオナちゃんでしょ?あの子がどうしたの?」
「昨日さ、ホーキンスくんと二人きりでカラオケ屋から出てきたの。」
「えぇなにそれ。」
「しかも、イオナちゃんの方がにんまりしちゃっててさぁ…。」
顔に雑誌を乗っけていたからだろう。女生徒たちはキッドの存在に気がついていないようで、彼の前では話すべきでないことをなんの気なく口にする。
一方、キッドの方は混乱していた。
馬鹿?手懐けてる?ホーキンス?カラオケ?にんまり?しかも、昨日…だと?
普段のキッドなら、「イオナに限って」と笑い飛ばしていたかもしれない。
たまたま偶然顔を合わせただけだとか、知り合いかと勘違いしてただけとか、そんな可能性を見出だせたかもしれない。
ただ昨日は、彼女にとって"デートより大事な予定"があったはずなのだ。なにせ昨日のイオナは確かに、用事が出来たからと唐突にデートを断ってきたのだから。
だからカラオケ屋になんて行ってるわけがない。もし行っていたとしたら、それは裏切りである。
後ろめたいことなど何一つないような満面の笑みで「ごめんってぇ」と言われたために、「あぁ、ならしゃあねぇな。」と流した自分。
なんの疑いもなく、なんの躊躇いもなく…
そしたらなんだ、この話?
カラオケ屋から出てきただ?それ、完全にヤってんじゃねぇか!
それはおかしな解釈であり、むしろカラオケ屋さんに"ごめんなさい"しなくてはならない話なのだが、キッドは至って真面目。
どこの誰だかわからない相手のする噂話を、鵜呑みにするべきではないと考える余裕はなかった。
純粋に「なんでだ?」で頭が埋め尽くされてしまう。
苛立ちよりも不安が先に立つ。
飽きられた。
フラれる。
置いていかれる。
切り捨てられる。
そんな経験が今までなかったキッドにとって、それは恐怖と置き換えられる。
ただ不安で、ただ恐い。
そんな感情をこの歳まで感じたことのなかった彼だったからこそ、その感情を表現する術を持たない。
それゆえに、彼は一番得意な方法で感情を爆発させるしかなかった。
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