◆◇◆◇◆◇◆
「マグカップなんてほんとに喜ぶのか?」
「無難だと思うけど…」
「無難ってお前なぁ。」
─この兄貴、本当に嫌だ。
散々連れ回された挙げ句、マグカップを選べは批判的な態度。もう二度と兄と買い物などしたくない。
趣味のわからない相手のために、雑貨やら、服やらを適当に買うくらいなら、無難な物を選ぶのが当たり前じゃないのか。
疲労困憊のままジト目で兄を睨むけれど、当の本人は何を食べるかを決めかねているようで、一切こちらの苛立ちには気がついていない。
そして、もう一人。
先程から妙な殺気を放ち始めている恋人へとこっそりと視線を向ける。
サンジはこちらに向けてスマホを構えており、その背面では撮影中の赤ランプが点滅していた。
─この状況でなにやってんのよ…
彼が高頻度で盗撮まがいなことをしているのは知っていた。部屋にたくさんの写真が飾られていたことにはさすがに驚いたが、それも慣れだ。
説明していてはキリがないのだがさまざまな経緯があり、盗撮行為自体は「またか。」の一言で片付けられるのだが。
なによりそんな彼の背後に立つ人物がマズい。あからさまに警備員の格好をした屈強な男の存在。
イオナの目が一瞬でその男に引き寄せられ、その男がみているのがサンジくんの構えたスマホ画面であると悟る。
─ヤバい。盗撮で連行されちゃう…
盗撮されている側が、盗撮している側を心配するという妙な構図。それでも、それが現状である。
イオナがサンジに電話しようと自身のスマホを取りだそうとした時。
それではすでに遅かった。
警備員に腕を掴まれたサンジの身体は跳ねるようにして椅子から離れ、そのまま跳躍した足の爪先が警備員の仏頂面に叩き込まれる。
その直後に椅子が倒れるガタンという音が響き、それから数秒遅れて警備員の倒れる音。それに続くストンというサンジの着地音。
連行されるという嘆かわしい状況は免れたが、今度は暴行で逮捕という最悪の事態を招いてしまう。
「なんだよ、今の音…」
兄がサンジのいる方へと視線を向けて首を傾げる姿をみて、イオナはこの状況がヤバすぎると理解した。
兄の前で恋人が取り押さえられた上に、恋人の趣味が盗撮だなんてバレてしまったら。
ぶっちゃけ、盗撮を図るような真似をする彼氏を受け入れている時点で、自分も変態の仲間じゃないか。
普段の優しい一面や、料理上手な彼を知らない人間が"盗撮家の事実"だけを知れば、そう思われるに違いない。
じゃあ、今はどうするべきか。
そう考えはじめてからの、イオナの行動は早かった。
弾かれるように椅子から腰をあげ、すぐさま遠巻きにこちらをうかがっていたサンジの元へと駆けつける。
兄の「おい、なにやってんだ?」という声を無視して、恋人の腕をひっ掴む。
彼は驚き半分、喜び半分の表情でイオナを受け入れ、「やっぱり君は最高だ!」と声を上げた。
「そんなのいいから!早く逃げよ?捕まっちゃうよ!?」
「あぁ、仰せの通りに…。」
倒れ伏す警備員を放置し、フードコートを駆け抜ける二人。兄が何かしら叫びながら追いかけてきているが、 この際、アレに責任とか対応などを押し付けてしまえと半分投げやりだった。
なんとかショッピングモールから飛び出し、行き着いた先。駐車場の隅で立ち止まる。
「もうっ、バカ!サンジくんってば、なにやってんの?」
「なにってそりゃ…」
「あぁ、みなまで言わなくていいから。」
何故か嬉しそうに笑うサンジを前に、イオナは焦る。逃げてきたところで、警備員を蹴り倒す瞬間はバッチリと防犯カメラに捕らえられているだろう。
逃げた方が罪が重くなるに決まっているのに、なんで逃げてしまったんだろう。
咄嗟の判断が正解を叩き出す可能性なんて少ないと、今更ながら理解し今後の身の振りに悩んでいたイオナだったのだが。
「俺はホッとしたよ。」
やけに落ち着いた調子でそう言いながら、サンジはタバコに火をつけた。何が言いたいのかわからず首を傾げてみせると、彼の手がこちらへと伸びソッと頬に触れる。
タバコの匂いに鼻孔をくすぐられ、慣れ親しんだ香りに動揺でごちゃごちゃしていた頭がほんの少し冷静さを取り戻す。
「あの男よりも俺を選んでくれたこと、クソ嬉しかった。」
─あぁ、そっか。
─まだアレが兄だって教えてなかった。
「イオナちゃんはやっぱり俺を試してたんだね。」
─試すって何を…?
「でも安心してくれ。俺はイオナちゃんを失った時のことは、何度もシュミレーションを重ねて…」
「はあ?」
勝手に淡々と話を進めるサンジついていけず、思わず呆けた声をあげてしまう。
一方の彼は、彼女たちを尾行しながら考えていた通りのことをイオナが実行していたと思い込んでおり、最後に自分の手をとってくれたのはその"断固たる証拠"だと思っているようだ。
「君が俺に擬似的な寝取られプレイを強要したとしても、君が俺の嫉妬心をくすぐるために浮気デートを繰り返していたとしても…」
「え?いや、今日のあれ、お兄ちゃ…」
言葉を遮るようにして否定してみるも、首を左右に振るばかりで話を聞いてくれない。
「浮気相手がお兄さんなんていう、やけに過激なシナリオを描いていたところで…」
─あぁ、ダメだ。もう無理だ。
この状態になったサンジは、基本的に話を聞いてはくれない。だからもう、諦めるしかなかった。
なにより彼はどんな勘違いをしていたとしても、イオナを軽視したり、軽蔑したりするような結論には至らないので泳がせておいても大抵問題は起きない。
そして、今日もまた…
「たとえどんな過酷な試練があろうとも、俺は耐えてみせるさ。イオナちゃんは俺の最高の恋人だからね。」
彼なりの結論によって導き出された、最大の幸せを噛み締めている。
そんな彼の笑顔があまりにも幸せそうだから、何故たが自分まで嬉しく感じてしまうイオナだった。
◆◇◆◇◆◇
「サンジくんはさ、もし私が浮気してても平気なの?」
落ち着きを取り戻したサンジと共に警備員に謝罪をした後に、一人モール内をさ迷っていた兄を探し出し、両者に"ある程度"の事情を説明したイオナ。
兄とはそのまま別れ、サンジの運転する車で帰宅路についていた。彼はタバコふかしながら、目を細めて夕陽を眺めている。
こんな姿だけみれば、とてつもなくかっこいいのだが──天は二物を与えずとはこのことなのだろう──残念ながら、彼は少々おかしな価値観の持ち主。
そんな彼に「どうせふざけて答えるだろう。」と意地悪な質問を投げ掛けてみた。
すると彼はフッと笑い声を漏らして、真面目な顔で小さく肩をすくめた。
なんとなくいけないことを聞いてしまったのではと、不安になったタイミングで彼は口を開いた。
「浮気されるのはそりゃ嫌だけど──」
「──その程度の価値の男にしかなれなかった俺が悪かったって、諦めるしかないだろ?」
「だから、そうなる前に俺は全力を尽くしている訳だけど…、イオナちゃんはどう思う?」
「どう思うって…」
妙に穏やかな口調で逆に聞き返されてしまい、言葉に詰まる。こんな状況で「盗撮とかやめたほうがいいよ!」なんて言える訳もなく、言葉を選びきれない。
どう答えるべきか分からず、窓の外に視線を向けると信号が黄色から赤へと変わり車はゆっくりと停車した。
紳士的な一面と変態的な一面をバランスよく兼ね備えた、表裏一体な恋人。
そりゃあ、盗撮やらなんやらのクセを治してくれたら嬉しいけれど…
それが無くなれば、自分とは不釣り合いなほどに完璧な男性になってしまう気がしないでもない。
信号が変わる前に答えないと…。
イオナが口を開こうとしたその時。
「タイムアップだね。」という、からかいまじりの囁きと、唇に触れる柔らかい感触。
目を閉じる暇もなく重ねられた唇から、チュッとリップ音が立ったかと思うと、すぐさま顔の距離が離れる。
あんまりな出来事にイオナが呆気に取られているうちに、サンジはすでに運転を再開していて。
「ちょっとサンジくん!?」
数秒遅れて抗議の声をあげることしか出来なかった彼女の頬は、どこまでも真っ赤。
「イオナちゃんは隙が多いよ?」
「そういうのなしだから!」
「俺はイオナちゃんに惚れてもらえるためなら、なんだってするさ。」
ハンドルを滑らかに切りながら、サンジはそう言って笑う。その笑顔はどこまでもいじらしく、今まで見てきたなによりも素敵で。
─あぁ、もう。ほんとダメだ。
イオナは自分に呆れた。
いつもいつも、幻滅する度に、こうやって惚れ治してしまうのだから──この恋に終わりなんてないのかもしれない。と。
The next story is Kid.
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