◆◇◆◇
「お前、気を付けとけよ。」
やけにバカな彼女ができたかと思えば、急に女遊びをやめたキッド。そんな彼が唐突にそんなことを言い始めた。
最初は意味がわからず、コイツ、やっぱアホになったのか?と首を傾げたのだが──。
「ちゃんと考えろ。復讐するつもりでお前に近づいたのかもしれねぇだろーが。」
「復讐ってそんな大層な…」
「今でも思い出して泣くくらい根にもってたんだろ?だったらあり得なくもねぇよ。」
自信ありげにいう友人を前に、イオナの顔を思い浮かべてみる。復讐なんておぞましいものを思い付くどころか、仮病だって使えなさそうな穏やかな人間性。
腹の黒いやり口は全く似合わない。
ただ過去のことを根にもっていたのかはわからないが、確かにイオナはいろいろ含むところがあるようだ。
あまりその頃のことは話さないし、時々なにかを思い出すのかぎこちなくなるときがある。
どうにもやった側はなにげなくしたことでも、された側はハッキリと覚えているものらしい。
「だからって普通、そこまで嫌いな奴と付き合ったりするか?」
「あぁ、いるな。女ってのはそんな生き物だ。アイツらは腹の中に別のどす黒い生き物を飼ってやがる。」
なにか過去にあったのか、憎しみのこもった表情を浮かべるキッド。その背後からひょっこり顔を出した、件のバカな彼女がケタケタと笑いながら言う。
「性欲の強い女性不振って、大変だよね。私にも熱湯かけて、本音聞き出そうとしたもんね!」
おいおい、熱湯かけられて笑ってられるのかよ。と突っ込みたかったが、女の方に話しかけるとキッドがあからさまに不機嫌になるでやめておいた。
「誰だって危機感感じたら素が出ちまうもんだろ?モヤモヤしてるくれぇなら先だって試しとくに限る。」
「勃ったのはそれだけじゃないけどね!」
なにかを回想中なのか、苦渋の表情を浮かべる彼氏を前にして、突拍子もなく下ネタをぶちこむ彼女。
なんとも歪な二人を前に、「イオナに限ってそんなことはあるか」とその時は鼻で笑った。
「覚えとけよ。女はなにかきっかけがありゃすぐ変わる。今はそうじゃなくても、これから思い立つかもしれねぇからな。」
「DQN返しってやつだね。」
「俺なら定期的に本音を探るけど、お前はやらなさそうだな…」
「もしやってみるなら洗濯バサミで挟むのはナシだから。普通に痛くて涙でた!」
「でもあれはあれでエロかったろ?」
「新世界の始まりを感じたかな。」
そのやりとりでどこら辺を挟んだのかを想像してしまい、なんだかよくわからない背徳感にやられながらゾロは言ったのだ。
「肝に銘じておくよ。」と。
◇◆◇◆
いまだにスゥスゥと眠るイオナ。
全く悪意など感じられないその寝顔に、やはり復讐なんて言葉は似合わない。
でももし復讐だったとすれば…。
イオナはきっと"自分がどれだけベタ惚れされているか"に気がついているはずだ。
裏切ることで最大の復讐になると考えているならば、たしかにサンジというのはソレにもってこいの相手だ。
なによりこの状況ですら、すでに自分は消耗しはじめている。胃の痛みで吐きそうになっている。
(って、待てよ、いや、待て!)
自分の思考に声をかける。
イオナがそんなことをするわけがない。 考えるわけがない。
『アイツらは腹の中にどす黒い生き物を飼ってやがる』
ポンッと頭に浮かんだ友人の台詞に、また胸が締め付けられた。そんなことはないと信じたいが、自分だって豹変する女にあったことがない訳ではない。
信じたいと思う反面で理解する。
もし、仮に復讐されたとしても─それは自業自得でしかない。
からかって遊んでいた自分が悪いのだ。
そんな過去があるにも関わらず、交際を持ちかけた自分がいけないのだ。
ここで彼女を責める権利はない。
イオナの頬に手のひらで触れると、彼女は目元をピクピクとさせた後、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
「お風呂…」
「ん?」
「お風呂、入らずに寝ちゃった…」
起こしてしまったことに慌てるゾロを前に、眠たい目を擦りつつ眼鏡を手探りで探すイオナ。
初めての朝を迎えた日には、彼女のそんな仕草に「こんなかわいい生き物がいるのか」と感動した彼だったが──この状況でそんな余裕はなく、棚の中から眼鏡ケースを取るとイオナへ手渡した。
「ん、眼鏡。」
「わぁ。ありがとう…。」
「風呂、沸かしてきてやろうか?」
「いいよぉ、私がやるぅ。」
彼女は胸を腕で隠しながら、あちこちに散乱した衣服をかき集め身につける。
「そんなみないでよぅ。」
「あ。あぁ、悪い…」
柔らかく滑らかな肌と、筋肉の少ないしなやかな四肢。謙虚すぎる胸元に、綺麗な曲線を描くクビレ。
それを知っているのは自分だけだと思っていただけに、サンジと密会を重ねていたことを知ってしまうと、その身体すらも別のものに見えてくる。
「どうしたの?ゾロぉ…」
「ぁあ?いや、なんにもねぇよ。」
この小さなぷっくりとした唇に、アイツは触れたのだろうか。
なにもかもを投げ出してしまいたくなるこの感覚をどうしても拭いたくて、ゾロはイオナをベッドに押し倒した。
●○●○●○●○●○
行為が終わった後、彼女は「もお!ゾロってばぁ。」といつもと変わらない調子で呟いて、浴室へと向かった。
一人ベッドに残ったゾロは天井を見上げながら、身体に残る彼女の体温や感触を確かめる。
一時的な快楽に逃げたところで、フツフツと沸き上がる虚無感が拭えるはずもなく、むしろ酷くなってしまった。
いつもより乱暴にしてしまったせいか、イオナがやけにビクビクしていたのを肌で感じ、二重に罪悪感にかられる。
(なにやってんだろな、俺は…)
この状況を打破するなんて、簡単なことなのだ。
イオナを信じて、みたものも忘れて、今まで通り恋人として過ごす。
彼女を手放したくないと考えている以上、そうするしか他はない。
そこでまた悪魔の囁きが頭の中で響き渡る。
『誰だって危機感感じたら素が出ちまうもんだろ?モヤモヤしてるくれぇなら先だって試しとくに限る。』
「試す…か。」
それが悪魔の囁きであるとわかっていても、今のゾロにとっては唯一の救いの手とも感じられる。
湯船でのほほんとしているであろうイオナの姿を頭に浮かべながら、ゾロはのっそりと腰をもちあげた。
○●○●○●○●○●○●○
「あわわ…、どうしたのー?」
どうやらゾロが浴室の戸を開けたタイミングで、イオナは湯船からあがろうとしていたらしい。
彼女は身体を隠しながら、慌てて湯船に戻ってしまう。
「いや、俺もシャワーに…」
「そう、なんだ…。」
眼鏡をかけていないイオナからは、こちらの顔は見えていないだろう。ゾロはそう考えていたため、特に表情を意識することはなかった。
きっと彼女が眼鏡をかけているときならば、ちょっとした顔色の変化に気づかれてしまうのでやりずらかったろう。
この部屋のシャワーは、お湯と冷水のレバーをそれぞれ捻り水温を調節するタイプ。
ちょっと古いタイプではあるが、これなら一か八かで『試す』ことが出来る。
ゾロはシャワーの排出口をイオナへとむけると、湯のレバーのみを一気に捻った。
勢いよく飛び出す湯がイオナへと降り注ぐ。
彼女は「キャッ」と声をあげ、湯船の中で立ち上がった。湯気に包まれる恋人の裸体にエロさを感じる余裕もなく、慌ててレバーを絞る。
罪悪感は3倍増し。
やるんじゃなかったと後悔するゾロを前に、放水が止まったのを確認したイオナは、ちゃぽんと身体を湯に沈めた。
「熱いよ、ゾロぉ…」
「おぉ、悪い。」
全裸でシャワーを握りしめて、いったい自分はなにをやってるんだろうか。
髪から水滴を垂らすイオナへと目を向けると、彼女は不安そうに眉を寄せ、顔を傾けていた。
「なんだよ。」
「どうかしたのかなぁって。」
「……。」
「起きたときから変。ゾロ、なんだかおかしかった。」
熱湯をかけられたというのに、かけた相手の心配する恋人。その様子に一気に呆気にとられる。
(なんだよこれ。絶対、復讐なんて勘違いじゃねぇか。)
自分の愚かさに泣きたくなった。
それがわかったところで、まだわからないこともある。もちろんそれはサンジのこと。ただそれは言い出すのが怖かった。
イオナに背を向け、身体ごと彼女の視線から逃れる。どちらにしろ、表情なんて見えていないだろうが、自分が相手の顔をみていられなかったのだ。
なにか言わないといけないとわかっていても、中途半端なことを口にすれば余計に不安そうな顔をさせてしまうだろう。
結局、自分は安全策を選んだ。
「なぁ、1ついいか?」
「なぁに?」
「ガキの頃の話しになるけど…、その、なんだ。俺のこと、恨んでなかったのか?」
「恨む?」
「いろいろしたろ、酷いこと…」
このタイミングで過去のことを引っ張り出して、その場をはぐらかそうとする。
サンジとの関係については、最悪、サンジに聞けばいいのだ。聞いてぶん殴っておけばいい。
そこまで考えていたゾロだったが、しばらく考え込んでいたイオナの放った言葉に完全に意識を持っていかれることになる。
「たしかに意地悪もしてきたけど…、でも守ってもくれてたでしょう?」
「あ?」
思わず振り返り、イオナへと視線を向けてしまった。すると彼女は、シュンっと肩を潜めて言う。
「やっぱり覚えてなかったんだぁ。」
「覚えてねぇもなにも…」
そんな事実はあったのだろうか?
どんなに思い出そうとしても、その頃の思い出はすべてぼんやりとしている。まるで、無理矢理忘れようとしたかのように、白い靄の中で蠢いているだけ。
眼鏡をかけていないイオナに見つめられながら、しばらく考え込んでいると…
「私が後ろからランドセル蹴飛ばされて転んだときに、コイツをいじめていいのは俺だけだ!とか言って、相手の子と喧嘩したの覚えてない?」
(あ…。)
「給食の後片付けを一人でやらされてた時にぃ、「いじめらんねぇだろ、早く終わらせろ。」とか言って、手伝ってくれたのはぁ?」
(ぁあっ!)
「掃除もよく手伝ってくれてたよぉ?」
(あわわわわわわ…)
言われてやっと思い出したのは、やったあとに恥ずかしくて仕方なくなり、必死で忘れようとしたお節介の数々。
沸き上がるあまりの熱量に、ボフッと音をたてて顔が赤くなってしまう。
しかし、それが見えていないのかイオナはいつもの調子で、おっとりと続ける。
「いつも、うれしかったんだぁ。自分は地味眼鏡とか、残念眼鏡とかって酷いあだ名で私を呼ぶのに、他の子がブスって言うと、すごい剣幕で怒ってくれるの。」
「わ、わかった。思い出したから、もうそれ以上続けるな。」
ぽんやりしていたはずの過去がやけに鮮明に、色鮮やかに脳内に映しだされる。
まだまだガキ臭いカッコつけな自分は、どこまでも痛々しい。きっとこうして、"黒歴史に悶え苦しまないように "自分自身で記憶に靄をかけていたのだろう。
そしてもうひとつ、一番大事なことを思い出した。
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