ガキ大将と眼鏡っこ
ゾロがイオナと再会したのは2年も前の話。
コンビニで売り切れていた漫画の新刊を買おうと、本屋に出向いた時にレジを担当したのが彼女だった。
「ロロノアくん…ですか?」
「お、おう。そうだけど…。」
ポケットの小銭を数えるのに必死だったために、店員の顔など確認していなかった。
声をかけられて慌てて顔を上げた彼の目に入ったのは、なんの洒落ッけもない地味な眼鏡と、あからさまに怯えたような表情。
たしかに見覚えのある顔だ。
あの頃よりは遥かに大人びた顔立ちになってはいるものの、面影はたしかに残っていた。
あからさまに自信の無さげな、困ったような顔をしていて、いつも誰かの影にソッと隠れているような女の子。
幼かった頃の自分は、そんな彼女の態度にずいぶんと腹を立て、"酷くからかっていた"記憶がある。
ついついやりすぎて泣かしてしまったことも何度もあった。泣かしてしまった直後は反省するのに、後日顔をみるとついまた弄ってしまう。そしてまた、泣かしてしまって…
そんな関係を続けたまま中学へ進学。
それと同時に彼女は転校し、県外へと引っ越してしまった。
大学生になっているとはいえ、この町で再び出逢えたことに純粋に驚いてしまう。
「地味眼鏡…。」
「その呼び方はやめてよぅ。」
思わず口から飛び出した過去の愛称に、イオナはあからかまに苦笑する。
眉を潜めて口角を持ち上げたその表情が、妙に"かわいらしく"思えた。身長差からどうしても見上げられている位置関係になるからか、それとも…
懐かしい感覚が甦るとともに、新しい感情が流れ込む。
妙に心を乱された。
最初はいじめていた相手に再会したことで、『罪悪感』が沸き上がったのかとも思った。
それでも彼女が気になって仕方なく、暇さえあれば読みもしない漫画を買いに本屋へと出向き、眼鏡の奥で目尻を下げるイオナと挨拶を交わす。
そんなことを1ヶ月も繰り返しているうちに、今感じている感情が『罪悪感』なんかじゃないことに気がついた。
アドレスを書いた紙を渡すなんていう、子供じみたことをしたのは始めててで、受け取ったイオナすら目を丸くして驚いていた。
それからちょくちょく本屋以外で逢うようになり、1ヶ月ほどして告白。
するとイオナは「また罰ゲームなの?」と泣き出してしまった。どうやら過去にそんなイタズラをしていたらしい。
傷つけたと気がついた時にはもう遅く、彼女は謝罪の言葉を口にして立ち去った。
それからしばらく時間を置いて、本屋に顔を出すと彼女がいて…。
「もう一回チャンスをくれ」と頭を下げると、「はい。」と返事があり、またプライベートで逢うようになって──。
そんなレベルのやり取りを15回くらい繰り返し、やっとのことで交際に持ち込めたのは約1年前。
その時になってすら、イオナは警戒しっぱなしで、態度もずっとぎこちなかった。
子供時代の自分がどれだけの傷を彼女に負わせてしまったのか。
それを考えると非常に腹立たしく、過去にトリップできるならガキ大将を気取っていた自分を殴り飛ばしてやりたいとすら思った。
しかし、そんな日々ですらもう過去の事。
半年ほど前から、イオナが一人暮らししている部屋に入り浸るようになったせいか、やけに距離が縮まった。
何かの拍子に「結構貧乳だよな」といったニュアンスの言葉を口にして、盛大に泣かせてしまったこともあったが。
それでも関係は良好だった。
絶望的なほどに料理は出来ないけれど、それ以外は非の打ち所のない恋人。
眼鏡がチャームポイントで、ちょっとだけおっとりしていて、なにより照れ屋で。
いつだって彼女の前では胸の奥が締め付けられるような、身体の中心から熱が沸き上がるような感覚を覚えさせられる。
今までの恋人に対して抱いていた感情と、イオナに対して抱いている感情はまったく違う。
好きで好きでたまらない。
そんな言葉をポンと頭に浮かべて、胸を熱くする日がくるとは夢にも思っていなかった。
だからこそ。
ゾロは今、人生最大の不安に捕らわれ、全身からジットリとした冷や汗を流すこととなっているのかもしれない。
●○●○●○●○●○●
30分前。
情事後の汗ばんだ身体のまま、二人は狭いベッドで肌を密着させていた。
といっても、ゾロがその筋肉質な腕で、がっちりとイオナの華奢な身体をホールドして離さなかっただけ。
「シャワー浴びてきてもいいかな?」
「もうちょっといいだろ。」
「でも眠たいよぅ。」
ずれた眼鏡を直しながら、ゴニョゴニョと身動ぎする恋人の姿をみて、ゾロはやっぱり嬉しくなる。
「なぁイオナ、俺のこと好きか?」
「当たり前じゃん。そうじゃなきゃ…」
「そーじゃないだろ。」
ゾロは額をイオナの額へくっつける。必然的に上目遣いになりながら、彼女は口をもごつかせた。
「うぅ…。言わなきゃダメ?」
「おう。頼む。」
恥ずかしそうに頬を染めるイオナをみつめ、白い歯をみせる彼は、まるで宝箱をみつけた子供のよう。
期待に胸を膨らませ、続く言葉を聞き逃さんと聴覚に意識を集中する。
そんな無垢な視線によってプレッシャーをかけられたイオナは、いつもよりずっと頼りない声で呟くのだ。
「大好きだよ、ゾロ。」と。
今にも泣き出しそうな声に、沸騰しそうなほどに真っ赤な顔に、彼はまた胸をキュンッとときめかせる。
「あぁ!俺もだっ!」
そう声をあげると、既に彼女を拘束するには充分なほど力を込めていた腕に、更に力を込めた。
身体に骨がミシミシいいそうなほど強く抱きしめられ、イオナは苦しそうに声をあげるも、それが彼に届く訳もなく。
「うぅ。苦しいよぅ。」
「なぁ、明日どうする?朝飯食いに行って、映画観るだろ?あと…」
「まずは力を抜いてぇ…」
「にしても、久し振りだな。揃って休みなんて。」
嬉しそうな顔でそう言い、いろんな意味で顔を真っ赤にするイオナの額に唇を押し当てるゾロ。
これがいつものことなのか、彼女はされっぱなしで、困ったように笑みを浮かべ続けている。
しかしお構い無しの彼は嬉しそうに恋人を愛で続けた。
その一方でおでこチューついでに腕の拘束が弱まり、身体へと圧が取れだいぶ楽になったイオナ。
外に出ている時は無口な彼が、積極的に翌日の計画を一人話し続けている間に、ウトウトしはじめ、次第に眠りに落ちていった。
スゥスゥと寝息の音が聞こえ、ゾロは腕の中のぬくもりへと視線を落とす。
眼鏡をかけたまま寝るとテンプルや蝶番が曲がるとかなんとか言っていながら、いつも通りかけたまま寝落ちしていた。
ベッドの中でははずしておけばいいのに、話してる相手の表情が見えないのはイヤだからと言ってやめようとしない。
自分の話を彼女が聞いていなかったことには全く腹を立てず、すでにずれかかっている眼鏡をソッと外してやる。
眼鏡を外したときの雰囲気の変化にドキリとさせられるのは言うまでもなく。
何度もみてきたハズの寝顔を前に、ゾロは生唾を飲み込んだ。
『コンタクトにしようかな。』と言い出した時、全力で反対してよかったと思う。
眼鏡がないとイオナらしくない。というのももちろんあったが、外したときの彼女を独占できる感じもたまらなく支配欲を刺激された。
眼鏡をベッド脇の棚にある眼鏡ケースへと片付けると、やはり寝顔をマジマジと観察する。
こういったシチュエーションでは先に寝てしまって怒られることの多かった自分が、恋人の寝顔を眺める日がくるとは。
─やっぱかわいいな…
鼻をつついてみるとちょっとだけ顔をしかめて、小さく愛くるしい声で呻く。
いつみても。どれだけみても、飽きないのだからたまらない。
この時までゾロは"自分が世界で一番幸せ"だと感じていた。 なんの不安もなく、ただ毎日同じことを繰り返して、同じように笑って…。
こうして一緒に過ごしているだけで幸せだと思えていた。
心地のいい寝息を耳にしていると眠たくなってくる。自分もそろそろ寝ようかと、ゾロが瞼を閉じた時。
イオナが急に「フフッ」と笑いを漏らした。
それが寝言だとわかり、「やっぱりかわいいな。」と感じた彼だったのだが。
その直後に、彼女は小さく呟いたのだ。
「サンジくん…」と。
(おいおいちょっと待てよ。)
全身から血の気が引いていく。
身体中の汗腺から冷や汗が溢れる。
心拍数が爆発的に上がる。
(なんでよりにもよって…)
サンジとイオナは自分を通じて知り合う前から、『何故か』顔見知りだった様子だった。
顔を合わせた途端に、サンジの方が「イオナちゃん?」と彼女へ声をかけたのだ。イオナの方は、「えっと…、そうですけど?」とあからさまに他人行儀だったので気にも止めていなかった。
ただ寝言で名前を口にするほど親密だったのならば…
動揺しきってしまっていて、頭がうまく働かないゾロへの追い討ち。
イオナのスマホが小さな機械音を発して、緑のランプが点滅する。それがラインの通知であることを知っている彼は、ソッとその画面を覗き込む。
彼女が起きてしまわないか不安に感じつつも身体を起こし、それを手にとり…
パターンロックの画面を操作する。
あっさりと解除され、展開する画面。そこには新着ラインのメッセージが画面の中央に表示されていた。
《明日の晩だけど、暇かい?》
その文面で誰だかハッキリ理解できた。だいたい文末に「かい?」なんて入れるのはアイツくらいだ。
自分の警戒心の薄さを思い知ると同時に、過去に何度かイオナから煙草の臭いがして「おや?」とおもったことがあったのを思い出す。
あの時にちゃんと問い詰めておけば…
過去のメッセージのやり取りにまで干渉する気にはなれなかった。みたらもう引き戻せない気がしたし、立ち直れないような気すらした。
昨日、サンジと自分は顔を合わせている。
(どんなつもりで俺とつるんでやがった?)
一瞬、殺意にも似た感情が芽生えるが、無意識のうちにブレーキがかかる。
たしかに女好きではあるが、友達の彼女に手を出したりはしないはずだ。なぜなら、別れ話がこじれた時に『女の子』を傷つけてしまうかもしれないから。
彼のそういった女神様思考は尊敬に価するが、ならばなんでイオナに?
手にしていたスマホをもとの位置に戻し、ただひたすらに考える。
(なんで、イオナとアイツが?)
そこで不意に、イオナとの馴れ初めをキッドに話した時のことを思い出した。
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