Mission's | ナノ

廊下で訝しむ目をしたままのナミと別れ、キッドと二人で講義室に向かう。肩を並べて歩いていると、まるで彼女にでもなったかのような錯覚に陥ってしまいそうなものだが、友人としての距離も悪くはなかった。

「イオナ、眠たくねぇか?」

「なに?藪から棒に。」

「ホテルでも行こうぜ。」

「やだ、エッチ。」

こんな冗談はザラで、最初こそ戸惑ったものの今では軽く流せるようになっていた。

「お前の言うエッチってのがかわいくてしかたねぇんだよ。」

「はいはい、そーですか。」

何度言われても照れる。デレることもしないで、ただいつもの調子で口にするキッドの本心は一体どこにあるのか。

照れ隠しにそっけない返事をしながも、イオナはチラリとキッドの表情をうかがう。

なんと、彼は本当に眠そう顔をしていた。

なんだか残念だ。

でも、それより気になったことが一つ。

彼が提げているイオナのガーリーなデザインのバッグのことだ。キッドのファンキーな服装の中出で、それは妙に浮いていた。というより、不自然すぎて失笑ものだと思った。

「バッグもういいよ。」

「でもこれ、結構重ぇだろ?」

「いいってば。」

強い口調で言い放ったイオナは、キッドの腕から強引に自身のバックを奪い取ると、抱き抱えるようにそれを持ち、早歩きし始める。

キッドは一瞬なにが起こったのかと唖然としていたが、すぐに気を取り直してせかせかと前を行く背中を追いかけた。

廊下を進んだところにあるのは、映画館のような大きなドア。少し前を歩いていたイオナは自然とノブに手をかける。

途端にキッドが「おい。」と低い声をあげた。

何事かと振り返る関係のない生徒たち。彼らには目もくれず、キッドはズカズカとイオナに歩み寄るとぶっきらぼうに言う。

「そこは俺が開けるつってるだろ。」と。

早くついた方が開けたので良いような気もするが、彼はそれでは納得しない。

「そうだった。ごめん。」

イオナは言われた通り、一歩下がってドアが開かれるのを待つ体勢となる。満足げなキッドが乱暴にノブを引くと、暖房の温い風が頬を撫でた。

「ほら入れ。」

まるで自分の家に招待でもするかのような台詞と、ドヤと言わんばかりの笑顔。

こんな子供っぽいところにもまた胸をくすぐられたり、ドキドキさせられたり。普段の素行の悪さのおかげか、ちょっと愛くるしいところを見せられると、すぐにクラッとしてしまうのだ。

肝胆にお礼を告げ、講義室に足を踏み入れる。そこそこの広さであるそこは、演芸ホールのような形になっていて、長い4人がけの机がたくさんある。

最後尾の左側奥が二人がいつも座る席。

いつもなら(キッドに絡まれるのが怖いため)誰も座ることのない席であるのにも関わらず、今日は少しばかり柄の悪い生徒が先に座っていた。

「俺らの席に座ってる奴がいやがる。」

「いつも同じとこじゃなくてもいいじゃん。」

彼は様々なこだわりがある。

なんの脈絡もなく、突然取り決められるこだわりは非常にめんどくさい。

でも、クスリと笑ってしまうような小さなこだわりについては、自然とイオナの中にも染み込んでいた。

「でも、あっこがいいだろ?」

「私はどこでも大丈夫だって。」

「俺はあっこが…」

「はいはい、こっちに座るよ。」

今にも喧嘩を吹っ掛けそうになっているキッドに、右側の席へ座るように促しながらイオナはそこへ荷物を置く。

キッドはいつもの席を睨み付けながらも、しぶしぶ右側の席へ乱暴に腰を下ろした。

「来週は早めにこようね。」

「だいたい、ナミが喧嘩売ってくるから…」

ぶつぶつと文句を言うキッドの姿がイオナの目には、危なっかしくも愛らしく映る。

どちらかと言えば、勇ましい彼より、子供のように駄々をこねる彼のほうがイオナは好きだった。

講義が始まり十数分。

教授の声にかぶせるようにして、”いかにも”な寝息が響き始める。イオナが隣に目を向けると、いつもの荒々しさや勇ましさの消えた穏やかなキッドの寝顔。

イオナは寝ているキッドが特に好きだった。

どんなに周りの生徒がイビキを煙たがろうが、この寝顔をみていたいがために彼女はわざと起こさない。

時々鼻を摘まんでみたり、こよりを鼻に突っ込んでみたりして遊んだ後、彼の腕の下にあるノートを引っこ抜いて黒板を写しておく。

結局、彼はなにをしても起きなかった。

講義が終わり、喧騒を取り戻した教室。退室する生徒たちはいまだ豪快にイビキをかき続けるキッドにじっとりとした目を向ける。これもいつものことだ。

さてキッドを起こそうかと、腰をあげたイオナのスマホにナミからの連絡が入った。

そこには短く《ごめん。今日はもう帰る!》と書かれており、その後を追うように、大袈裟な土下座スタンプが送られてくる。

ナミは土下座スタンプを多用するのだが、これを見るたびに「謝罪の意思はないんだな。」とイオナは思っていた。

そして、もう一文。
《あのこと考えといてよ。》と送られてくる。

ここで初めて、彼女は表情を変えた。

「あのこと…」

キッドたちの別れ話が聞こえてくる前、中庭でナミがしていたのは、今度行われる予定の合コンの話。イオナはそういった席はあまり好きではないので、何度か断ったものの「考えてから決めて」と受け入れてはもらえなかった。

今、誰かに出逢ったところで…

イオナは考える。キッドを好きなまま出会いを求めに行くのはどうかしているのではないかと。

キッドへの気持ちを吹っ切る理由をみつけるために、他の男性と出会うだなんて間違いを犯すきっかけになりかねない。

優しい言葉にほだされ、乗せられ、もしものことがあったとしたら…

そこまで考えたところで、「なあ、あのことってなんだ?」と声がした。

突然、耳元で呟かれた寝ていたはずの人の声。イオナはびくりと身を振るわせた後、慌ててスマホをポケットに仕舞い込む。

「画面覗かないでよ。」

「俺に内緒ごとかよ。おいっ?」

「たいしたことじゃないから。」

「なら教えてくれよ。」

「しつこいよ、キッド。」

複雑な気分だった。

彼は自分のプライベートはほとんど明かさない。そのくせ、妙に詮索してきたり、干渉してきたりする。おまけに恋人がいようといまいと、関係なくこうして校内では一緒に過ごす。

でも、ただの友達。

それ以上になれる?

「今日は飯おごってやるよ。」

「え?あ、うん。ありがと。」

ニカッと笑うキッドの笑顔を前に、イオナの胸はずっしりと重くなった。

○●○●○●○●○●

prev | next