Mission's | ナノ

蚊取り線香の懐かしい香りに鼻孔をくすぐられ、目を覚ます。

誰が焚いてくれたのかはわからないけれど、この香りを嗅ぐだけで温かい気持ちになるのだから不思議だ。

のっそりと上体を持ち上げると腰の辺りには、タオルケットがかけられていた。

「今何時…?」

重い瞼を擦りながら、辺りを見回すも自宅でないため何がどこにあるやらわからない。

なんとか起動しそこなっていた分の意識を呼び起こし、ここが祖父母の家であることを思い出した。

仏壇そばの柱時計へと視線を向け、今が19時前であることを知る。

どうやらボーッとしている間に、眠りこけてしまったらしい。

すでに鋭かった日差しは陰り、肌に触れる風が冷ややかになっていた。

蚊取り線香やら、タオルケットやら親切心がうかがえる。

「お母さん帰ってんのかな…」

昼過ぎに墓掃除へ向かったはずなので、そろそろ戻ってきていてもおかしくはない。

けだるい身体を持ち上げ、扇風機のスイッチを切る。

蚊取り線香の火を消そうと豚ちゃんの受け皿を覗き込む。真新しい線香がほんの数センチ、灰となって落ちていた。

赤い先端から少し余裕を持たした部分を折ると、灰受けへと落とす。

縁側の引き戸を閉めた後、内側から突っ込むだけの古いタイプの鍵をかけた。こんな鍵で安全を守れていることが不思議だ。

素足のままペタペタと板の間の廊下を進み、台所へと向かう。

遠くからでもわかる煮物の匂い。
ほかにも揚げ物油の匂いや、米の炊ける匂いがする。

もうすでに支度は整っているのだろう。

ふとゾロに手伝うように言われたことを思いだし、やってしまったと肩をすくめる。が、今さらである。

台所では、母親と親戚のおばちゃんが数名賑やかに腕を振るっていた。

「やっぱお母さん帰ってたんだ。」

せっせと煮物を盛り付ける母親に声をかける。つまみぐいしようと伸ばした手はぺちんと叩かれてしまった。

「こんな時間までなにやってたの?あぁ、それよりほら、そこに充電器あるわよ。」

母親が顎で指した先。
そこにはちいさなdomocoの紙袋。

初日に諦めろと言われたそれがここにあることに驚いた。

「買ってきてくれたの?」

「お母さんじゃなくてゾロくんよ。」

「え?」

「畑手伝うから車出してくれっておじさんに頼んだんだって。御礼言っときなさいよ。」

あぁ、そっか。
だからあのタイミングで。

頭は冷静に状況を飲み込み、胸だけが大きくドキリと音をたてる。

母親の言葉に、返事をするのも忘れて紙袋へと歩みより手に取った。

そのまま台所から出ようとしたところで、背後から母親の声。

「今、ゾロくんうちのお父さんとお風呂入ってるから、御礼は後にしなさいね。」

なんで?と聞きそうになり、思い止まる。

ここの風呂はとっても広い。息子なんて居ないクセに息子と風呂に入りたいと言っていた父親のことだ。

そんな空想にゾロを巻き込んだのだろう。

「うん。」

一人納得し、母親に向けて頷いたところで聞く予定だったことを思い出す。

「お母さんさ、仏壇の部屋に蚊取り線香炊いた?」

「いいえ、どうして?」

振り返って母親の表情を確認するも、どうやら嘘はついていないらしい。

「うぅん、なんでもない。」

「そう。もうすぐご飯だから、充電器差したらすぐ戻ってきなさいよ。」

「わかってる。」

ちゃんと返事はできていたけれど、ほんとは話なんて聞こえていなかった。

トボトボと自分の割り当てられている部屋へと足を進める。

蚊取り線香、タオルケット…

きっとゾロだ。

うれしいと思う反面、ずるいとも思う。

イオナは足を止め、廊下のちいさな窓から外を眺める。

懐かしい心地の良い田舎。
ひさしぶりに逢った親戚。

そんなことされたら─。

「おい、イオナ?」

突然声をかけられ、身体がビクリと跳ねる。声の方へと顔を向けると、ゾロが首からタオルをかけてスッ立っていた。

「あ、ゾロ…。」

御礼を言わないと。そう思ったのに言葉がでない。

ずっと昔に隠してしまったはずの感情が、今になって溢れてしまいそうで怖くなる。

「飯、食うんなら行こうぜ。」

「あぁ、うん。じゃ、荷物置いてくる。」

結局、御礼も言えていないのに、あからさまに背を向けてしまう。それに気がつかないのか、ゾロはいつもの調子。

「じゃあ、ここで待ってるわ。」

投げ掛けてくれた声にも返事はできない。

振り返ることもなく、頷くこともせず、ペタペタと大袈裟に足音を立て、ただまっすぐに突き進む。

心臓の早鐘が鳴り止まない。
手のひらにたくさんの汗を握る。

あふれそうで、こぼれそうで─。

こんな些細な動揺も隠しきれないのに、あと2週間…。

毎日顔を会わせるなんて…。

「私、もつのかな。」

自分の部屋で、閉めたばかりのふすまに背中を預け、イオナは小さく呟いた。

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