ロー短編 | ナノ

公開宣言

ここ数日はブルーな気分。

マネージャーの機嫌は悪いし、恋人には会えないし。でき損ないの愛想笑いと、作り込まれた愛嬌を振り撒いてスケジュールをこなすほどに、爆発してしまいたい願望は増すばかり。

私には「アイドル」なんて向いてない。そんなことは最初からわかっていた。

イオナは深い溜め息をつく。
鏡に映った自分の表情はずいぶんと暗い。
死んだ魚みたいな目をしている。

先程までスポットライトを浴びていたあの笑顔は、あの瞳の煌めきはいったい何処にいってしまったんだろう。

そんな下らない自問自答に失笑してしまう。

イオナが週刊誌に写真を撮られたのはほんの数日前。そして、明日がその週刊誌の発売日。マネジャーの顔色が変わった。真っ青から真っ赤になった。頭ごなしに怒鳴られて、ひどく腹が立った。

けれど、それ以上に心配なのは、恋人であるローのこと。堂々としている風で実際は繊細な恋人。彼とホテルから出てきたところを写真に撮られた。

記者の無礼な態度にローは無言で怒っていたし、私は動揺した。仕事がなくなることはどうでもいい。問題は彼が研修医であり、ある程度特定されやすい存在であることだった。

イオナはLINEの画面を開く。
あの日からローと連絡を取っていない。
こちらがバタバタすることを察したのだと思う。もしかしたら、めんどくさい私のことなんか嫌になったのかもしれない。

「どうしよう。」

なんて打とうか。
どんな言葉を送ろうか。

明日が雑誌の発売日だよと伝えたところで、彼は喜んだりしないだろう。目線の入られた自分の写真なんて見たいわけがない。

実際のところ、スマホの画面とにらめっこしている場合ではなかった。イオナはblogにアップするための謝罪文を書くようにマネージャーに言いつけられている。記事が載る前に先手を打てということらしい。

けれど、そんなことはどうでもいい。

解雇にでも、なんにでもしてくれと思う。
今は仕事より恋愛の方が大切なのだから。

悩むほどにこんがらがる頭。天井を見上げ、ぐるぐると首を回していると指先が震えた。

画面に視線を向けるとそこには着信中の文字。
その相手の名前が視界に飛び込むやいなや、親指は勝手に画面をタップする。心臓から送り出される血流が爆発的に増した。

「…俺だ。」

もしもしも言っていないのに、彼はせっかちに口を開いた。久しぶりに聞く声が電話越しなのは残念で、口調は相変わらずのつっけんどんだけれど、充分に暖かかった。

「久しぶりだね。」

「3日ぶりだ。」

「元気にしてた?」

「あぁ。」

電話越しに失笑が伝わってくる。
たった3日会わないだけで、なにを聞いてくるのかと思ったに違いない。

けれど3日を笑うものは3日に泣くのだ。その3日のうちに私が浮気していたとしたら、きっとローは後悔したに違いない。

イオナは勝手にそんな妄想を巡らせてみたけれど、泣いている恋人の姿は想像できなかった。

無意識に口元が綻ぶ。
こうして充たされる瞬間こそが永遠であればいいと思う。けれど現実はそこまで優しくはない。

「明日載るのか?」

「うん…。そうみたい。」

記者はローにまで連絡をしたのだろうか。だとしたら、本当に不躾だ。クレームをいれてやろうか。

神妙な口調で返事をしながらも、腸は煮え繰りかえっていた。ローの前では口にしたことのないような汚い言葉が、脳内で乱舞している。手のひらには握りしめた爪が食い込んでいた。

「マネージャー、怒ってた。詳しい話するのも忘れるくらい。うん、怒ってる。」

「…気にしているんだな。」

あえて甘えた調子で話してみたけど、ローは慎重な物言いを選んできた。自分の憤怒が無意識に伝わってしまっていたのかもしれないと焦るけれど、受話器越しでは確認のしようがない。

「そりゃ、多少はするよぅ。ローは平気みたいだけど。そっちは大丈夫なの?」

「何の心配だ?」

「そりゃ仕事だよ。影響がでるかもしれないから。」

「フンッ、そんなことか。」

「そんなことって…」

ローは余裕なのか。はたまたそんなフリをしているのか。鼻先で息を漏らして笑った。そして続ける。

「なにか問題が起こったからといって、いちいち気にかける必要はない。俺は俺のやるべきことをするつもりだ。」

「やるべきこと?」

「あぁ。起こってしまったことはどうしようもない。悩むのは無駄だ。」

「無駄って…、そんな。」

「むしろ、オープンになったことを喜ぶべきじゃないのか?」

議論を好まないローは一方通行に会話を進める。もしかしたら、長くは話せないという意思表示なのかもしれない。イオナは耳を傾ける。

「俺たちは忍ぶ関係から解放された。今回のことはそう考えればいい。状況に感謝するんだ。」

予想外の発言にポカンとしてしまう。ローにしては慎重さをやけに省いた考え方だ。イオナがすぐに返事をしなかったせいか、彼は念を押す。

「俺たちはポジティブな関係だ。後ろめたいことはひとつもしていない。」と。

「それはそうなんだけど…」

「俺を信じろ。俺たちの関係をイオナ自身が認めろ。イオナは俺を愛していればそれでいい。」

捲し立てるように胸キュンワードが飛ぶ。苛立ちはすでに凍結済み。のぼせた頭がクルクルする。

そこに止め一言が降り注ぐ。

「センテンススプリング。」と。

おもわず、「え?」と声を盛らすけれど、そこで通話は途切れた。いったいその単語が何を示すのかわからないまま、遮断音だけが耳元でこだまする。

「ロー、どこかおかしくなっちゃったかな?」

イオナは心配を口にしながらも、クスリと笑う。きっと彼は元気付けようと似合わないギャグを口にしたのだ。

そのギャグの意味こそり理解できなかったものの、鏡に映る自分は3日ぶりに本当の笑顔を浮かべていた。


END

prev | next