ロー短編 | ナノ

コンビニ

「お会計は967円になります。」

「あ、はい…。」

明るい女店員の声を前にイオナの思考はフリーズした。まさか、財布を持たずにコンビニに来てしまうとは。そして、レジが打ち終わるまでにそれに気がつけないとは。

後方に並んだ客を意識しながら、財布の入っていないバッグを漁る。

どれだけ漁ったところで、このバッグに財布が入っていないことはわかっている。それでもその動作をやめられないのは、財布を忘れたことを素直に告げられないから。

いつまでもこうして粘っているわけにはいかないだろう。むしろ早いうちに事実を告げてこの場を立ち去る方が聡明なはず。

けれど、その勇気がない。
すでに30秒以上はこうしている訳で、今さら「ありません。」などと言える訳がなかった。

せめてコンビニのカードはないだろうか。貯まっているポイントで会計できるかもしれないし、チャージしているはずのマネーがある程度残っているはずだ。

イオナは藁にもすがる思いで、コートのポケットに手を突っ込んだ。

右側のそこではいつかのレシートがぐちゃぐちゃになっていた。きっと飴かなにかの包みもある。どれだけ探ったところで、ガサツな性格を象徴するゴミどもが詰まっているだけ。

左側には自販機のおつりだろうか。わずかながらの小銭が入っている。いついれたものかも思い出せないけれど、そんなこと今はどうだっていい。

指先で枚数を数えてみる。若い女がコートのポケットに裸銭なんてイメージが悪い。足りないかもしれない小銭を手のひらに乗せるような恥知らずな真似は出来なかった。

店員の笑顔は崩れない。それがまたプレッシャーで、どうにかしてしまいたくなる。お金がないと素直に告げればいい。また来ますからと言って立ち去ればいい。財布を持ってくるだけの時間を要求すればいい。

たったそれだけのことなのに、小心者の自分は持ってもいない財布を探し続けてしまっている。

「あの、えっと…」

苦し紛れに言葉を発する。まるでタバコが欲しい人みたいに。視線を店員の背後の棚へと向けて。

最近のコンビニ店員は煙草の銘柄を告げると「番号でお願いします。」と言い返してくると言う。以前バイトしていた居酒屋の先輩がそれに対しての不満を漏らしていた。

けれどその気持ちもわかる。これだけの種の銘柄があるというのに、いちいち覚えていられない。喫煙者でもない限り、マルボロもセッタも知ったことではない。だいたい、なぜマイルドセブンはメビウスになったのか。

イオナは過去の交際相手が吸っていた煙草の銘柄を思い出しながら、胸中で苦言を呈しながら、どうしようもない時間を稼ぐ。

イオナの視線に気がついた店員もなんとなく背後の棚、番号をつけられた煙草の陳列へと目を向ける。

時間は稼げた。けれど、状況は変わらない。
財布を持っていないことは事実。変えられない事象であり、会計を済ませられないことは決定付けられている。それにも関わらず、時間を稼ぐという無謀さ。

きっとこの破天荒さは叔母譲りだ。そうに違いない。

イオナは再びバッグへと視線を落とす。まるで銘柄がわからず、戸惑っているかのような演技をしてみせながら。

ポケットの小銭と足して1000円くらいになればいい。バッグの底に小銭が転がってないだろうか。

そんなイオナの無謀な捜索は、背後から伸びた腕と低い声によって打ち切られた。

「これで頼む。」

その声はどうやらすぐ後ろに並んでいた客のものらしい。後方から伸びた節だった指が1000円札を2枚レジに乗せた。

イオナは思わず「え?」と声を漏らす。店員も驚いた顔をしている。振り返ってみると、その人は同年代の男性であり、神経質そうな顔をしていた。

見覚えがあるような気がしないでもない。けれど、会計を負担してもらえるほど親しい存在でないのは確かだ。

何故。なんのために?

「こっちも一緒に会計してくれ。袋は別だ。」

「か、かしこまりました…。」

動揺を隠しきれない店員はどぎまぎしながら、男性客の出したかごを受け取りレジを打ち直し始める。けれど、それ以上にイオナの方が驚いている。

まじまじとその男性客の顔を眺めていると、彼はイオナを一瞥した。そして、視線を店員の手の動きへとスライドさせ、口角をわずかに持ち上げた。

その微笑みの意味するところとはなんだろうか。

「お会計は1682円になります。2000円からのお預かりでよろしいでしょうか。」

「あぁ。」

男性客は釣り銭を受け取るとすぐにレジ横の募金箱に入れてしまった。スムーズな動きからして、それはいつものことなのだろう。

100円玉を募金箱に入れるなんてとイオナは驚愕しつつ、店員からレジ袋を受けとる。男性客もそれに続いた。

イオナと男性客は一緒にコンビニをでる。昼間の忙しい時間に、レジの前でずいぶんと粘ってしまった。その恥ずかしさ以上に、知らない誰かに奢られた不自然さを意識してしまう。

少し歩いたところで、恐る恐る声をかけてみる。

「あの…」

「なんだ?」

「どこかでお逢いしましたか?」

「どういう意味だ?」

「だって。これの代金、代わりに…」

イオナはレジ袋を持ち上げて男性客にみせる。その中身はずばりお菓子であり、諦めてもいいようなものであることは言われなくてもわかっている。そして、この男性がそれを指摘しないであろうことも察していた。

曖昧に濁された台詞の最後、男は目を細める。それ以上言わなくても彼なら理解してくれる。そんな気がして、イオナは言葉を終わらせた。彼もまたそれ以上を求めていなかった。

数秒の間。二人の隣のレジで会計していた客が自動ドアから出てくる。イオナは身体を端に寄せ出てきた客に道を譲った。

その人の背中が小さくなったところでローはポツリと呟いた。

「俺がお前を知ってる。」

「はい?」

「イオナが俺を知っているかどうかは関係ない。俺がイオナを知っていればそれでいい。」

「どうして名前を?」

「俺が知りたいと思ったからだ。」

彼は微笑を浮かべた。イオナは混乱する。この人はストーカーか何かかもしれない。独自に調査ルートを持っているなんて、それしかあり得ない。そうでなくても悪趣味だ。身構えるべきだ。でも…

「いつか俺が誰だかわかるはずだ。」

「はい?」

「その時がくるまで待っていてくれ。」

男性客は少しだけ寂しげな顔をした。イオナはまたわからないといった風に、肩をすくめてみせる。

それをみて、彼はもう一度微笑んだ。
困っているのか、呆れているのか。それとも─

どういう訳か、イオナはその表情に親しみを覚えてしまった。

END

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