偏屈と頑固だから、何度言えばわかるの?
そう怒鳴ってしまいそうになった唇を固く結ぶ。イオナがそうして感情の爆発を堪えるのは、今日に始まったことではない。
デスクの上に靴を履いたままの足をのせるのが癖だとでも言うのだろうか。
ローは何度言ってもそれをやめなかった。注意されたその場では足を降ろしてみせるものの、それも10分と持たない。気がつけば、また踵がデスクについている。
今日もまたそれだ。
これから珈琲とケーキを乗せようとしているデスクに、何を踏んできたかもわからない靴の踵が乗っているだなんてたまらない。
イオナは怒鳴りたかった。やんちゃ坊主を叱る母親のように、怒鳴り散らしたかった。けれど、そこをグッと堪える。その理由はずいぶんと主観的なもの。煩 わしいと思われたくないという、非常に曖昧な乙女心のせいだった。
「ロー、珈琲が入ったけど…」
「あぁ。」
「どこに置けばいい?」
ローはやっと顔をあげた。視線でデスクを差す。差したことは理解する。けれど、そこにはまだ踵が乗ったままだ。何やらメモ用紙のようなものも散乱している。
いったいどこに置けばいいのか。小一時間問い詰めてやりたいけれど、それにすら臆病になっている。この件で喧嘩するのは散々だ。
「そこ、置くところがなさそうだから、こっちに置かせてもらうね。」
イオナは感情を押し殺した声で言う。いつもと違う彼女の反応に、ローは少しだけ眉を潜めた。きっとまたガミガミ言われる覚悟をしていたのだろう。
ローのいる場所はデスクの向こう側。デスクの正面にはデスクより低いテーブルがある。テーブルの両側に向かい合うように二人がけソファが設置されていて、そのどちらもが彼に垂直に、つまりデスクに背を向けない形で並んでいた。
イオナはテーブルに珈琲とケーキを乗せる。ソーサーとカップが震える指に支えられカチャカチャと鳴った。
「そこだと遠い。」
不満げなローの声。低くてよく響く魅力的な声音も、時には苛立ちを煽る要因となる。イオナは細めた目を恋人へと向ける。
「でも、デスクは何かでいっぱいでしょう?」
「何か…」
「そう。何がなんだかわからないメモ用紙と、読みかけの本と、汚い靴底。」
沸々と沸き上がる苛立ちも、喉元を過ぎる頃には単調になる。それでも意地悪な言葉はそのままだった。ダイレクトに嫌みを吐いたところで、ローは気にしない。それは当然のこと。彼にとって他人の評価などどうでもいいことなのだから。
イオナはそう思っていた。けれど、なんだか様子がおかしい。ローは恐る恐るといった口調で呟く。
「ガミガミ言わないのか。」
「言われたいの?」
「………。」
ローは答えない。手にしていた本を閉じると、静かにデスクから足を降ろした。そして、本を本棚に戻し、散乱したメモ帳を片付け始めた。
その姿は叱られた後の子供のようだ。ずいぶんと気落ちしているように見え、普段とのギャップが可笑しかった。
「そんなにそっちで食べたいの?」
「そうじゃない。」
「だったら、どうして?」
イオナはクスクスと笑う。ローは彼女を一瞥しただけで、また視線を伏せてしまった。
きっとローはガミガミ言われたかったのだ。ガミガミ言わせるのが好きなのか、言われるのが好きなのか。そのどちらかはわからないけれど、その一連の流れに充足感を覚えるのだろう。
ずいぶんと悪趣味なように思えるけれど、それがローなりのコミュニケーションなのであれば仕方がないのかもしれない。歪んだ感性もまた彼の一部なのだから。
全てを察したイオナは、テーブルに乗せていたカップとケーキをトレンチに戻す。今度は込み上げてくる笑いで、ソーサーとカップが鳴った。
まだまだ本質はわからない。
相手がどのように考え、感じるのか。価値観の全てをトレースすることは不可能に近いだろう。それでも恋人の趣向のひとつを知れたことは、大きな財産を得たのと同等だ。
先ほど目にしたローの不貞腐れたような、物言いたげな表情がイオナの瞼には焼き付いていた。
END
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