ロー短編 | ナノ

距離感

心の落ち着かない時は何をやっても上手くいかない。イオナは口に含んだ錠剤を、喉から溢れてきた苛立ちごと噛み砕く。

口の中で散らばった錠剤の欠片は苦く、ブラックコーヒーで強引に嚥下(えんげ)した。それでも舌の裏には尖った粒が残っているし、錠剤の苦味が去ったところで、コーヒー特有の苦味が鼻の奥で香る。

やっていられない。いや、きっとやっていきたくないのだ。

わかっているのに離れられないのは、今が共依存のような状態だからだろうか。

「そうやってなんでも薬に頼るのはよくない。」

「そうですね。」

「毎日そんな呑み方をしているのか?」

「…………。」

「確かにカロナールは鎮痛剤としては優秀だが、過剰摂取は肝機能に害を与えることがある。気を付けないと…」

まるで薬剤師のような顔をして、(というよりローは医者なのだからこの口振りは当然だろう)彼は鎮痛剤の副作用について語る。

自身が苛立ちの根源であることを理解していてこの態度なら、彼は本当にすごいと思う。その鈍感っぷりは尊敬に値する。

「あの、なにか勘違いしていません?」

「ん?」

「これ、ただのカルシウム剤ですけど。」

「………っ!?」

実際にはカルシウムだけじゃない。ビタミンや鉄分もそれなりに配合された、それなりの栄養剤だ。食事を取る暇のなかった場合に助かるので、ピルケースに入れて常備していた。

ローは投げ渡されたピルケースの中身を手のひらに出し、錠剤そのものにカロナールを示す彫りがないことを確認している。

「こんなもの、あてになるのか?」

「なるもならないも、知ったことないけど。私からすれば、ただ飲みたいから呑んでいるだけ。」

「ふん。酷い味だ。」

「噛んだの?」

いつの間にそれを口に含んだのか。ローはしかめっ面で口をもごつかせている。常識に当てはめれば、サプリメントの類いは咀嚼などしない。口に含んだそのまま、水で胃に流し込むのが自然だ。

きっとローがそれを噛み砕いたのは、イオナがそうしたのをみていたからだろう。

嫌な顔をしながら、口の中で散らばった苦味を取り除こうと足掻く様子は面白い。普段はみられない、間抜けな恋人から目を反らせない。

ローはしばらく頑張っていたが、半笑いの表情で見つめられていたことに気がつき、苦面を普段のポーカーフェイスに隠そうとする。

けれど、それは逆効果だった。というより、普段から彼は愉快な顔をしていない。年から年中、苦々しげな顔をしているのだ。隠そうとすればするほど、不自然な表情になるのは当然だった。

「何か飲み物が必要?」

優越感に含み笑いが強くなる。イオナはそれを隠すように、マグカップを口に当てる。濃く淹れたブラックコーヒーは深くて美味しい。さっきはサプリメントのせいで苦かったけれど、今度は美味しくいただけた。

ローは飲み物を催促するか躊躇っている様子だった。きっとプライドが許さないのだろう。

「要らないのならいいけど。」

イオナはあえて冷たく突き放す。ローは悔しそうな顔をするけれど、そんな顔をずっとしていればいいと思った。

彼は昨晩、イオナとの約束を無下にした。それどころか、裏切りまで働いた。

その内容はよくあることで、飲み屋の女にいい顔がしたくて、大盤振る舞いしたのだ。挙げ句、それを誤魔化すようにシレッとした顔をして帰ってきた。

シャチが「これ、俺の分…。」と今日、飲み会費用の一部を部屋に持ってきてくれなかったら、それに気がつけなかっただろう。

常々、この金は二人のものであると言い聞かせても、勝手に持ち出して利用して。バレたらどうするつもりだったのかと、問い詰めたい。

そうしないのは、どうせまともな答えが返ってこないことがわかりきっているからで、その労力すら惜しいから。

つまり、彼は冷たくされて当然なのだ。

イオナが冷めた目をしたままコーヒーを啜る。ロー自身、部が悪いことは理解しているようで、普段の傲慢っぷりは一切発揮しない。

ただゴクリと喉を鳴らすだけ。

自分が悪くても、ローは決して謝らない。反省をしてはいるらしいのだけど、頭を下げることをしないのだ。

謝ることを知らないのか。
それともそうしたくないのか。
それはわからない。

それでも一応悪いとは思っている。それは、ひきつったその表情から見て取れた。きっとサプリメントを噛み砕いた行為こそが、彼なりの贖罪のつもりなのだろう。

そこまでエスパーできてしまうのだから、始末に負えない。彼の心の底など理解できず、"この男は本当に勘に障るな"と切り捨ててしまえるのなら、その方がずっと楽なはずだ。

悔しいほどに恋人の気持ちを汲んでしまう。そんな自分に嫌気が差しながらも、すでに苛立ちは収まっていた。

若干、ローの精神状態に引きずられてしまっているのか、申し訳ない気持ちまで出てきてしまっている。

「ひとつ聞きたいんですけど。」

「なんだ?」

「私のこと、どう思ってますか?」

淡々と吐かれた唐突すぎる質問に、ローは気まずげな顔をする。そこにちょっとだけ照れが混ざっていることに、思わず吹き出しそうになってしまった。

「何故、そんなことを聞くんだ?」

「もういいです。」

フンッと顔を背ける。途端にローは、あわあわし始めた。普段なら、イオナが折れる。照れた顔をみれただけで充分だと納得する。

けれど、今回は別だった。

ローはその異常事態に焦った様子で、何か言いたげにそわそわしている。

「その程度だったんですね。船長。」

「いや、そうじゃない。」

「じゃあ…。」

挑発的に目配せをするのと、ローが「………てる。」と呟くのはほぼ同時だった。イオナは耳に手を当て、「なに?聞こえなかった。」と告げる。

みるみるうちにローの顔が赤くなる。苦々しげな顔が一層険しくなるけれど、その赤面っぷりが全てを台無しにしていた。

「だから…。その…」

歯切れの悪い男だ。けれど、そこが可愛いと思う。男気がないと思う人もいるかもしれないけれど、安易に愛の囁きをする男よりずっと素敵だ。

イオナの期待の眼差しに負け、ローは目頭を押さえるような素振りでその表情を覆ってしまった。

きっと彼からすれば、この沈黙は悶え死にたくなるほどに恥ずかしいものなのだろう。けれど、イオナからすれば、耐えられない沈黙じゃない。

まじまじとゆでダコのように顔を赤くした恋人を見つめる。その時間はほんの、1、2秒。けれど、お仕置きには充分の時間だ。

「言えないならいいよ。」

イオナは注文を引き下げる。これ以上待つ意味も無かったし、この沈黙こそが愛の告白のようなものだ。言葉にするのも惜しいほど、愛しく想われているのならそれでいい。

こうして許してしまうから間違いを繰り返されることはわかっているけれど、苛めすぎるのも良いことではない。引き際の見極めも必要なのだ。

イオナはブラックコーヒーを口に含む。緩やかに口内に馴染んだその液体は、先程よりずっと甘い気がした。

END



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