誘惑「船長はどうお考えですか?」
上目使いに訊ねられ返答に困る。甘えるような目配せは、イオナの十八番だ。それが彼女の生き方であり、生きる術。
誰にでもこうしてきたのだろうことがわかっているのだから、いちいちほだされていてはひとたまりもない。
「俺に聞いてどうする?」
「意見をお伺いしたいんです。」
「………。」
「答えてはくださらないのですね。」
イオナは肩を竦めてクスリと笑う。困っているような表情を浮かべているが、内心はそうではないのだろう。
「イオナ。お前は俺に何を求めている。」
「なにか求める必要があるのでしょうか。」
「どういう意味だ。」
「船長がここにいてくださるというのに、それ以上を求める必要があるのでしょうか。」
「……。」
妖艶な目配せに、おもわず目を細める。小さな舌打ちも追加してみるが、イオナは動じることなく微笑みを返してきた。
動揺を悟られた。そう考えるのが妥当だろう。
ローは帽子を深くかぶり直し、視線を伏せる。
潜水艇での生活が長くなるほど、劣情に流されてしまいそうになる自分がいる。
そして、イオナがそこに付け入ろうとしているのは明白だった。
「お前のそういうところが嫌いだ。」
「ありがとうございます。」
「なぜ、礼を言う。」
「嫌いということは、つまり、私を意識してくださってるということですよね?」
どれだけ拒んだところで、彼女には伝わらない。それをわかった上での攻防に勝ち目はない。勝算のない争いなど受けて立つ必要はなかった。
「もういい。下がれ。」
「いやです。」
「……。」
「考えを聞かせていただけるまで、ここで待たせていただきます。」
イオナは躊躇いなく、ベッドの縁に腰を下ろす。高価なマットが柔らかく彼女を受け止めた。
「それが、どういう意味かわかっているのか?」
「質問の意図を判りかねます。」
「……。」
判りかねる。それはつまり、理解するかどうかを決めかねているということ。イオナは自ら誘惑しておきながら、それを甘受しようとするローを拒絶する選択肢も持ち合わせているということ。
心を混ぜ返されるような感覚に、ローは苦々しげな表情を浮かべた。それとは対照的に、イオナはずいぶんと瞳を輝かせている。
「私がお嫌いなら、虐げてしまえばよろしいのでは?」
「…それは、一体どういう意味だ?」
「問わないでください。もうわかっておられるのでしょう?」
「………。」
春に咲いた鮮やかに花が、甘い香りでミツバチを誘い出すそれに似ている。どれだけ目を背けようとも、言葉巧みに蜜に導かれてしまう。
「後悔しても遅いからな。」
苦し紛れに吐いた捨て台詞は、甘い吐息に紛れる。
熱い息づかいが重なり、熱量が交わされる。生気を感じさせない冷たい柔肌から香る女性特有の甘さは、欲情した身体をさらに火照らせた。
もう引き戻せない。
理性を頭の片隅に押しやり、本能に従う。
腕の中にあるのは情欲そのものだった。
END
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