ロー短編 | ナノ

発熱注意報

荒い呼吸と赤く染まる頬。それだけをみれば、まるで情事の後のようにもみえるがそうではない。

風邪をこじらせ熱を出したイオナは、額に乗せたタオルが落ちないように支えながら、冷たい枕の上に頭を乗せた。

「だから休めと言ったんだ。」

不機嫌を隠そうともせず、ローは眉間を寄せる。そんなお怒りモードの恋人に、イオナは素直に「ごめんなさい…」と謝罪した。

喉に違和感を感じたのは1週間前。

彼女の声の変化に誰よりも早く気がついたローは、部屋で休んでいるようにと何度も声をかけた。

イオナはその場では「うん。」とか「わかった!」などと聞き分けのいいふりをしていながら、彼の目を盗んではあれやこれやと用事をこなしていた。

別にローをバカにしている訳ではない。
ただ純粋な反抗心のようなものだった。

過保護すぎる彼の行動は、イオナの側からすれば煩わしく思えることもしばしば。それでもローを悲しませないようにと、とりあえず聞き受けるのが習慣となっていたのだが。

どうにも、そうしていたことすらお見通しのようだ。

「俺は医者だ。話を聞き流すな。」

「でも…、ただの風邪だもん。」

「ただの風邪でもこじらせれば40℃近い熱が出ることもある。そんなこともわからなかったのか?」

蔑むように言うローに対して、イオナはただ口を尖らせることしかできない。口角を持ち上げ、微笑んでいるようにもみえるが彼の目は全く笑っていなかった。

「風邪は薬で治してやれるが、残念ながらバカに効く薬はないらしい。」

「バカは風邪なんてひかないんだから…。」

「ほう。まるで自分はバカではないとでも言いたげな口ぶりだな。」

ローは深い溜め息を1つついた後、腕を組み直し、顔を半分布団で隠したイオナへと視線を向けた。

痛いくらいの辛辣な視線を浴びて、彼女はベッドの中で小さな身体を更に萎縮させる。

そんな彼女の姿をみて、ローは再び深い溜め息をついた。体調の悪いときに叱られるのは嫌だろうが、病人を叱る方だっていい気はしない。

熱の高いイオナを可哀想に思う気持ちと、いつも楽天的すぎる彼女に対する苛立ちとが彼の中でせめぎあっていた。

「俺は薬を調合してくる。ちゃんと身体を休めておけ。」

「わかってるよぅ…。」

イオナは不満げに呟き、ローに背を向ける。

普段そんな態度を見せられたなら、「本当にわかっているのか?」と小一時間問い詰めるところだが、今日の彼女は病人だ。

ローはグッとこらえ、部屋を後にした。

***********

体調が悪いとわかっていても、ジッとしているのは性に合わない。ローが部屋を出たのを確認して、イオナは身体を起こした。

「はぁ、つまんない。」

せめて小説くらいは読ましてもらえないだろうかと、彼女は考える。ただ寝ているだけだなんて、時間がもったいない気がしてならなかった。

頭はダルいのに寝てしまえるほど眠たくはない。

深い溜め息を何度もついてみるけれど、時計の秒針の音しか聞こえてこない医務室は退屈で仕方ない。

自室に小説でも取りに行こうと、イオナがベッドから足を下ろした、その時。

「誰が身体を起こしていいと言った?」

いつの間にドアが開いたのか。
いつからそこにいたのか。

いたずらに口角をあげている彼のその瞳の奥は、どうみたって笑ってはいなかった。

「本が読みたくて…」

イオナは恐る恐る言葉を紡いだ。
ここで適当な言い訳をすれば、バレた時が怖い。そう考え、素直に述べた彼女に向かって投げ渡されたもの。

それは─

ずっと読みたいと思っていた小説だった。

「これ…、なんで?」

相当驚いたのか、イオナはローはとその本を交互に見ながら、惚けたように言葉を漏らす。それをみて彼はクスリと笑った。

「イオナの考えていることくらいお見通しだ。」

「読んでもいいの?」

「ここでおとなしくできると約束できるのならな。」

ローがそう告げると彼女は目をキラキラさせて、嬉しい!と声を弾ませる。

「その代わり、苦い薬を嫌がるなよ。 」

「そんなのわかってるよ。」

「目が疲れたら寝るように。無理はするな。 」

いつも通り口うるさい恋人の言葉を聞き流しながら、イオナは小説を読みたくてウズウズしていた。

*********

それからほんの数分後。

一度部屋を後にしたのち、薬を手にそこへ戻ってきたローがみたのは、もぬけの殻となったベッドだった。

もしトイレに行ったのであれば、廊下もしくは調合室の前ですれ違ったはずだろう。ではいったい何の用でベッドを抜け出したというのか。

ベッド脇に置かれた椅子に腰かけたローは、沸き上がる苛立ちを静かに堪える。探しに行きたい気持ちもあったが、待っていた方が逃げられる心配がないように思えた。

それからさらに数分後。

イオナはダージリンの香りを漂わせる、紅茶ポットとティーカップを持って戻ってきた。

「ずいぶんと優雅な午後の一時だな。」

まさか待っているとは思っていなかったようで、椅子に腰掛けるローの姿をみた途端、彼女の表情はあからさまに引きつる。

さらにその笑った口元から放たれた皮肉に込められた苛立ちを敏感に感じとり、ばつが悪そうな表情のまま口角を持ち上げた。

「怒ってるよね?」

怒っているかどうかなんて聞くまでもない。彼女がこの問いかけの中で知りたかったのは"どのくらい怒っているのか"だ。

それを知っているローはあえて答えない。

彼は立ち尽くすイオナにベッドに入るように告げ、ティーセットを受け取る。ベッド脇のサイドテーブルにそれをのせ、彼女が布団に潜り込んだタイミングでいい放つ。

「なんで俺の言うことが聞けねぇんだ。」と。

彼女は案の定、「だって…」と言葉を濁す。

特に理由などないのだろう。

衝動的にやりたいことをやる。それがイオナのスタイルだ。計画的に行動するローとは正反対のタイプであり、その行動のあれやこれやに説明を求めることの方が野暮なのだ。

イオナは視線を伏せたまま口ごもる。

うまい具合に言い逃れできる要領の良さもないクセに、こうしていつも突発的にやらかしてしまう。

ローが彼女の突飛な行動や発言を、おもしろいと思っていたのは最初のうちだけ。今ではイライラさせられることの方が多い。

それでも嘘をつけない不器用なところについては好意的であり、なにをやらしても愚図なところをみているとつい手を手をさしのべてしまうのだ。

「だって、でも、はいいが、もう少し俺の話を聞いてくれないか?」

シュンとするイオナをみていると語調を強くする気にはならなかった。こうして甘い顔をするから、彼女を付け上がらせてしまうとわかっていても、ローはそこまで鬼にはなれない。

励ますつもりで頬を撫でてやると、彼女は驚いたようにローの名を呼ぶ。案の定、イオナの頬は彼の手のひらよりも熱かった。

「せめて体調管理だけはしっかりしてくれ。」

「ごめんなさい…」

小さく謝罪するイオナの唇をローの指先がなぞると、その優艶な指の動きに彼女の身体はゾクゾクと疼く。

もっと触れられたかった。

すでに赤い頬にさらに赤みが差し、ぼんやりとローをみつめていたその瞳はジワッと潤む。彼はそれをみて、ほくそ笑んだ。

「どうした?」

「別に、、、そんなんじゃ。」

照れ臭そうに目を伏せたイオナの顔を覗きこんだ彼は、そのまま彼女の唇に自身のそれを押し当てた。

「んっ」

突然のことにイオナは小さく声を漏らすが、それも一回きり。

注ぎ込まれる熱が恋しくて、夢中で舌を絡ませる。

大きな手のひらに後ろ頭を押さえられ、その代わりに彼の首に腕を回す。

血が沸き立つような荒々しい口づけに翻弄され、全身がローの熱を求めていた。

それでもベッドに押し倒された時、イオナの理性はしっかり働いた。

「ダメ…。風邪、引いてるから…」

ローの身体を押し戻しながらも、彼女は心のどこかでこのまま流されたいと思う。もっと触れられて、気持ちよくなりたいと。

そんな彼女の言動をみて彼は耳元で囁く。

「今日のイオナは妙にそそるな。」

意地悪いその言葉にさらに身体は火照る。

このままでは溶かされてしまいそうだと思いながら、イオナは拒むように首を左右に振り、視線を伏せた。

それでも触れられたい気持ちは変わらない。

熱でぼんやりする思考に、もっと浮かされたいと、導かれたいと本能が訴える。熱くなった下腹部がさらにそれを煽った。

それなのに─

「早く風邪を治せ。続きはそれからだ。」

彼は意地悪くそう言い、イオナから身体を離した。

焦らされただけの身体が疼く。
ローを求めている。

それなのに、彼はまるでなにごともなかったように、サイドテーブルに置かれた薬の説明をはじめた。

物足りなさでどうにかなってしまいそうだ。

説明の半分も耳には残らず、席を立った彼がイオナに背を向けた時。

「早く風邪、治すね。」

彼女はねだるようにそう告げる。ローは期待していると笑った。

ドアを閉ざした後の彼は、いったいどんな顔をしていたのだろうか。

残された彼の体温で、余計に身体が熱くなり、胸の高鳴りは大袈裟に鳴り響いた。

早く触れられたい。

イオナは熱っぽい表情で布団に潜り込む。

小説は枕元に置いたまま。

それがローの罠だなんて知らずに、彼女は純粋にドキドキしていた。

END

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