ロー短編 | ナノ

エノコログサ

死の外科医と呼ばれ、残忍な男として世間にその名を轟かせている七武海、トラファルガー・ロー。

彼は現在、唯一の女部下であるイオナを船長室へと呼び出していた。

壁伝いに立てられた蝋燭以外、照明の灯されていない薄暗い部屋。

アンティークチックなローテーブルやソファ、古めかしい医学書の類いのせいもあってか、やけにムードに溢れたその場所で二人は向かい合う。

ローは威厳たっぷりにウイングバックチェアに腰かけており、小さな木製テーブルを挟んだ反対側にイオナが立っている。

普段ならば入ることすら許されない船長室。そこに彼女が招かれた理由。

それは──、

「えぇーッ!ほんとに貰っちゃっていいんですか!?」

ローの差し出した小さな包みを受けとったイオナは、こぼれんばかりの笑みを浮かべ、それでなくても黄色い声を更に高くする。

その喜びようは相当で、今にも小躍りを始めそうだと表現しても間違ない。

「えぇ。どうしよう。」とか、「嬉しいです!」とか「船長大好きです!」などと興奮ぎみに声をあげる部下に、ローはひたすら優しい目を向ける。

イオナが受け取ったのは、以前から彼女が欲しがっていた短刀だ。

それはローの持つ鬼哭と同じく妖刀の一種とされており、彼女が海賊になった理由の1つでもある代物。

ただこの短刀のことを彼女が口にしたのは、たった一度だけだった。

ローはそれを聞き逃さなかったことはおろか、彼女にバレないように入手してきていたのだ。

これを手に入れるために、どれだけの海賊の心臓を物理的に鷲掴んできたか。

それをあえて語るようなことはしないが、言わずともイオナに伝わっているだろうとローは考えていた。

「本当に、ほんっとに私なんかが持っていてもいいんですか?」

さっきまで満面の笑みだったはずの彼女が、今度は瞳に涙をめいいっぱい溜めて訊ねてくる。

その情欲的な表情に内心クラッとしながらも、ローは表情ひとつ変えない。

「イオナに持っていて欲しいんだ。」

「でもこれ…」

「俺が持ってろと言っているんだ。遠慮する必要はねぇ。」

語気を強める演出までして、イオナを納得させる。

涙で濡れた目元を手の甲で雑に拭って、ズズッと鼻を啜った彼女の表情は、また真夏の太陽のような明るい笑顔に戻っており、丁寧にお礼の言葉を口にした後、続ける。

「船長、大好きです!どこまでもついていきますから!!!」と。

この「大好き」が、恋愛の意味でないことをローは知っていた。

興奮の覚めないイオナを普段と変わらぬ態度でなだめ、もう遅いからと部屋へ帰らせる。

部屋を出る前、ドアの前に立ち止まり振り返った彼女は「船長は私の自慢の船長です。」とはにかんだ笑みを浮かべた。

「わかったから早く寝ろ。」

呼び止めたい気持ちを堪え、あしらう素振りを見せるのも大変なことで、相手が林檎のように赤い頬をして微笑んでいれば尚更だ。

音を立てずにドアが閉まったのを確認した途端、ローの緊張の糸はプチンと音を立てて切れた。

早鐘を打つ心臓を労るように胸に手を当て、何度か深呼吸するも、高鳴る鼓動は収まりそうにない。

彼の鼓膜では彼女の口から飛び出した「大好き」の言葉が繰り返されており、その度に身体の芯がポッポッと熱を持つ。

自分がどれだけ、イオナのために身を粉にできるかを表現したくて、言葉の通り"命がけ"で短刀を入手してきた。

プレゼントする前までは、手渡した後に想いを伝えようと考えていたというのに、あんな無邪気な笑顔を見せられてしまえば何も言えないではないか。

イオナのパッと咲いた笑顔を思い出したローは、照れながらも苦虫を噛んだような顔をする。

もう一歩。あと少しのところでいつも掴み損ねる彼女は、近くて遠い。

それでも、普段はとても礼儀正しく、言葉使いもきっちりしている彼女が、年相応に天真爛漫にはしゃぎ、年頃の娘のようにはにかむ姿をみられたことを嬉しく感じている自分も確かにいた。

明日はどうやって声をかけるか。何を話すべきか。

ローはそんな思春期のようなことを考えながら、すでに溶けかけている氷の浮かぶ琥珀色の酒の入ったグラスを口に運んだ。

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