ロー短編 | ナノ

コンポから流れ始めた楽曲は、タイミングがいいのか悪いのか、恋愛系ソングだった。

友達から借りたそれを返し忘れていたことを思い出したイオナは、ローに遠慮することもなくその友人に「明日返すね。」とメールをいれる。

ローもまたそれを気にしている様子はなかった。

淡々とメロディーを吐き出し続けるコンポ。
音量を極力絞っているため、BGMにするにはちょうどいい。

失恋に対する切なさや、胸の苦しさ。初デートのときめきと、些細な嫉妬。恋愛に生きる女子ならば共感できることも多いのだろう。

繊細な女心の綴られた詩が、馴染みやすいメロディーと共に流れていく。

神妙な面持ちのローの口は重く、部屋の空気も相変わらず。おまけに流れている恋愛ソングまでも詩が重くなった。

イオナが居心地の悪さに耐えられなくなってきたのは、何曲目の時のことだろう。某アーティストが逢いたくて震える中、彼はポツリポツリと話し始めた。

とある女子に告白されたこと。それを断れないままでいること。けれど、その女子とは付き合う気は一切なく、これからもシャチとの関係を続けていきたいこと。

「その女子って誰なわけ?」

「アキリアだ。」

「ん?それって法学部の?」

「あぁ。女子レスリング部主将で、一時はレズ疑惑で周囲を震撼させた…」

ローの属する医学部とはまったくの接触のない学部の生徒であるアキリアが、何故唐突に告白などしてきたのだろうか。

イオナはレズ疑惑の下りは一切知らなかったものの、特別そこに突っ込むことはしなかった。

「相手は恋する乙女だ。俺としては穏便に済ませたい。」

「だったら普通に恋人いますでいいんじゃない?」

「それは言った。だが、恋人が誰なのかと食い下がられてしまって…」

「そっか。」

ホモがホモであることをカミングアウトするというのは、とても大変なことなのではないかと思う。

それを踏まえて考えてみると、ホモであることを自覚していないローが「俺の恋人は男だ!」と公言するのは、それ以上に難しいことなのだろう。

「いっそ、タイプじゃないです。とか…」

「そんな直球ぶつけたら、アキリアもショックをうけるだろう。失恋のショックのあまりタックルしてくるかもしれない。」

「それはないでしょ。」

「そう言いきれるのか?」

「………。」

「返事は後でいいからと言い、踵を返して走り去る時、校庭の芝生が揺れてたんだぞ。ドサッドサッと地鳴りが… 」

「それ以上はやめてあげよう。」

告白の時のことを思い出しているのか、ローは顔面を蒼白にする。あちらとしてはただ単純にはにかんだだけの姿も、ローにとっては脅迫の類いに思えたのかもしれない。

イオナは額をとんとんと叩いて眠気を取っ払うと、1度大きく深呼吸した。

落ち着いてものを考えたいときはこうするに限る。それはイオナにとってジンクスのようなもので、そうすると妙案が浮かびやすいのだ。

ただ今日はなにも思い浮かばない。

アキリアという学生の性格を詳しくしらないし、なによりこれはロー自身が乗り越えなくてはならない試練なのだから。

イオナはカップを口に運ぶ。冷めたコーヒー牛乳はくそがつくほどに不味く、意識がそちらに向かう。やはりドリップする機械を買うべきなのではないか。

そんなことを考え始めたイオナに向かって、ローは額に汗を滲ませながらも落ち着いた調子で開く。

「俺の彼女のフリをしてくれないか。」

「は?」

「特別難しいことを要求しようとは思ってない。相手がイオナなら、シャチも不安がりはしないだろう。」

「…………へぇ。」

二人の恋愛をみていると、やきもきしているのは常にローの方だ。合コンの時だって、「女を持ち帰れなくても、そこには男友達がいるんだぞ?」と真剣な表情で不安を吐露していた。

ローの彼女のフリをどこかの女がしたところで、シャチは妬きもしないだろう。というより、のんびりした彼の性格を思うと気がつきもしないかもしれない。

イオナはとりあえず、ローから作戦を聞き出してみることにして、余計な突っ込みはせずに続けられる言葉に耳を傾ける。

「簡単な話だ。アキリアのいる前で俺にキスを求めたり、別れるなら死ぬと泣きすがってくれれば──」

「それ、私が痛烈なまでに痛い女だよね。」

「なァに、シャチとの別れ話の時の再現だ。」

「死ぬなんて言ってねェよ!」

ドンッとテーブルを叩くけれど、なんの牽制にもなりはしない。ローは淡々とした調子で続ける。

「俺の彼女であることをアピールしろ。俺が居ねェと死ぬってくれェ熱烈に。そうすればアキリアも諦めるはずだ。」

「いや、むしろ逆だと思うけど。」

「ぁあ?」

「大好きな男がメンヘラにすがられてるんだよ?確かに普通の女の子なら回避に走るかもしれないけど、あのアキリアだもん。」

話の腰をおられたことで怪訝な顔をしたローだったが、イオナの言いたいところを理解したのか、その表情を神妙なものに戻す。

「あの、パワー系女子のアキリアだもん。私が助ける!ミャハッ。ってなるかもしれない。」

「それは…」

「電車で酔っぱらいに絡まれたヒロインを助けて、フラグが立っちゃう話、昔あったよね。」

「…………。」

「アキリアに助けられたローは、きっと…」

「やめろっ!」

血相を変えたローは、ガバッと立ち上がる。聞かされたシナリオに続く物語を予想し、よほど嫌だったのだろう。

「お、俺は入れられるのも、入れるのもシャチじゃねェと嫌なんだ。俺は!俺は!」

「あー。わかった、わかった。わかりました。」

「なんとか、なんとかしてくるのか!?」

「なんとかって。普通に泣きすがらなきゃいいだけなんじゃないの?」

「ん?」

「メンヘラごっこなんてしないで、普通に構内でイチャイチャすりゃいいでしょ?アキリアの前で、ラブラブだもんね!アピールっていうの?そしたら…」

「ふさげるな。」

「なにが。」

「お前が俺に惚れてる設定ならまだしも、俺がお前にラブラブ、イチャイチャなんて…っ!クソッ!やってられるかっ!」

ふざけるなはこっちの台詞だ。イオナはジト目をローへと向けるが、彼はそれ以上に熱(イキ)り立っていた。

「さては、イオナ。どさくさに紛れて、俺とシャチの仲を裂こうとしてやがるな。俺の浮気疑惑を立ち上げ、その隙にシャチのち●こを、てめぇのア●ルに─」

「なんでそーなるのよ。」

「私にだってお尻の穴があると言っていたのはイオナだろう!?」

「あの時のことは思い出させるな!!!」

いったい何を熱くなっているのだろう。男と男を取り合うようなことはもう二度としたくない。あまりの情けなさに泣きたくなってきた。

「俺はイオナを友人だと思ってる。同じ穴の狢(ムジナ)とはよく言ったもので─」

「あんたの穴と私の穴は同じじゃねぇよ!」

突っ込みどころを間違えたと気がつくのに、約一分かかった。ローもまた何に対してキレられたのわからなかったらしく、眉を潜めたままフリーズしてしまっている。

いたたまれなさに軽く死にたくなりながらも、イオナはここぞとばかりに畳み掛ける。

「もう帰れ。アンタたちの恋愛なんて─」

興味ない!そう言い放とうとしたところで、場違いに陽気な着信メロディが流れ始めた。ローはスラックスの後ろポケットからスマホを取り出す。

そして、煌めく画面をみつめて表情を強張らせた。

「誰?」

「噂をすれば…、アキリアだ。」

「番号、交換してたんだ。」

「あぁ。」

嫌そうな顔をしながらも、スマホを耳に押し当てるロー。スピーカーモードにしてもらってもよかったが、余計なことは言わないでおく。

コンポの音を消し、イオナが息を潜めたタイミングで通話が始まった。

「なんのよ、な、シャチなのか?」

どうやら電波の向こうにいるのは、アキリアではなくシャチらしい。それを知った途端に、彼の表情からは陰りが失われた。

アキリアの番号で電話をしてきたことを気にかける様子は一切ない。

二人はしばらく会話をしていた。ローが口にするのは、ほとんど相づちだったので内容はわからない。

ただ、シャチのテンションがやけに高いことは、漏れ聞こえる声の質でなんとなくわかる。話し込むほどに、ローの顔から感情の色が消えていった。

「あぁ。また明日。」

彼はトーンの低い声で、愛しのダーリンとの通話を終わらせる。向こうからは「おう!」と明るい声が響いた。

「シャチ、なんだって?」

「………アキリアと寝たらしい。」

「え。」

「処女膜最高。ヒャッハーだそうだ。」

悔しそう。と呼ぶには、些か感情の色の乏しいローの声音。 イオナはなんと声をかけていいのかわからず、押し黙る。

「女の子の中ってぬめぬめしてて気持ちいいよな。だと。アキリアってあぁみえて、めちゃくちゃかわいい声して啼くんだぜ。と…」

聞きたくない情報まで漏洩してくれてありがとう。ウブで奥手だった頃のシャチを知っているイオナにとって、その内容は非常に残念なものだった。

強すぎる快感は人をおかしくしてしまうのだろう。
ローの手練手管によって快楽の虜となったシャチ。

窄まりと屹立を両方攻められ、開発されすぎた彼にはもう、一般的な常識は通用しないかもしれない。イオナは元恋人に体して、諦めの気持ちを強くする。

けれど、現恋人であるローはそうとはいかなかった。

「なぁ、イオナ。俺も頑張ればかわいい声がでるだろうか…」

「…さぁ。」

女に対抗しようとは、諦めの悪い男だと思う。けれど、唐突に突きつけられた衝撃は、そう簡単に飲み込めるものではないことをイオナは身をもって知っている。

「やってみる価値はあるんじゃない?」

励ましの意味を込め、ポンポンと癖のない黒髪を撫でてやる。質のいい髪は、指先をツンツンと弾く。

彼は親指と人差し指の腹で目頭を押さえた。



END

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