ロー短編 | ナノ

3月14日

ローは船長室でイオナが訊ねてくるのを待っていた。約束の時間まであと数分。

待ち遠しいと思っているせいか、秒針の動きがやけにゆっくりとしているように見える。

バレンタインのサプライズを受けた日。二人は熱い抱擁を交わしただけだった。

イオナの方から、それ以上を求めるような素振りもあったが、勢いで済ましてしまうのはよくないことだと考え、なんとか踏みとどまったのだ。

その理由は簡単で、彼女が『部下だから大切にされてきた』 という先入観を持っているから。もしあの場で進めすぎてしまえば、後で記憶を振り返ったときイオナが不安になりかねない。

性行為をしたいがために取り繕ったのではないかと。

男と女は考え方が根本的に違う。男が上手くやり過ごしたつもりでも、女は"やりすごされた"事実に気がついていることの方が多い。

それと同じくらい、"思い込み"も激しいのだから扱いは本当に難しい。

もとより彼女は部下だ。他のクルーに比べひどく甘やかしていたことは確かであるが、それでも恋愛ごととなればなるべく慎重に進めたい。

そうした理由から1ヶ月もの間、ぎこちなくもどかしい時間を過ごしてきた。

やっと迎えたホワイトデーに浮き足立つくらいのことは許してもらいたい。

ローは手にした万年筆をクルクルと回しながら、今朝方目にしたイオナのワントーン明るい頬を思い出し口元を緩める。

彼女のために用意したプレゼントは、もらったチョコレートより何十倍も高価なものだ。それでもローからすれば彼女からもらったものの方がずっと価値があった。

待ちきれないローは浅く腰かけたソファで何度も座り直す。足を組んでみたり、太ももの上に肘を立て前屈みになってみたり。何度体勢を整えても落ち着かない。

カフェインでも取ろうかと考え、腰をあげたところでドアがノックされた。

彼は迷う。

ドアを開けてやるべきか。はたまた、ソファに座った状態で彼女を招き入れるか。

どちらの方が感じが良いのか。自分らしいのか。

ここまで自分に決断力がなかったとは。

ローは自嘲めいた笑みを浮かべ、ソファに腰を下ろす。「入れ。」と声をかけると、それに合わせてゆっくりとドアが開いた。

「失礼します。」

「そこに座れ。」

特に物怖じすることもなく部屋に足を踏み入れたイオナを、ローは相変わらずの無愛想な表情で迎え入れる。ただその顔が『取り繕ったもの』であると、彼女は知っていた。

促されるままに彼の正面に腰を下ろす。部屋の中でも彼がフカフカの帽子を被っている理由は、その表情を隠すためだろう。

この1ヶ月で、イオナは随分と冷静になっていた。最初に気持ちを言葉にするときはそれなりに緊張はしたが、1ヶ月も熟成させられてはその緊張感にすら慣れてしまう。

だいたいこの『溜め』は必要だったのだろうか。

お互いそういう気持ちで、そういう想いならばわざわざ距離を取り続ける必要はないのではないかと、彼女は疑問に感じていた。

ただ、ローがいちいち生娘みたいにぎこちない反応を見せるのが面白く、イオナもこの無意味な駆け引きに付き合ってきたのだが。

このくすぐったい関係も今日までと思うと、なんだか惜しくなってきた。

ローは探るような彼女の目に耐えられなくなったのか、深く帽子をかぶり直す。半分くらい顔を隠しているが、彼が緊張しているのは手に取るように伝わってきた。

「船長、珈琲でも淹れてきましょうか?」

気遣いの言葉に、彼は「いや、かまわん。」と食い気味に返事する。

想いが交差する前はわりと高頻度で「好きだ。」と口にしていた相手が、ちょっとした言葉を口にするのもぎこちない様子は見ていてたのしい。

イオナは彼が動くのを待つ。行動を誘ってもよかったのだが、そうすれば男としてのプライドを傷つけかねないと考えたからだ。

しばらくの沈黙に耐えられなくなったローは、間も空気も考えず、背後から小さな包みを彼女に向かって差し出した。

「これを受け取ってくれ。」と。

イオナはおもわず吹き出してしまう。

ローは侵害だとでも言いたげに、眉間にシワをよせる。そんな彼が可笑しくて、さらに笑った。

「なんだ?」

「いえ…」

「俺がなにかおかしなことを…」

ローは落ち着いている風を取り繕うが、充分に耳も顔も真っ赤だ。好きな男性の不甲斐ない姿を嫌う女は多いが、イオナからすればそれは可愛くてしかたがなかった。

彼女は1ヶ月もの時間を置いた理由が、彼からの気遣いであることを知らない。なんために待たされたのだろうかとずっと疑問に感じていた。

そのため、ついからかいに利用してしまう。

「船長、鉄は熱いうちに打てという言葉をご存じでしょうか。」

差し出されたプレゼントから、ローへと視線を戻したイオナは落ち着いた調子で訊ねる。笑われた上に、プレゼントを受け取ってもらえない状況下で、彼がその問いに答えるのは不可能だった。

難しい顔をするロー向けて、イオナは柔らかな口調で言葉を続ける。

「この1ヶ月で私の心が冷めていたとしたら、船長はどうされますか?」

彼は驚愕していた。これまでにみたことのないほど狼狽し、口をあんぐり開けて放心してしまう。ちょっと冗談が過ぎただろうか。

イオナは今にも吹き出してしまいそうになりながら、彼の顔を下から見上げるようにして覗き込む。彼はそれのイタズラな表情に気がつき、傷ついたように目を伏せた。

「からかったのか?」

「えぇ、まぁ。」

「趣味が悪いぞ。」

「だって…」

船長が可愛いんですもの。イオナがそう続けようとしたところで、彼女はテレポートする。いつの間にroomを発動したのか。

ローの隣にちょこんと腰を下ろしたイオナの身体は、すぐにギュッとた抱き寄せられた。

「俺をからかったんだな?」

「だって、船長が焦らすから。」

「焦らしたつもりはなかったんだがな…」

二人の視線がカッチリと噛み合った。イオナがソッと瞼を閉じるのを見つめながら、ローは彼女に気づかれないよう小さく深呼吸する。

どうしようもなく早鐘を打つ心臓はそのままに唇を寄せてゆくと、甘くて温かな息が頬に触れた。

やっと手に入れられる。

イオナのペースに呑まれてしまっているのは不本意だったが、それでも高鳴りは抑えられなかった。

チュッと短く二つの温もりが触れ合う。

そこで1度唇を離そうとしたローをよそに、イオナは顎を持ち上げ続きを催促した。

彼女の後ろ頭を押さえ、深く口づける。唇と唇と噛み合わせ、舌を交わす。気がつけば夢中で彼女を探っていた。

唇が離れた時、互いに息を切らせていた。
紅潮した彼女の頬は熟れた林檎のように赤い。熱っぽい視線はこれまでみてきたどの彼女より愛らしかった。

「イオナ。ずっと好きだった。」

親指の腹で、彼女の湿った唇をなぞる。イオナはクスクスと笑って「キザですね。」と小生意気なことを言う。

「キザな男は嫌いか?」

「いえ。船長がかっこつけなのはずっと前から知ってますから。」

なんだかしてやられた気分だ。

ずっと大切にしてきた部下は思っていた以上に男の扱いが上手く、駆け引き上手だった。

ローはどこまでも挑発的なことを口にするイオナの身体を、力強く抱き寄せた。

「ちゃんと愛してくださいよ。」

「あぁ。迷惑なくらい愛してやる。」

やっと掴まえた彼女は、やはりクスクスと笑う。

この腕の中にいるはずなのに、どこか掴みきれていないような気がして、ローは再び荒々しく彼女の唇を貪った。


Next Brotus.

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