湿布を患部に貼ったイオナは、自室ではなく食堂へ向かう。ローの言葉に従うべきなのはわかっていたが、あの揺れで食器類が割れていないか気になったのだ。
食堂へと足を踏み入れた途端、ペンギンが駆け寄ってきた。
彼の手にはモップが握られており、その向こうでは大きな身体のジャンバールが通常サイズの箒とちりとりで陶器の破片をかき集めている。
どうやら杞憂では終わらなかったらしい。
「イオナちゃん、大丈夫?」
「うん。ちょっと尻餅ついただけだから。それより掃除を…」
手伝う。そう言おうとした彼女の言葉を遮るのはペンギン。
「手伝わなくたって大丈夫だよ!」
「え?」
「俺たちだって後片付けくらいできるって。イオナちゃんはゆっくり休んできなよ。」
「でも、ジャンバールが…」
イオナの指差す先では、手元の狂ったジャンバールが揺れでは無事だった食器棚に箒をぶつけ、二次災害が巻き起こっていた。
幸いそこに入っていたのはアルミ製の食器だったため破損はなかったが、落下時のけたたましい音が全員の鼓膜にガンガンと響く。
「なにやってんだよ…」
そう溜め息を漏らしたのはそこにいたペンギンだけじゃない。
食堂の奥にある人一人入れるくらいの業務用冷蔵庫から、シャチが顔を出す。
「大丈夫か?」
「あぁ、面目ねぇ。」
大きすぎる身体を小さくして謝罪するジャンバールが可哀想に思え、イオナは袖を捲った。
「だから手伝わなくても…」
「いいよ、いいよ。もう全然痛くなんてないんだから!」
実際、みんなが後始末に追われているのに、自分だけ寝込んでいるというのも落ち着かない。
痛みはずいぶんと軽くなっていて、気のせいと言われれば納得してしまいそうなほどの微痛だった。
拒むジャンバールから(ほぼ無理矢理)掃除セットを受け取ったイオナが、せかせかと掃き掃除を始めたところで怒気の籠る低い声が響く。
「痛いか、痛くないかの問題じゃない。」
あっ、船長…。と小さく呟いたのは、果たして誰なのか。イオナが顔をあげると、ものすごくしかめっ面をしたローがそこにいた。
「でも、もう大丈夫なので…」
「俺はなんと指示した?」
途中で言葉を遮られ、イオナはシュンッとする。彼の機嫌が悪いのは明白だ。
「部屋にいろと…」
「何故、話を聞かない。」
「すみません。」
謝罪の後、ごく自然にジャンバールに掃除用具を手渡そうとしたのだが、つい躊躇ってしまう。
別に掃除がしたかったわけじゃない。
このままジャンバールにこれを返せば、彼はまた破壊神になりかねないと考えたからだ。
そんな彼女のたどたどしい様子をみたローは、一度ジャンバールへと目を向け再びイオナに視線を戻して言う。
「片付けは俺がやる。」と。
それにはペンギンも、シャチもジャンバールも驚いた。
彼らは船長が箒を握る姿など、一度もみたことがなかったからだ。
ただ一人イオナだけは、なんらおかしなことは無かったとでも言うように、「あ、じゃあお願いします。」とそれらを手渡す。
ローは躊躇うことなく箒とちりとりと受け取ると、再度、部屋に戻るようにとイオナに告げた。
素直に頷いた彼女は、「明日からは普通に生活させてくださいね!」と笑顔で言う。
「痛みがないならかまわない。」
「約束ですよ?」
まるでいたずらっ子のような目つきでローの顔を覗き込むイオナを、彼は、「いいから行け」と一喝した。
そんなやり取りを前に、ペンギンやシャチは首を傾げ、使えないヤツ認定されたジャンバールは更に肩をすぼめる。
「今日の船長、なんだか変ですね。」
一喝されたにも関わらず、そんなことを言い残すイオナ。その背中を、ドアが閉まるまで見送ったところで、ローはジャンバールに訊ねた。
「おい、これはどうやって使うんだ。」と。
このとき、少しだけローの頬に赤みが差しているのに気がついた者はいなかった。
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