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初恋@

秋の湿っぽい空気の中。

見慣れているはずの幼馴染みの横顔は、いくらみていても飽きそうにない。こうして下校するのも10年目だと言うのに、二人の関係は幼き頃とちっとも変わっていなかった。

強いていうのなら、思春期を迎えて以降、ぐんぐんと身長差が開いただけだ。

噂話に花を咲かせるイオナにバレぬよう、ゾロは深い溜め息をつく。

「そうそう。5組の佐伯さんと、1組の木村くんも付き合いだしたんだって。 」

「木村って鮎川と付き合ってなかったか?」

「鮎川さんとは先月別れたよ。 」

「なんで?」

「鮎川さん、木村くんの友達とエッチしてたんだって。付き合う前の話だけど。」

「なんだそれ。」

「処女じゃないのは仕方ないけど、友達に身体見られてる女とはなあって。鮎川さんの方は、比べられるのが怖いだけだろって鼻で笑ってたよ?」

イオナは他人の歪んだ恋愛話を淡々と語る。

彼女にとって、その日あったこと、聞いたことをゾロに伝えるのは10年来続けてきた習慣であり、ある意味日記に書き留めるようなもの。

そして、この無駄話を受け流すのが、ゾロにとっての習慣だった。

中学の頃までは片想いの話が中心だったというのに、高校生となった今では、交際どころか、シモの話までもが加わりはじめている。

最初の頃は、イオナの口から「エッチ」だの、「チュー」だのという単語が聞こえる度に赤面していたゾロだったが、今では涼しい顔でいられるようになった。

イオナもまたその単語を口にするのを躊躇わず、それ以上の描写については下校中であることを踏まえてか、元よりずいぶんとソフトなものに言い換えている。

好奇心から他人の恋愛は気になるが、自分は一歩を踏み出さない。完全に傍観者であるのがイオナの立場であり、彼女がそうである以上、ゾロもまた同じだった。

高校受験の終わり以降、イオナの周囲が浮き足立っているように、彼の周囲でも、それっぽくなかった友人たちが、次々と恋人を作り、立派に童貞を卒業している。

高校入学後はそれに拍車が掛かった。

色気付きやがってと思う反面、そういう色っぽい話を"男として"羨ましいと思わないわけでもない。

けれど、一歩を踏み出してしまえばイオナとの今が終わってしまうかもしれない。

恋愛感情を優先させる情熱も、この10年を壊してしまう覚悟も、今のゾロにはなかった。

彼はいつもと変わらない口調、淡々とした調子でイオナの話に疑問を投げ掛ける。

「つーか、その男と鮎川は付き合ってたのかよ。」

「うぅん。オトモダチなんだって。」

「へぇ。」

「セフレなんてさ、もっと大人の話だと思ってたから驚いたよ。」

肩を竦めて苦笑うイオナを横目に、"鮎川をフッた木村の気持ちは充分にわかる"とゾロは思った。

恋愛のないところで身体の関係を持ってしまうような女を彼女にできるほど、高校生の男子たちは経験値を積んでいない。

身体目的ならばまだしも、本気で惚れるのならなるべくピュアな方がいい。

それは結局、前の男に劣っていると思われたくない気持ちと、カッコ悪い自分を見られたくない気持ちの現れであり、少なくとも相手を軽くみての気持ちではない。

女子には理解してもらえないかもしれないが、それが男子高生の心情というヤツだった。

「鮎川さんスタイルいいし、可愛いから。引く手あまたってヤツなのかなあ?」

イオナは夢見心地に呟く。

ゾロからすればイオナの方が鮎川よりずっとかわいいし、ムチムチしていて美味しそうにみえるのだが──それを口に出来るほど、自分が軟派なキャラでないことは理解していた。

「さぁな。つか、イオナはどうなんだよ。」

「どうって?」

「経験値。」

「そんなのつんでないよ。彼氏もいないのに、経験値なんてあったらそれこそ事件だもん。」

なにをもって"それこそ"なのかはわからないが、イオナがまだなにも知らないことにホッとする。

毎日自分と帰宅している時点で、そんな男は作れないだろう。そう思っていながらも、不安でなかったかと言えば嘘になる。こうして言質がとれたことは嬉しかった。

「ゾロはどうなの?」

「んあ?」

「経験値。」

屈託のない笑顔に、上目使いに見上げられ動揺してしまう。女子にとって童貞というのがプラスなイメージなのか、はたまたその逆なのかゾロにはわからなかった。

「ノーコメント。」

「どうして?」

「言いたくねェから。」

イオナは不思議そうな顔をした。そして、しばらく考え込んだ後、ハッとした顔をする。

「さては、火遊びしたな?」

「なんだよ、火遊びって。」

「だってゾロ、彼女いたことないじゃん。なのにノーコメントってことは、どこかでやっちゃったってことでしょ?」

「……………。」

まずったなと思う。けれど、ここで「いや、俺は童貞だ!」と言うのもかっこがつかない。

ゾロはしぶしぶ無言を貫いた。

「やっぱりそーなんだ。」

「なんだよ。」

「別にぃ。」

ぷくっとほっぺを膨らませる、子供みたいな仕草。その表情はふざけているようにしか見えないが、なにかを誤魔化されたような気もする。

フイと顔を背け、少しだけ早足になったイオナを追いかける。

ずんずんと早歩きする彼女は、まるで競歩でもしているみたいだった。

初恋Aへ続く

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