雑談T
「アイスカフェオレを作るとき、先にいれるのは氷か、それともミルクか。イオナ、お前はどっちだ?」
藪から棒すぎる船長からの問いかけに、朝食分の食器を洗っていたイオナは小首をかしげる。その真剣な面持ちに対して、聞いている内容はたいしたことがない。
対面式となっている洗い場。
そのカウンターの向こう側で、寝巻き姿のローはコラソン印のマグカップを手に、眉間にシワを寄せて立っている。
何かの聞き間違えかもしれない。しかし、こんな長文をまるまる聞き間違えることなどあるのだろうか。
そんなことを悩んで居たのは2、3秒。
無言のままでは失礼に当たると、何か返事をしようとしたイオナだったが、ローが手のひらを前に突き出したことでその口を閉ざす。
「すでに冷やされているブラックコーヒーが冷蔵庫にあるとする。それをアイスカフェオレにする場合、氷をいれるタイミングはいつなのか、ミルクの分量はどれだけなのかと聞いているんだが?」
どうやら本気でカフェオレの作り方が知りたかったらしい。
わざわざ条件を詳しく説明してくれたことから、ローはその条件下でカフェオレを作ろうとかんがえているのだろう。
「私なら、氷を入れた後にアイスコーヒーとミルクを注ぎますけど…」
イオナは手についた泡を洗い流し、タオルで水滴を拭う。ローは相変わらずの険しい表情で、その場からイオナの動きを見届けている。
「そうか。それで、氷は何個いれればいい?あと、アイスコーヒーと、ミルクは、それぞれ何ccなんだ?」
「それは、お好みだと思いますよ…?」
「好みの分量か。なかなか奥が深そうだな。」
「そう…、なんでしょうか?」
これまでカフェオレを作るときに分量など計ったことがないため、また自作のカフェオレにそこまでの完成度を求めたことがないため、イオナはローの言っていることがイマイチ理解できない。
なにより、冷蔵庫に既製品のアイスカフェオレが入っていたような─
「あと、もうひとつ聞きたいことがある。」
「えぇ、なんでしょうか?」
「冷たいカフェオレにスティックシュガーを入れても全くと言っていいほど溶けないんだが、どうやればあの甘たぁいカフェオレになるんだ?」
「ガムシロップを使えばよろしいかと…」
「ほう。」
世間知らずもいいところだと思いつつ、感慨深げな表情をする船長を愛くるしくも思う。なにより、普段が完璧超人であるために、余計にそう思えるのだろう。
無意識に頬を緩ませながら、イオナは視線を冷蔵庫へと向ける。
あの「甘たぁい」という表現と、一度飲んだことのあるような口ぶりから、彼の求めるカフェオレがどのようなものなのかハッキリと理解できたのだ。
「あの、船長…?」
「なんだ。」
「よければ、アイスカフェオレ、お入れしましょうか?」
「イオナは、あの甘たぁいヤツを作れるのか…?」
「あ、いえ…」
イオナは冷蔵庫を開ける。昨晩見た時よりずいぶんと分量の減った牛乳やアイスコーヒーのボトルが並ぶ、ドアのポケット部分。その一番端には、茶色いパッケージの紙パックがさりげなく居座っていた。
その紙パックを手に取ったイオナは、ローにもそのパッケージが見えるように持ちかえる。
「ここに、その甘たぁいヤツがありますので…」
「…………。」
目を細め訝しみの表情をみせるロー。
どうやらその製品が信用できないらしい。
「ちょっと飲んでみますか?」
イオナはそう訊ねながら、手身近にあったコップにカフェオレを注ぐ。当然ながらコーヒーの芳醇な香りはしない。上がってくるのは甘い匂いだけだった。
船長は相変わらず納得のいかない表情をしていたが、それでも強引にカウンター越しに差し出してみる。
躊躇いながらもそのグラスを受け取った彼は、よほど警戒しているのか、グラスの縁に鼻を寄せ、その中の液体をくんかくんかした。
その光景はどうにも間抜けにしかみえないのだが、彼は見られていることを全く意識していないらしい。
イオナはどんな顔をしていいのかわからず、とりあえず真面目な顔を取り繕う。
「いかがでしょうか…」
「これは、まさか!?」
驚きの表情と共に漏れる感嘆の声。
船長は。いや、トラファルガー・ローは飢えた子のように、グラスの中身をグイと一気に飲み干した。そして、その瞳をランランと輝かせる。
「こ、これだ…!!!」
流し台とカウンターの奥行きは約1m。その幅を勢いだけで飛び越えたローは、イオナの手から紙パックを奪い取る。
その剣幕はすさまじく、イオナはぶつかったわけでもないのに2、3歩後ずさってしまっていた。
その距離を一瞬のうちにグイと詰めるロー。
もし言い寄られているのなら逆上せてしまいそうなほどの接近状態だったが、アイスカフェオレののどかなパッケージがその雰囲気を台無しにする。
「おい、イオナ。お前はこれを、こ、このアイスカフェオレをど、どこで手にいれたんだ!?」
「あ、いや。それ…、どこにでも売ってますけど…」
「………!?」
「もしお気に召されたんでしたら、次の停泊中に買いにいきますよ?」
「…………っ。」
冷静なイオナの態度を前に、自身が興奮しすぎていたことに気がついたのか。ローは一瞬だけその表情に恥じらいをにじませた。
しかし、すぐに気を取り直し、いつもと変わらぬ険しい表情を取り繕う。そして、肩を使った深呼吸をしたのちに、威厳を示す口調で言い放った。
「船長命令だ。あるだけ取り寄せろ。」と。
その重々しい声音が、威圧感が、鋭い眼光が─
彼の求める『子供向けカフェオレ』と釣り合わない。
なにより死の外科医とも呼ばれる男が、カフェオレ程度にここまで傲慢になれるとは─
深く頭を下げ、「かしこまりました」と告げるイオナの肩は小刻みに震えていた。
END
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