したいならすればいい観光案内をしろと言われたイオナが、キッドを連れてやってきたのは宿だった。しかもただの宿じゃない。通称連れ込み宿と呼ばれる、そういった行為をするための宿泊施設だ。
「お前はここがどういった場所かわかった上で、俺様を連れてきたのか?」
「当たり前じゃない。」
「ったく…」
部屋の甘い雰囲気にそぐわない、そっけない態度。イオナはどさりとソファに腰を下ろすと、呆れ顔のキッドへと冷たい視線を向ける。
「女には困ってないとか言えちゃう口なの?」
「いやあ、別に。」
「だったら喜びなさいよ。ただでヤらしてあげるって言ってるんだから。」
それまでとは打って変わって、イオナの態度は強気だった。それをみて、普段から彼女が売春紛いのことをしているのではないかとキッドは勘づく。
「元カレが泣くぞ。」
「─放っておいて。」
「抱けって言ったり、ほっとけって言ったり、忙しい女だな。ったく…。」
ボリボリと乱暴に頭を掻いたキッドは、ドカドカとソファに歩み寄ると、イオナの隣に腰を下ろす。それでなくても小さめのソファだったせいか、二人の太股がぶつかり合う。
「ヤるならシャワーしてからにして。」
「いや。俺はいい。」
「あんたがよくても─」
イオナが声を荒げることはお見通しだったようだ。まるでそれが自然な流れであるかのような動きで、キッドはイオナの後頭部を押さえつけ、強引に唇同士を重ねた。
「んっ…」
突然のことに目を丸くするイオナ。そんな彼女のことなどおかまいなしに、キッドの舌は口内へと押し入った。馴れない動きに蹂躙される。舌と舌の摩擦に、歯の上をなぞられるこしょばさ。こじ開けられた唇の端から、混ざりあった唾液がたらりと垂れる。
息苦しい。
イオナは顔を背けようとする。けれど、彼の大きな手のひらがそれを許さない。頭はがっちりと固定されていて、いやいやしようにも身動きが取れない。
これまで何度も繰り返し、他の男に上書きさせてきたはずだ。他の男の体温を感じてきたはずだ。それなのに─
鼻の奥がツンとする。熱くなる目頭に力を込める。心の中で繰り返し「助けて」と繰り返す。大好きだった、大切だった人の名前を叫ぶ。
ぎこちないだけの口づけも、鼻先が触れあった時の気まずさも、歯がぶつかった時のカチりと鳴るあの感触も思い出す暇はない。
それ以上の勢いに、衝撃に飲まれるだけ。
まるで大切な思い出を侵されているような感覚だ。
耐えられない。
イオナは両腕をおもいきり前に突き出す。それはキッドの胸板に触れるが、トンッと小さな衝突にしかならなかった。
最悪だ…
イオナはポロポロと涙を溢す。
このまま強引に、乱暴に抱かれてしまうのだろうか。ぐちゃぐちゃにめちゃくちゃにされて、下手すれば殺されてしまうかもしれない。
口内に感じる粗暴な舌の動き。それでいて、歯がぶつからないのはそれに対する彼の慣れを現しているのだろう。
嫌だ。こんなの、嫌だ…
数々の男と寝てきたが、こういったタイプの男は初めてだった。女遊びに馴れた男こそ居たが、ここまで乱暴で粗末な扱いは受けたことがない。身体中の筋肉が強張り、泣き言ばかりが脳裏を過る。
自らの無力を嘆いているうちに無理矢理に体勢を変えられ、身体がソファに沈んだ。もう終わりだ。そう思い、項垂れそうになったところでやっと唇が離れた。
イオナは怯えた目をキッドに向ける。
彼は苛立った表情のまま、手の甲で自身の唇を拭い、その手でイオナの顎を掴んだ。
「慰めてやる気はねぇよ。」
「……。」
「ヤりてぇだけなら他を当たれ。他の男の影を追う女を抱けるほど、俺の心は広かねぇ。」
イオナは目を丸くするが、彼はそれ以上はなにも語らない。それが余計に彼女の心を刺激する。
自分自身でも気づかぬうちに、他者との行為にエースとのそれを重ねていた。それと同時に、エースに当て付けていた。「あなたに放っておかれたから、こうなったのよ。」と。
そうすることで、自分の心を保っていた。その感覚を失わないように、あえて身体を刺激し続けていた。
全てが無自覚のうちに行われていた行為。
それを初対面のこの男にあっさりと見抜かれた上に、警告まがいのことまでされて──
「待ってよ…」
一気に不安になった。自分が無知だったことに。誰もが優しく触れてくれると思っていた、そう信じて疑わなかった間抜けさにも。
呼び止めるイオナの声は確かに届いているはずだ。それでも、キッドは振り返らない。
彼はドアノブを握ると言った。
「したいならすればいい。だがな、お前の愛した男も、その代わりの男も、責任は取っちゃくれねぇよ。そこんところを理解したなら抱いてやってもいい。」
「誰があんたなんかに…」
悔しさから泣いてしまいそうで、声が震えた。彼は威勢のいい台詞に不釣り合いな声色を鼻で笑うと、部屋を出ていった。
途端に緊張から解放される。イオナはソファの上で踞り、ムッと唇を固く結ぶ。
口内に彼の舌の感触が強く残っていた。
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