Sympathy | ナノ


孤独の選択

大好きだと伝えたいのに、彼はもうここにはいない。

何度も、何度も、何度も名前を呼んだのに、返事は返ってこない。そこにあったはずの熱は消え失せ、窓から舞い込む潮の香りがさらに心を傷つけるだけ。

どうして?なんで?とすがりたいのに、その相手はもう居ない。ここには居ない。

ただ広いだけの海は、私から大切な人を、大好きな人を奪ってしまった。手の届かないところへ運んでしまった。

悔しい。悔しくて、悲しい。
悲しくて、淋しい。

逢いたい。もう一度触れてほしい。

捨てられたという現実より、温かだった過去の方が記憶に鮮明で、心が縛られる。縛られすぎた心は次第に壊れてしまって…

…………………………………………………………………

海辺の平屋で育ったイオナは、とある理由から海が嫌いになった。だからこそ、『あの事件』の残り香が消えると同時に、生まれ育った家を売りに出し、島の中心にある街に移り住んだ。

親が亡くなった日。自身が傷を負った日。
大切な人を失う原因となった日。

そんな『過去』のことなど考えなくてもいいように、注がれる熱によって心の隙間を埋め続ける。毎日毎日意味のない繋がりを繰り返し、体力を消耗し、疲れ果てて眠るだけ。

それでもふと思い出してしまう。

例えば、照りつける太陽の熱で肌が焼かれた時。
例えば、潮の香りに鼻孔がくすぐられた時。
例えば、なにもないのに古傷が痛んだ時。

例えば、夢に"彼"が現れた時。

イオナはギュッと枕を抱いた。枕には抱き返してくれる腕がない。肌に伝わる熱もない。だからこそ、ちょうどよかった。

大切に思っていたのは自分だけ。それに気がついてしまった時、いっそのこと死んでしまおうかと思った。それなのに生きているのは、きっと死ぬことにすら興味が持てないから。

死ぬ勇気がない。死後の世界に興味も持てない。
ただ"死ねない"から"生きて"いる。
淡々と生きている。

捨てられたと知っても、気がついても、彼を憎むことができないのは、そこまでの価値を自身に見出だせないから。誰かを憎めるほど、自分に価値があると思えないから。

イオナがぐすん、と鼻を啜ると、隣で眠っていたはずの男がゆっくりと身体を起こした。寝たフリをしていたのか、はたまた起こしてしまったのか。

頬を伝っていた涙を、慌てて手のひらで拭い、枕を抱いていた腕に更に力を込め、そこに顔を埋めた。

「どうかした?」

優しく問うてくる男の声に答えるように、イオナは首を左右に振る。それに合わせて、男の手が裸の彼女の肩に触れる。

「ほら、こっちを向いて。」

労るように優しく声をかけられ、仰向けになるように促される。もちろんイオナはそれを拒まない。

枕を抱いたまま天井を見上げた彼女に、男が跨がった。そして訊ねる。

「どうして泣いているの?」と。

「別に。ただ昔のことを思い出しただけ。」

「昔のことか。」

男は何を思ったのか。まるで慰めるかのように、イオナの唇に優しく自身の唇を押し当てた。
…………………………………………………………………

数ヵ月前。

「ねぇ、私もストライサーに乗りたい。」

「ストライサーじゃない。ストライカーだ。」

「ストライカーか。ふーん。ストライカー…」

「なんだよ。」

「別に。」

訝しむようなエースの視線から逃れるように、イオナは顔を背ける。キュッと結んだ口元からは今にも笑いが溢れそうで、それをみたエースは困ったような、照れたような曖昧な顔をした。

「乗せてやってもいいけど、日焼けするぞ?」

「いいもん。日焼けして。」

「後で困るぞ?」

「エースは気にしてるの?」

「なにが?」

「ソバカス。嫌なのかなぁって。」

「これはガキの頃からあるからな。そうでもねぇよ。」

そう言いながら鼻の頭を擦るエースのテンガロンハットを、ひょいと奪ったイオナは、それを自身の頭に被せてみる。

「おい。取るなよ。」

「これ被ってたら焼けないかな?」

「俺が日焼けするだろ。」

「あぁー。やっぱり、気にしてるんだ。」

「…してねぇよ。」

「嘘だ。今、ちょっと間があった。」

「もういいだろ。返せって。」

ひょこひょこと砂浜を駆け出したイオナを追いかけて、エースも走り出す。けれど細かい砂に足をとられ、思うように足が進まない。

海辺で育ったイオナはそんな走りづらさにも慣れっこなのか、履いていたサンダルを脱ぎ捨てて、どんどん走る速度をあげていく。

「おい、待てよ。」

「やだやだ。絶対待たないよ。」

「イオナ!」

「エースののろま。」

「言ったな!」

自然(ロギア)系悪魔の実の能力者であるエースが、のろまなはずがなく、ただの女の子にかけっこで負ける訳がない。

エースは砂浜を走ることを諦めた。

足が炎に包まれたこと思うとそれ自体が炎となる。途端に加速するエース。彼は砂浜を走っていたときもずっと早い速度でイオナに迫る。

「ズルい!エースのずる!」

「そうでもねぇよ。」

あっという間に捕まってしまったイオナは、ハァハァと浅い呼吸を繰り返しながらも唇を突き出して不満顔。そんな恋人をみて、エースはカラコロと笑いながらテンガロンハットを奪い返した。







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