Sympathy | ナノ


サヨナラ

身体のあちこちが軋む。鈍い頭の痛みと、喉の奥の乾燥。寝返りを打とうとすると、下半身にひどい痛みが走った。

「あれだけやれば、当然か…」

どれだけそこが濡れていたとしても、与えられるのが常識以上の摩擦となれば耐えられる訳がない。

行為中、どれだけ気持ちよかったとしても、翌日に響いている時点で反省すべき点だ。

イオナはのっそりと身体を起こすと、グースカとイビキをかいて眠るキッドの横顔を見下ろす。

堂々と天井に顔を向けて寝ていそうな雰囲気の男が、胎児の姿勢でコロンと寝ている姿はなんも言えない。

そっと髪を撫でてみると、やっぱり指先にツンツンが引っ掛かる。

イオナは無意識のうちに自分の頬が緩んでいることに気がつき、慌てて表情を改める。

誰を意識しているわけでもなく、ただ単純に、勝手に寝顔をみてニマニマしている自分が、なんとなく気持ち悪く思えたのだ。

なに食わぬ顔をしながら、もう一眠りしようと再びベッドに横になる。身体を起こした拍子にずり落ちていた布団を引き上げると、左右の乳房にチクリと痛みを感じた。

視線を胸元へと落としたイオナは、思わず「うわぁ…」と呟いてしまう。

どうにも覚えている以上に、お楽しみされていたらしい。両胸の先端は普段よりずいぶんと腫れていて、妙にヒリヒリした。

どんな風に触れられ、どんなことを囁かされたのか。

それを思い出そうとするスケベな自分を、理性で無理矢理に押さえ込み、イオナは布団を頭まで被る。

こんな風に身体のあちこちに痛みを覚えるのは、初めてエッチをした時以来だ。

行為に慣れないエースに、身体のいたるところを"むやみやたら"にいじくり回されたあの日。

きっと「痛い」と言えばやめてくれただろうし、できる限りは加減をしてくれただろう。

けれど、めいいっぱいに頑張るエースをずっと見ていたくて、夢中な姿があまりにかわいくて、自分自身も余裕がないくせに恥ずかしさ半分、喜び半分で全てを受け入れた。

結果的にはその翌日、女性特有の箇所はどこもジリジリと熱を持ち、無理矢理脚を押し開かれたせいか股関節まで痛かった。

それがただの怪我だったなら。筋肉痛だったなら。きっと嘆いていたと思う。もう嫌だ、と不貞腐れていたと思う。

けれど、その全てがエースから与えられたものだと思うだけで、不思議と痛みを受け入れることができた。それどころか、痛みを感じる度に、行為中の充足感を思い出し胸を熱くできたほど。

どこも痛くなくなった時は、心なしか寂しいと感じたような記憶まである。

思い出すほどに深みに嵌まってしまいそうなほどに、鮮明な記憶たち。追憶しすぎた結果か、多少の脚色を加えられていそうな過去はいつだって華やかだ。

イオナはそこから意識をそらしたくなり、瞼を閉じた。

キッドの地響きを思わせる豪快なイビキが、鼓膜を大きく振るわせる。エースを思い出すことに夢中になっていた頭は、深呼吸するほどにキッドで充たされていった。

武骨そうな指は想像以上に細やかに動き、"いいところ"を探りだす。乱暴な言葉遣いをフェイクかと疑いたくなるほどに優しく、それでいて執拗に核心を責めてくる。

抱き締めると抱き返してくれる腕の力強さ。
筋肉質な身体に似合わない観察眼。
いつまでも腰を振り続けられるほどの執着心。

身体中がキッドに充たされ、粘膜はとろとろに溶ける。体液を交わして、境界線を無くして、何度も意識を飛ばしかけながら求めて、くどいほどに求められる。

その場面を思い出す今、この瞬間に、心を満たしているのは紛れもなく『あの日と同じ充足感』だった。

「なんで…」

ただエッチをしただけだ。これまでしてきたどれよりも気持ちよかったのは確かだけど、それでもエースとの蜜月を上書きするほどだとは思えない。

なにより、まだ知り合って2日目なのだから、"上書き"なんて許される訳がなかった。

過去を否定されたような気分だ。あの時の想いを、あの大切な日々を、たかが『性欲』に上書きされるのは納得いかない。

それはてんで検討外れな苛立ちなのに、イオナは気がつけない。

忘れたいと強く願いながらも、心のどこかではあの頃に戻りたいと願っている。最悪、過去の記憶に閉じ込められることになっても、あの頃の自分たちは否定したくないと──。

イオナはベッドから抜け出した。キッドのイビキが止む様子はない。床に落ちている下着を拾い上げ身に付ける。ショーツはわずかに湿っていて気持ち悪かったけれど、今だけの我慢と割り切った。

(早く部屋を出ないと…)

無意識に気持ちが焦る。着ていた服はどこだろう。インテリアの少ない、生活感のないこの部屋の様子からここがホテルの一室であることは明白だ。

イオナは下着姿のまま、あちらこちらを彷徨き衣服を探す。

逃走できないように着衣を隠してしまうほど、姑息な男とは思えない。下卑た言い回しはするけれど、それが本意でないことはベッドの上で証明済みだ。

ベッドから遠ざかる。歩くほどにあそこがヒリヒリするけれど、気に止めている暇はない。

ここまで気持ちが落ち着かないのは、キッドが起きてしまえば、掠れた声で名前を呼ばれてしまえば、自分がひとたまりもないことを無意識に理解しているのかもしれない。

あれ以降、上手く恋愛が出来なかったのは、「再び失うことを恐れた」からだけじゃなかった。エースに抱いた感情を手放したくない、忘れたくないと強く感じているからだ。

心をエース以外の人に開くことを許せない。

昨晩、乱暴な口づけによってつけられたと感じた『楔』は紛い物で、実際はすでに心の中心に穿たれていた。

それを自覚したイオナは、一刻も早くキッドの傍から離れたいと思った。これ以上に深みに待ってしまえば、恋愛をしてしまいそうだから。

キッドを好きになるということは、エースを裏切るということ。

もうすでに何人もの男に身体を開いた人間が考えることではないとしても、寝起きの冴えない頭はそう判断する。

廊下に出るためのドアの下に、クリーニングのビニールに包まれた衣服が置いてあった。

それを慌てて身に付け、部屋を後にする。
一瞬振り返りそうになった自分に嫌になる。もう一度触れたいと思ってしまったことに腹が立ち、自分の頬を平手で打つ。

「深みにハマっちゃダメ…だから。」

ホテルの建物から遠ざかるほどに涙が出た。ポタポタと滴る涙の意味がわからず、下唇を噛む。

たった一晩の付き合いだというのに、心にぽっかりと大きな穴が開いてしまった。




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