「俺に勝てると思うことが間違いなんだ。」
「大人げないなぁ。」
走り疲れた二人は砂浜にごろんと寝転がる。真っ青な空に濃い白の雲が泳ぎ、強い日差しに煽られた。
「大人げないって。俺たち、歳はたいして変わんねぇだろ。」
「そうだけど、でも全然違うよ。」
「そうか?」
「そうだよ。」
イオナが微笑むと、エースは不思議そうに眉を寄せた。さりげなく重ねられた手のひらと、鼻孔をくすぐる男の子の匂い。
もう少年なんて年齢は過ぎたはずなのに、彼から漂う汗の匂いからは、思春期前の少年のようなヤンチャな香りがするのだから不思議だ。
イオナは空を見上げるエースの横顔をみつめる。眩しそうに目を細め、手の甲で額を押さえる姿はすごく絵になる。大人っぽく見える。
「ほんとに世界を見せてくれるの?」
「イオナが行きたいってなら、連れてってやるよ。けど…」
「きっともうすぐ折れるんじゃないかな。なんだかんだ言ってエースのこと気に入ってるもん。」
「それならいいけど、イオナの親父さん怖ぇからな。まるで俺らのじいちゃんみたいだ。」
エースは過去を懐かしむように遠い目をする。船に乗って世界を巡る彼にとって、故郷というのは思い出深いところなのだろう。
生まれた島が世界の全てであるイオナにはわからない、特別な価値観。広大な海を巡ってきたエースにしか語ることの出来ない世界観。
この島に住む同じ年頃の男の子より、ずっと大人びた感性を持ち合わせていて、その堂々とした立ち振舞いにはいつも驚かされた。
だからこそ、彼女は海に出たがった。エースの見てきた世界の一部を共有したかった。そうしないと、大人になれないような気すらしていた。
「エース、好きだよ。」
「なんだよ、急に。」
「エースは?」
「いちいち聞くなよ。」
「言いたくないの?」
「そういう訳じゃ…」
照れたように呟いた彼が、重ねていただけの手のひらをグッと握り込んだ。イオナが握り返すと、エースは身体を起こし彼女に覆い被さる。
「俺に何を言わせるつもりだ。」
「好きって言って欲しいだけ。」
「言うかよ。恥ずかしいだろ。」
「恥ずかしいって言う方が恥ずかしいでしょ。」
上目使いにエースをみつめ、からかうように笑って見せる。彼は一瞬面食らった顔をしたあと、ムッとした表情を作る。イオナが更に笑って見せると、呆れたような、困ったような顔をした。
そこで彼女は甘えた声でねだる。
「キスして。」と。
途端に、エースの頬は赤くなる。あからさまにたじろいだ彼は、一度イオナから視線を外すと、注意深く周囲を見渡す。
「ねぇ、早く。」
「わかってる…。」
耳まで真っ赤に染めたエースは緊張を押さえきれない声でそう呟くと、待ちきれないと言わんばかりに瞼を閉じ、顎を持ち上げる彼女の唇に自身のそれを押し当てた。
……………………………………………………………………
現在。
イオナは昼間からアルコールを飲むことができる、街中のカフェにいた。
「まだエースくんが好きなの?」
「そんなんじゃないから。」
「なら、どうしてあの人と付き合わなかったの?」
「海賊の女やってたヤツと、真面目に付き合う物好きなんていないよ。向こうだって一度やってみたかっただけなの。ちょっとズルズルしちゃったけど…」
「海賊って言っても、エースくんはいい人だったじゃん。」
「モモ、あのね。」
朝方まで一緒にいた男は、最近この島に移り住んできたと言っていた。
周辺の島と産業的交流の多いこの島ではよくあることで、特別珍しいことでもない。仕事を求めてやってくる者もいれば、駆け落ちしてくる者もいる。かと思えば家出気分でやって来る者もおり、移住目的でやってきたものの、環境に馴染めるか不安になり観光だけをして帰る者もある。
中でも多いのは安全性を求めての移住だ。この島が白ひげ海賊団の恩恵をうけていることもあり、近辺国からはどんどん人が集まってくる。
数日前に飲み屋で声をかけられ、何度か身体を重ねたその男もまさしくそれだ。故郷の島がとある海賊に目をつけたらしく、慌てて引っ越してきたらしい。
彼らは一様に、新天地に馴染むには、現地で恋人を作るのが一番だとでも考えるのだろう。
イオナはそういった余所者の男によく口説かれた。きっかけは様々なのだが、どういう訳か、外の世界の人間に好かれやすいらしい。
「イオナちゃん、そろそろダメだよ。誰とでもエッチしてたら、ビッチって虐められるんだから。」
「虐められたって平気だけど。」
「強がっちゃダメっ。それにイオナちゃんが虐められると私が悲しいんだから!」
「はいはい。ごめんなさい。」
イオナは口先だけで謝る。そんな態度を取られたモモが納得するはずもなく、「はいは一回でいいんだよ?」と唇を尖らせた。
二人は無言で甘いカクテルを口に運ぶ。
幼い頃から仲のよかったイオナとモモ。
エースのことを忘れようとしているイオナに対して、ズケズケと彼の話を繰り返すのはモモくらいだ。
傷口を抉られている。そう思うからこそ、彼女には近づかないようにしていた。定期的に呼び出されるが、それ以外では接触しない。話さない。
親友だったはずの友達すらも『あの恋』が奪ってしまった。
「エースくんはイオナちゃんを捨てた訳じゃないと思うんだけどな…。」
「何を根拠に。」
「根拠はない。でも、知る限り、女の子を弄べるほど器用な人じゃなかったもん。」
「相手は海賊じゃん。仮面を被ってたのかも。」
「だとしたら名俳優だね。あり得ないよ。」
捨てられた私の気持ちがわかる?
エースのなにがわかるの?
私は、私には、なにもわからなかったのに…
叫びだしたい気分だった。
彼がこの島に居た1ヶ月。
たったこれだけの時間で、生きてきた世界は変わってしまった。
「もう帰るね。」
「待ってよ、イオナちゃん…。」
イオナは知っていた。モモがもうすぐ結婚することを。結婚してこの島を離れることを。
これからを心配してくれているからこそ、お節介を焼いてくるのだろう。でも、それが親切になることはない。
追いかけてくる友人を振り払い、お札を店員に押し付けたイオナは店を出る。
幸せになれる人は勝手になればいい。
それが彼女の人生なのだから。
大切な友達が幸せになるんだ。
心からおめでとうと言える。
ちゃんとおめでとうと言葉にして、笑顔で送り出せる自信がある。だから、頼むから、その価値観を押し付けないで欲しい。
人混みを掻き分けながら、イオナはギュッと拳を握った。
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