適度な刺激「いきなりバカだろはないと思うんですよ。ビックリしちゃって…」
ゾロにサボの元へと送り届けられたイオナは、暇そうに誘導用バトンで遊んでいたサボにポツポツと愚痴る。サボが暇なのだから、当然、彼女も暇だった。
「ビックリしたくらいならいいだろ?別にお互い嫌い合ってる訳じゃないんだし。」
「最初からよくわからないです。」
「なにがだ?」
「ゾロ…、さんが。」
敬称を付けるかどうかイオナは一瞬迷った。どういうわけか、エースやサボには必ず「さん」を付けないといけないと思うのに、ゾロに対してはそれがないのだ。
なんとなく今はつけているけれど、気が抜けたら省いてしまいそうになる。本人の前でも、誰かの前でも、呼び捨ててしまいそうになる。当然ながら、それがどうしてなのかはわからなかった。
どぎまぎしてしまったせいか、サボはバトンを回していた手を止めて、イオナに微笑みかけた。
「別に無理して敬称つける必要はないんじゃないか?」
「え?」
「ゾロは、そんなことに拘らない。些細なことでどうこう言うような器の小さいヤツじゃない。」
「それってなんだか違うような…」
「違わねぇさ。なんてったって、アイツはかっこいいからな。」
サボは自慢するみたいに言い切る。ずいぶんとおかしな言い分なのにも関わらず、違和感なく聞き入れてしまいそうなほどに爽快だ。
イオナはわずかな混乱の後、小首を傾げる。
サボはそんな彼女をみて楽しそうに笑った。
「アイツいい男だろ?」
「えっと…そう、なのかもしれないですけど…」
いい男の基準とは何だろう。
顔がかっこいいとか、背が高いとか。勉強ができるとか、スポーツが得意だとか。そういったもので見極めてしまえるものなのだろうか。
イオナはゾロの顔を思い出す。
思い出されるのは無愛想で不機嫌そうな表情ばかり。けれど優しいのは確かで、時々こっそりと笑っていたりする。その時の表情はたしかにかっこいいのかもしれない。けれど──
「ゾロはな、俺なんかよりちゃんと自分を理解してるし、自己管理も出来てる。感情のコントロールがマジで上手い。アイツと比べたら俺なんて海の底だ。世間ではいい男で定評のある俺が底辺なんだぜ?ゾロなんてもう神の域だろ。」
なんて曖昧な基準なのだろう。
あまりに可笑しな言い分に、イオナは考えるのをやめて笑ってしまった。それをみてサボも楽しそうな顔をする。昨夜の手の怪我以降、なんとなく沈んでいた気持ちが浮上してきた。
さまざまな事情を知った上で、サボは気遣ってくれているのだろう。そうでなければ、こんな風に真摯に向き合ってはくれないだろうし、丁寧に接してはくれないはずだ。
けれどそれを嫌に思う理由はなかった。下心なんてものは一切感じられないし、少なくとも同情ではないからだ。
優しいお兄ちゃんがいたらこんな感じだったのだろうか。そんな風に考えることすらあるほどに、サボに親しみを感じている。
「俺の予想では、アイツはイオナに惚れるぞ。いや、もう惚てるかもしれないな。」
「ちょっとなにを言い出すんですか?」
「あぁいうタイプの男は弱いんだよ。」
「はい?」
「イオナみたいな女にめっぽう弱い。」
『 めっぽう』なんて古い言葉が、今時のサボの口から聞けるとはおもわなかった。イオナはその単語の響きにおかしさを覚えながらも、若干照れる。
人に好きになられるとはどんな感覚なのだろう。
彼氏が居たことがあったというのにそう思うのは、その時の恋人に『本気』を感じられていなかったせいかもしれない。
誰かを好きになりすぎて、感情のコントロールが効かない。そんな心で思考する日が、自分にも訪れるのだろうか。
「恋愛評論家の俺が言うんだ。間違いない。ゾロはイオナを好きになる。それで、サンジと喧嘩して、エースに怒られる。絶対にな。」
サボは得意気に言い切った。バトンの先で指され、イオナはどうしていいのかわからない。
サボの断言が頭の中をグルグルする。
別にどうとも思っていない相手でも、好きだと言われてしまうと気になってしまう。ifの世界を想像してしまう。
恋愛などできる立場でない。
そう頭でわかっているのに、新鮮な言葉ほど強烈で感情を揺さぶってくる。思考は支配される。
困った顔をするイオナをみて、サボは楽しそうに笑い、続けた。
「ゾロばっかりに意識するなよ。俺も居るんだからな。」と。
サラリとした口調に乗せられた言葉の羅列。
その意味は?真意は?
ずっと冷やかされていたのかもしれない。脳みその半分でそう結論をだしながらも、残りの半分が色めき立つ。
自分が誰かに惚れられる。自分が誰かを好きになる。どちらかと言えば、後者の方が安易な気がする。好きになるというのは、意識の上でもできることなのだから。
それなのに、そのどちらも不向きに思えた。
自分にはふさわしくないように思えた。
「大歓迎ですよ。サボさんなら。」
本気にしていると思われるのは恥ずかしい。サボの言葉の全てを冗談として吸収すると決めたイオナは、少しだけ背伸びをしてそう答えた。
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