カルマの法則 | ナノ

バカだろ。

翌日。

手の甲には大判の絆創膏を貼ってもらった。エースは包帯を巻きたがったけれど、些細なことを大袈裟にするのはあまりよくないと思い断った。

女同士のいざこざに現場の男たちがどうこう言ってくるとは思えないけれど、 イオナは警戒する。

「今日は休んでもいいんだぞ?」

「いえ。これくらい大丈夫です。」

「でも、まだ痛いだろ?」

「まぁ…。」

「根性焼きみたいなモンだもんな。」

過保護と言っても過言ではないほどに、エースは心配してくれている。その理由はきっと、この傷が故意による火傷だからだろう。

昨晩、エースに連れられ寮に戻ったイオナは、家政婦のおばちゃんに水膨れの水を抜いてもらい、軟膏を塗ってもらった。

その処置の仕方が母親のそれによく似ていて、おもわずウルッときたのだけど、そのせいでさらにエースに責任を感じさせてしまったらしい。

その場では本格的に泣いてしまいそうな精神状態だったために、勘違いを訂正できなかった。

今思うと、火傷や怪我の治療なんて、誰がやっても同じとしか思えない。そこに懐かしさを感じて涙ぐむなんて、間抜けにもほどがあると恥ずかしく思えた。

「昨日は、別に痛くて泣いてたんじゃないんです。子供の頃に怪我した時、お母さんに手当てをしてもらってた時のことを思い出しちゃって。バカですよね。誰がしたって、手当ては手当てなのに。 」

「………。」

運転中のエースの横顔が急に険しくなる。返事も、相づちもなく、押し黙られてしまった。笑い半分で聞かせたはずなの話で、そんな反応をされるとは思わず、困惑してしまう。

「あの、エースさん?」

「ん?あっ、ぁあ。あるよな、そういうこと。」

「今思うと、保健室の先生にも、病院の先生にも同じことされてるのに。美化しちゃってるんですかね。記憶の中のお母さんを。」

捨てられたことに気がついて、まだ一週間とちょっとしか経っていない。それなのに、もうすでに母親が過去の存在となってしまっている。

それは、暗にエースの気遣いと、現場の賑やかさのおかげなのだと思う。多少、気を使われている感は否めないけれど、そこに同情の色はない。

セクハラ作業員の復帰という、大きな不安もあるにはあるが、周囲の警戒も肌に感じた不安も全て杞憂に終わるような気がしていた。

一晩寝ただけですっきりした頭の中。

警戒心を忘れてないよう心がかけつつ、ネガティブな感情は小出しに発散させるようにしよう。それがプラスにでるか、マイナスに陥るかはわからないけれど、イオナはそうすることで平常心を保とうとしていた。

「エースさんたちに拾ってもらえてよかったです。もし、なにもわからないまま放り出されたりしてたら…。」

放り出されるもなにも、身体を売る商売にどっぷりと浸けられる予定だったのだ。ギリギリで助け出してくれたマルコの顔と体温は一生忘れることはないだろう。

冗談めかした口調で言葉を紡ぐイオナの隣。エースはハンドルを握ったまま、何故かずいぶんと神妙な面持ちをしてした。

その表情の意図することがわからず、ほどよいところで会話を打ち切る。

エースとの無言のドライブは苦痛じゃない。けれど、この日ばかりは少しだけ、居心地が悪かった。
…………………………………………………………………

現場についたところで、イオナを待ち伏せていたのはゾロだった。エースも彼が駐車場で待っていることを知らなかったようで、「俺になんか用事か?」と訊ねる。

「いや、イオナに用事があんだけど…。」

「それ、俺がいるとまずいか?」

「まずいっつーか、まあ、居たいならいてもらっても大丈夫…」

「わ、わかった。俺は先に行く。話が終わっら、イオナをサボのところまで送ってってやってくれ。」

「あぁ。」

「あの、エースさん?」

車の中でのエースの態度に違和感を覚えていたせいか、こういう形で置いていかれるのはなんとなく不安だ。思わず、背中を追いかけてしまいそうになるけれど、ゾロに「おい。」と呼び止められてしまった。

「なんですか?」

「なんだよ、その顔。 」

「顔?」

「迷惑そうな顔してただろ。」

「………。」

思わぬ指摘にイオナは押し黙る。決してそんな不躾な態度を取ったつもりはなかった。けれど、ゾロがそう受け取ったのだから、そんな顔をしてしまっていたのだろう。

「ごめんなさい。そんな、つもりはなくて…」

「まぁ、別にいいけど。」

ゾロは特に気にしてもないのか、いつも通りの無愛想な視線を伏せる。最初の時はこの表情を怖くもおもったけれど、慣れたせいか今はそうでもない。

彼の視線が火傷した手の甲へと落とされたのに気がつき、イオナは身体の後ろに手を回した。

「やっぱ、酷いのか?」

「え?」

「火傷。昨日、謝っといてくれってメールもらった。」

「メールって…、誰から?」

「あの女スタッフ。ついぶつけちまったって感じの文面だったけど、そうでもねェんだろ。」

すごい洞察力だと思う。というより、何をみてそれが『故意』であったと気がついたのだろう。

「火傷自体はそんなに酷くないんです。ただ、患部が縦長いから、絆創膏も大きくなっちゃって…」

「なんでその場でアイツに言わなかった?」

「アイツ?」

「あっこのクソコックだよ。女ったらしの… 」

一瞬、エースのことをアイツ呼ばわりしたのかと思って驚いたイオナだったが、昨日、サンジとエースの会話の中でゾロとの関係を匂わせる会話があったことを思い出し、府に落ちる。

犬猿の仲なのか、親しすぎるが故なのか。

サンジに対するゾロの素っ気なさに違和感を覚えながらも、都合のいい言い訳を探す。

「それは、その…、大袈裟にしたくなくて。なんていうか、なんとなく。なんですけど…。」

「エースさんはなんて?」

「なにも。ただ、怪我してから、なんだかぎこちなくて。車の中でも難しい顔して、押し黙ったきりで。どうしていいのか。」

「………へぇ。」

ゾロはなにか言いたげだった。冷やかしのような視線を向けられ、居心地が悪くなる。イオナは「もういいですか?」と聞きそうになったが、何を口にしたところでゾロにサボのところまで送ってもらうことは決定事項なのだ。

どうしようもなくて押し黙ってしまったイオナに向かって、ゾロは呆れたような嘲笑を浮かべる。

そして、呟いた。

「バカだろ。」と。


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