カルマの法則 | ナノ

立場と心情

店内も外観に負けず劣らずのお洒落さだった。レンガの壁面によく合う木製のアンティークな家具に、雑貨屋を思わせる小物の類い。その一つ一つにこだわりが感じられ、どれだけ視線を巡らせてもワクワクが止まらない。

オレンジ色の照明とバランスよく配置された緑や、ドライフラワー。落ち着いた雰囲気が心地よく、鼻孔をくすぐるガーリックをはじめとするスパイスの香りが、空腹の胃を刺激する。

丁寧な態度の女性ウェイターに案内され、奥の部屋に通される。予想していたとおりだが、店内は女性客で溢れていた。

「仕事終わりには来づらいだろ?」

「そう、ですね。」

「俺はもっと定食屋っぽいのがいいっつったんだけど…、ここのコックが女好きなんだよ。」

「女好き?」

「口説かれるなよ?」

耳元でこそこそと囁かれるので顔が近く、耳に熱い息がかかる。ふわりと香る汗の匂いが、男の人であることを強く印象づけられ、非常に照れ臭い。

エースが無意識にこういうことをしてしまうタイプであることはこの数日で気がついていた。男女である前に仕事仲間。恋愛感情はなくとも優しく出来るし、大切に思える。同時に、厳しくもできる。

だからこそ、イオナは強くは気にしていなかったのだが、どうにも前方を歩く彼女は、そう捉えていないようだった。

エースをちらちらと伺うウェイターの頬は出迎えられた時も強い赤みが差しており、逆に自分に向けられる視線はどこか冷たい。

わずかに視線を動かす間に、瞳の温度を変えてしまえる匠さ。女性らしいと言えばそれまでだが、向けられる方はいい気がしない。

値踏みするような目配せに嫌になり、イオナはエースの陰に隠れた。

二人がついた席はドアで仕切られた個室の中にあり、二人がけソファの向かい合うタイプのテーブル席。呼び出しは内線電話で行え、完全に閉ざされた空間となる。

それが嫌だったのだろう。ウェイターは、ドアを開けたまま個室を後にしようとした。ペコリとお辞儀をして背を向けた彼女に対して、エースはなんの気ない口調で告げる。

「あぁー。そこ、閉めといてもらえるか?」と。

「え?あ、はい。失礼しました。」

丁寧な口調ではあったが、彼女が若干イラついているのはその強張った表情ですぐにわかった。しかし、エースはそんな彼女の機微になど興味もないのか、とっととメニュー表に視線を落としている。

「イオナはなにが食いたい?」

「エースさんは何にするんですか?」

「俺か?俺は、これ。」

エースが指差したのは、プレミアム牛ステーキセットというメニュー。

300グラムの牛ステーキにピザとライス、スープにパスタにサラダ。おまけに、豪華デザートまでついてくるらしい。

確認もせず、同じものにしますと言わなくてよかった。

イオナは適当にメニューに視線を走らせ、一番軽そうなセットにすることにした。

「じゃあ、私はドリアセットで。」

「よし、じゃあ─」

エースの手が内線用の電話へと伸びる。が、それに触れる寸前で、コンコンとドアがノックされた。途端に、彼の浮かべていた朗らかな笑みが苦笑に変わる。

「はい、どーぞ。」

「失礼します。」

「改まるなっての。」

「初対面の女性の前ですから。」

「なんか、敬語も気持ち悪ぃな…」

ドアが開かれ現れるのは、昔、テレビで観たことのある、高級ホテルのウェイターがするような恭しいお辞儀をする男性。

スパイスの香りに混ざる煙草の匂いが独特で、イオナはポカンとその人をみつめる。エースに関しては、お冷や片手に呆れた笑みを浮かべていた。

「はじめまして。マイ、プリンセス。俺、ここでコック兼、店長をやらさせてもらってる、サンジと申します。」

「あ、えっと…、イオナです。」

初対面なのに、マイプリンセスという言葉選びをする相手に、どう振る舞っていいのかわからない。軽くお辞儀をした後、視線でエースへに助け船を求める、イオナ。しかし、彼は手をヒラヒラさせて苦笑うだけ。

きっと「無理無理」と言いたいのだろう。

イオナは困り顔をサンジへと戻した。すると、彼はなんだか拍子抜けした顔をしている。

「エースさんが女の子連れだって聞いて見に来てみたのはいいが…、正直驚いた。相手がまだ未成年ってのはなんかこう…」

いったい何を考えているのだろう。鼻の下を伸ばしかけるサンジに、エースはため息をつく。

「なんだよ、ゾロから聞いてねぇのか。」

「いや、なにも。」

「イオナには先週から現場を手伝ってもらってんだ。簡単に言えば、サボのアシスタントだな。」

「へぇ。」

感嘆の声と同時に、その表情は不思議そうなものとなる。もしかしたら彼の恋愛対象外だったのかもしれない。警告されていたように口説かれなかったことに、イオナはホッとする。が。

「ゾロのお気に入りだからな。絶対に手は出すなよ。」

「ん?じゃあ、エースさんの恋人じゃ…」

「親父の預かってる娘と付き合えるかよ。」

「………。」

途端にサンジの表情が変わった。とろけるように甘い笑みを向けられ、イオナは無意識に仰け反る。

「男臭い現場でなんか働かず、ここで働かないかい?せっかくだし、俺が接客のノウハウくらいは…」

「だから口説くなよ。またゾロに怒られるぞ。」

「可愛い女の子の前であんなヤツの話は勘弁してくださいよ。俺ァ、初対面のイオナちゃんとの…」

あまりの迫力に呆気に取られる。男前なのにだらしのない表情。サボの髪より黄色味の強いブロンドヘアが遊び人っぽさを更に助長させており、アゴヒゲのせいで実年齢がわかりづらい。

ただ、会話の流れから、ゾロとは同じくらいの歳であることが理解できた。

「イオナの前でゾロをあんなヤツ何て言ったら嫌われるぞ。」

エースの挑発的な発言に、サンジはおろか、イオナまでも「え?」と目を点にする。

「まんざらでもないんだろう?」

「なにがですか?」

「アイツからちょっかいかけられて。」

「……。」

ちょっかいという単語にピンと来ないのは、ゾロの発言や行動にはいちいち理由のあるものだったから。

なにもなければ声かけられることはまずないし、今日のやりとりだってサボがビームサーベルを破壊したのが原因だ。

特別なやりとりをしているわけじゃない。

必要に応じた、必要最低限のやりとりを頭に思い浮かべ、イオナは小首を傾げる。それが期待していた反応と違ったのか、エースはあれ?といった顔をした。

更に困惑するイオナ。自分の反応はなにかおかしかったろうかと考えるが、エースが「あぁ、そういや注文…」と話題をガラリと変えたためにそれ以上考える必要は生まれなかった。

「これとこれ。あと、飲み物が…これ。」

少し早口で注文を口にするエース。
サンジはなんとなくその空気の意味するところを理解している風で、軽く返事をすると部屋を後にした。

「悪かったな。」

「え?」

「ゾロとのこと。俺の早とちりだった。」

人差し指の背で鼻をこすったエースは、落ち着かなさげにお冷やを口に運ぶ。お冷やグラスはシンプルにお洒落な丸みのあるデザイングラス。

なんとなく絵になる光景に、イオナは口元を緩める。

「ゾロさんとは会話が続かないです。」

「…あぁ、なんとなくわかるな、それ。」

「でも、優しい人だとは思います。だから、あんなヤツって言われると、ちょっと違和感です。」

エースは一瞬だけ、意外だ。と言いたげな目をしたが、すぐにその表情を改める。そして、普段と変わらない柔和な笑みでイオナの言葉を聞き流した。

しばらくの無言。

もちろんその間を気まずいとは感じない。それでも、メニュー表を眺めてみたり、部屋全体を見渡したりと視線は落ち着かなかった。

先程のウェイターが料理を運んできたのは、それから20分程度してからだろうか。ちょうどエースがトイレに立っており、部屋にいないタイミングだった。

トゲのある視線に、丁寧とは言えない接客態度。せっかく素敵なお店なのに、と少しだけ残念に思う。

淡々とした態度で、エースの側に特大ステーキやピザが並べられ、イオナの前にサラダ、バケットが並べられる。

空気の重さに耐えられず、イオナは窓の外へと視線を向けていた。

それがいけなかったのだろう。

ドリアの皿を手にしたウェイターの手が不自然に動き──

無防備なイオナの手の甲に、焼けたドリアの皿が押し当てられた。

「熱ッ!!!」

思わず声をあげるイオナ。けれど、ウェイターの表情は淡々としたもののままで変わらない。

嫉妬にしてはやりすぎだ。
そう思いながらも、文句を言う勇気がない。

あなたの方からぶつかってきた。と言われてしまえば、こちらまで非を食う可能性もある。

グリルから出したばかり、まだ沸々とソースの煮えるドリアの皿をぶつけられた手の甲は赤く水ぶくれになるが、ことなかれ主義のイオナはなにも言えなかった。

すべてのセットが完了したところで、エースが戻ってきた。彼が来た途端に、ウェイターの表情は眩しいほどの笑顔となり、その態度は恭しいものとなる。

「おぉ。悪いな。料理できてたか。」

「今、お持ちしたところですよ。」

「そうか。」

イオナはエースに見えないように、手の甲を隠そうとする。けれど、洞察力のある彼の前では、その行為は逆効果だと言えた。

「おい、イオナ。その手ェどうした?」

「いや、別に…」

「ちょっと見せてみろ。」

迷うことなくイオナの隣に腰を下ろしたエースは、彼女が隠そうとしていた手を掴む。「平気ですから。」という拒絶は一切聞き入れず、その傷口をみてムッとした表情を浮かべた。

「これ、ちょっと当たったって傷じゃないよな?」

「あの…、大丈夫ですよ?」

「大丈夫かどうかなんてどうでもいい。とりあえず冷やさねぇと。氷、持ってきてくれないか?」

エースの視線がウェイターへと向けられる。その語調は普段通りだったが、彼の瞳には明らかな軽蔑が含まれていた。


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