憧れ飯を食いに行かないか。
帰りの車の中で、そうエースに誘われたことで、イオナは頭上に疑問符を浮かべる。
あの作業員が戻ってきた影響か、初日以降、徐々に仲良くなっていた他の作業員たちから距離を置かれるようになってしまった、今日。
声をかけると曖昧な表情で流され、避けられる。それを目の当たりにする度にイオナの胸はズーンと重くなった。
サボが現場にいる以上、話し相手には困らないのだが──それでも、『女子の姑息さ』から解放されたことを喜んでいたイオナにとって、嫌な方面の団結力というは精神的にくる。
本当にやっていけるのだろうか。
そんな疑問が何度も頭を過ったし、なにかとゾロの視線が突き刺さり、作業員たちの雰囲気を感じ取ったウソップは妙なテンションで声をかけてくる。
初日より居心地の悪い作業現場。
疲弊しきったのは言うまでもなく、口に出さなくともネガティブな感情で胸中はごった返す。
もしかしたらそんな不満や不安、落胆を態度に出してしまっていたのかもしれない。だから気を使ってくれて──
あれやこれやを勘ぐるイオナの隣、運転席に座るエースはハンドルを左に切る。イオナはそこがいつもは直進する道であることに気がついた。
もとより食事の誘いを断るつもりはなかったのだから困ることはないが、それでも強引に押し切られるというのは意外だった。
イオナはエースへと視線を向ける。運転中は目を細めがちな彼の横顔は、普段の温厚な目付きのそれと違って凛々しくみえる。
「サボには前もって話してたんだけどな。まぁ、アイツはあれだ。ふぇ、ふぇ…なんだ?」
「フェミニストですか?」
「あぁ。それそれ。それだ。」
運転中のため目配せのようなものはない。進行方向へと目を向けたままエースは呆れたような笑顔を浮かべる。
「イオナのこと、本気で心配なんだろうな。」
「まあ、確かにアイツが好きそうなタイプではあるけど。いやっ、つか、それ抜きでも、たぶんあんなことがあった後だしなぁ。」
ブツブツと呟かれる言葉の隅々に、サボを羨むようなニュアンスがある。イオナは二人のやりとりのほとんどをみていたので、余計にそれを強く感じだ。
「立場上、仕方ないだろーが。」
「そんな立場なら捨てちまえよ。」
「無茶いうな。」
「うちで面倒みてやるから。」
「あのなぁ。」
エースはもううんざりだと言った様子で、それでもぐいぐい来るサボを適当にあしらう。きっと二人の間ではこの問答もよくあることなのだろう。
イオナの目からみて、納得できないことには納得できるまで食い下がる、嫌なものには嫌と強い意思表示をするサボに対して、エースは受動的な一面があるように思えた。
だからといって相手の意見にすべてを流されるのではなく、自分の意思はしっかりと持っている。
サボの主張を曖昧な態度で受け流すエースの姿は、蛇口から出る水を受け入れるがままに垂れ流すザルのよう。どれだけ注いでも、それは全て網の目からこぼれ落ちてしまう。
そのことをサボも理解しているようだった。エースが了承しないのをわかっていながら、あえて大袈裟に主張する。それがいったい誰に向けた言葉なのか、何に対する意見なのかが、すでにわからない状態となっても…。
相槌すら忘れて考え事をしていたイオナは、自分がエースの横顔を見つめたままであったことに気がついた。
ヘルメットに潰されるがままにひしゃげた、わずかに癖のある黒髪。見ている者に引け目を感じさせない派手すぎない顔立ちは、どれだけ見ていても飽きることはないように思える。
なにより、その端整さの中で唯一の異物といえるソバカスが、親近感を与えてくれ──
(って、私、なに考えて!?)
ハッとしたタイミングで「そんなに見つめないでくれよ。」と照れ笑いされ、余計に気恥ずかしさが募る。
「ご、ごめんなさい!」
イオナは窓の外に視線を戻す。
照れのせいか、気持ちが落ち着かない。
(私ってば、今、なに…考えてた?)
もう何度も乗せてもらった車。原付の免許が取れるまでは送り迎えをしてくれるらしいのだが。
イオナはこの助手席が好きだった。
その理由はわからない。
それでも、窓から見渡すことのできる移り行く街並みが、ほんのわずかに感じるエンジンの振動が、ミント系の芳香剤の香りが、妙に心地いい。
例え、するべき会話がなかったとしても。
その無言すらも心地がよかった。
エースがハンドルを切る。
車はとある飲食店の駐車場へと進入した。
濃淡のあるレンガを積み上げたような外壁。
駐車場のスペースにたいして、その建物はずいぶんと控えめに佇んでいる。
黒に近いモスグリーンの屋根は、レンガとの境目に白い縁取りがあり、バランスがいい。出窓の窓枠は縁取りと同じ白で、その作りは欧州の民家のようで、作り手の温もりを感じられた。
お洒落と可愛さが同居した、見ているだけで楽しくなるような飲食店。
つい先日まで女子高生をしていたイオナは、その外観につられ胸を高鳴らせる。称賛の言葉を口にする余裕なく、そのすべてに意識を奪われていた。
店の名前はなんだろう?どんな料理を出しているのだろう。
好奇心のままに視線をさ迷わせ、そして、その店名が書かれた看板を見つける。
『海賊の家。〜麦わら屋〜』
そのお洒落な外観に似合わない、海賊という単語。どこか田舎臭い店名にイオナは小首を傾ける。
「ここ。うちが建てたんだぜ。」
「え?」
「俺たちの店だ。」
エースは誇らしげに笑う。
その笑顔はこれまでみてきたなによりも輝いていていて、イオナは惚けてしまう。
「すごいだろ?」
「はい。」
お世辞の1つも言えない状態だったか、それについてエースが気を悪くした様子はなかった。むしろ、その何も言えないほどの感動を喜んでくれているようでもある。
「俺たちが初めて建てた店だ。」
さらに繰り返されたエースの呟きがイオナの耳に残る。その感慨こもる声の響きは、この建物に込められた『想い』そのもののように思えた。
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