カルマの法則 | ナノ

真新しい洋風のデザインの民家が建ち並ぶ、閑静な住宅街。

次第に作業用防音シートに覆われた建物が見えてくる。その周囲を囲う背の高いボードが中の様子を伺うことを許さない。ただ幾人もの作業員がそこにいることは、建設現場特有の喧騒で理解できた。

建設中の建物に近づくにつれ車の速度が落ちる。重機の動く音はなく、金具のぶつかる音と、作業員の声が晴天にこだまする。車はアコーディオンのような形の門の前で停車した。

それに気がついた、赤いバトンを持った白いヘルメットの男性が駆け寄ってくる。彼は運転席側、エースに向かって親しげに声をかけた。

「マイカーで現場に来るなんて、お前にしては珍しいな。」

「今日は連れがいるんだ。」

「へぇ。彼女?」

「違ぇよ。」

ここで初めてその人は車内をうかがい見る。

そしてイオナと目が合うと、まるで彼女を気遣うようなしぐさで、手にしている赤い棒を左右に小さく振り、爽やかに微笑む。イオナはそれに答えるように頭を下げた。

エースと同年と思われる青年。

その笑顔からはほんの少しキザ印象を受けるが、嫌みな感じは一切なく、むしろ引き込まれてしまいそうな魅力がある。

普通ならば見るのを躊躇うような顔の3分の1を覆う赤いアザも、その丹精な顔立ちにしっくりきており、最初からそこにあるべくしてあるのではないかと疑ってしまうほど。

なにより驚いたのは、ヘルメットから溢れるブロンドのクセッ毛。しかも、ヨーロッパ系の白人によく見られる、カラーリングやブリーチでは出せないような美しく柔らかなクリーム色だ。

まるでハーフか、外国人のように見える。

見馴れないタイプの美貌に呆気に取られるイオナに、その人は柔らかな声音で訊ねる。

「16か?」と。

「いや、今年で18だ。」

なんの数字かわからず口ごもった彼女の代わりに、エースが答えた。彼は冷やかすように短く口笛を吹いた後、「へぇ、合法ロリだ。」と微笑み、「さすがエース。お目が高い」とからかうように目を細めた。

「だからこの子は彼女じゃねぇよ。」

「おお、ロリコンは否定しないんだな?」

「16はロリコンの域じゃないだろ?」

「そういや、そうか。本物のロリコンは小学生を相手にするもんな。」

なんとも笑えない冗談。イオナは困惑ぎみにエースを見るが、彼もまた肩をすくめるだけ。まるで、コイツはいつもこうなんだ。放っておいてやってくれ。とでも言っているようだ。

イオナは再びブロンドヘアの男に目を向ける。彼は相変わらず柔和な笑みを浮かべていた。

「俺はサボだ。サ行が言いにくいようなら、お兄ちゃんと呼んでくれてかまわない。」

「お兄ちゃん…ですか?」

突然の提案にイオナは目を丸くする。すかさずエースが口を開く。

「どっちがロリコンだよ。」

「おい、エース。なんでもごったにするな。妹萌えはロリコンじゃねぇぞ?」

「どっちもキモい域なのは変わらねぇよ。」

「じゃあ、ロリコンのエースと妹萌えの俺。痛み訳ってことで、ドローだな。」

「だーかーらっ、俺はロリコンじゃねぇ。」

怒っている訳ではない。呆れている時の口調だ。冷めた目をするエースをみて、サボは嬉しそうに笑っている。二人は旧知の仲なのだろう。そして、これが彼らのコミュニケーションの取り方なのだろう。

イオナはエースがロリコンではないことを理解した上で、サボのことをなんて呼ぶべきか考えていたのだが。

背後から聞こえた大型車のクラクションの音により、思考を中断した。

イオナはサイドミラーで後ろの車を確認する。それと同時に、エースはバックミラーへと目を向け、運転席の窓に腕をついていたサボは身体を反らして後方の車へと顔を向けた。

そこにあるのは大型トラック。運転手はずいぶんと苛立っているらしく、その目は妙にギラギラしている。

逆立てた赤い髪はまるで、ひと昔前のビジュアル系バンドのようで、それと関係しているのか、頭には大きなゴーグルをつけている。服装も建設現場で働く人間にしては、ずいぶんと派手で節操がない。

仮に親しい人に紹介されたとしても、常に距離を取るようにして極力関わり合いを持たないようにするだろう。それくらい危険度の高そうなナリをしている。

それなのにその顔立ちに見覚えがあった。

どこで、どんなときに?

赤髪の人など見たことがない。周囲にビジュアル系を好きな人もいない。こんな素行の悪そうな人と接点があるわけがない。

イオナは失礼だとわかっていながらも、その人から目を離せない。怯えなのか、警戒なのか。無自覚のままミラーをジッと見つめている。

そこでサボが「ようっ!」と軽い調子で挨拶した。まるで場をなごませるような親しげな声かけだったが、それは運転手を逆に苛立たせる。

「さっさと誘導しろよ。」

低く唸るような声でトラックの運転手は言う。

「早くしねぇと、砂利をばらまくぞ。」と。

きっと本気なのだろう。冗談とは思えない目をしている。イオナはエースとサボへと視線を向けた。

「そうされたところで俺は困らない訳だが。」

「お前は困らなくても俺は困る。」

「そうだな。エースが困ると俺はおもしろい。というわけで、アイツがぶちまけてくれたら…」

本気で嫌そうな顔をするエースと、危機感なく軽口を叩き続けるサボ。性格の違いなのだろう。友人の腕がまだ車に乗せられたままであるにも関わらず、エースはアクセルを踏み込む。

「おい!危ないだろう?」

「お前が悪い。」

相変わらず危機感ない声で抗議するサボを、エースは車を走らせながら切り捨てる。アコーディオンの門の中へは入らず、車を建設現場の裏に回した。
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作業員用の駐車場に車を停める。
大きな門は作業者用の出入り口だったようで、こちら側からも現場の中に入れるように小さなドアがついていた。

イオナはエースに続いて中に入る。その時、彼の履いているズボンの裾がドア枠にぶつかっていて、なんだか不憫そうに見えた。

「あの…」

「どうしかしたか?」

「いや、その…。なんで、そんなに裾広なんですか?」

イオナはエースのニッカポッカを指差す。彼は裾を広げてながら、「あぁ、これか?」と笑う。

「動きにくそうに見えるんですけど…」

「逆だよ。こっちのほうが便利なんだ。」

「はぁ…」

二人は足を進めながら会話を続ける。

「猫の髭みたいなもんだよ。足場をイチイチ確認しなくても、これで安全の確認ができる。立ったり座ったりもスムーズだし、ポケットにたくさんものが入るし。」

「へぇ。」

イオナは考える。フレアスカートの裾になにかが当たったことで、それを意識したことはあっただろうかと。

「まあ、イオナがこれを履くことはねぇよ。手伝ってもらうにしても、怪我はさせらんねぇしな。やるとしたら、作業車の誘導とか…」

「誘導…」

イオナはさきほどの大型トラックの運転手の顔を思い出す。彼はいったい誰なのだろうか。

会話を続ける二人の前を、幼い顔立ち(でも眉毛はない)の作業員が通りすぎる。まだ中学生くらいにしかみえないその少年はよろよろしながら木材を運んでいる。

「おう。おはよう。」

二人で会話していたよりずっと大きな声で、少年に声をかけるエース。柔らかな声色は大声であろうと変わらない。

「うぃーす。」

対する相手の返事は、無愛想でそっけないものだった。

顔をこちらに向けることすらしなった少年に対して、エースは怒らない。それどころか、アイツは新入りなんだよ。と苦笑いでフォローする。

彼はもしかしたら、朝食の後に話していた"複雑な家庭事情の子"なのかもしれない。イオナだって十分に問題ある家庭の子なのだが、自覚が湧いていないせいかそんなことを考えてしまう。

無愛想な少年の後ろ姿を見送ったのをきっかけに、イオナは周囲に気を配るようになった。そして、自分が好奇の目に晒されている現状に気がつく。

「あの…」

「どうした?」

「すっごく見られてるんですけど…」

居心地の悪さからつい、エースの後ろに隠れてしまう。そんなイオナを彼は気遣うように微笑む、

「まぁなんだ。アイツらのことは檻の中にいる猿だと思ってくれたらいい。」

「猿?」

「ちゃんと紹介してやるから。それまではあんまり視線を送るなよ。勘違いされたら困るだろう?」

視線を送るなというのも、おかしな指示だ。気がつけば作業の音が半分以下に落ちている。きっとみんな手を止めてこっちを見ているからだろう。

これまでモテるようなことはなかった。ただ、男社会に飛び込めば、ある程度、気をかけられるのは理解できる。いわゆる、需要と供給の問題だ。

イオナは早くも不安になってきた。

昨日、男の人の生々しい性的な目に晒されたばかりだからか、胸の奥がゾワゾワしてくる。不意にマルコの背中の温もりを思い出した。

真っ直ぐ抜けた先、建物の表側にでた二人は、大きな門のある方へと回り込む。少し臭う簡易トイレの前で、エースはイオナにここで待っているようにと声をかける。

嫌だとは言えない。でも…

あからさまに不安げな、そして嫌そうな顔をするイオナをみて、彼は困ったように笑う。

「別に俺がどっか行くって訳じゃねぇんだけど…」

エースは怪訝な顔をする少女から、建設物へと視線を移す。そして、急に声を張り上げた。

「あぁ、ちょうどよかった。おい、ゾロ。全員ここへ呼んでくれ。」

「なんで?」

「いいだろ。どうせアイツら働いてねぇし。」

反応したのは、まだ組んでいる途中の足場をひょいひょいと跳び移っていた肩幅の広い長身の青年。俊敏な動きをみせているが、担いでいるのは足場用の鉄材だ。

ガッチリとした体格のせいで年齢が分かりにくいが、そのやり取りからエースと同年代のように思える。

あからさまに嫌そうな顔をしているが、すでに他の作業員たちの手が止まっていることを確認すると「好きにしろよ。」と言い放つ。

まるで冷たい態度にイオナは怯むが、エースは相変わらず涼しい顔をしている。それどころか、「あぁ見えて良いヤツなんだぜ?」と耳打ってきた。

ゾロは鉄材を足場に置くと、嫌そうに作業員たちに指示を出す。距離があるからこそ見えないが、その時、溜め息をついたのはあからさまで、なんだか申し訳なくなってくる。

そんなイオナの気持ちなどお構いなしに、彼の指示を待っていた男たちが、歓声やら口笛やらをあげて鉄組みから降りてきた。まるで、餌を持った飼育員をみつけた猿山の猿たちのように。
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