残念美人
素人童貞であることを指摘され、からかわれた(ほぼ自爆ではあるのだが)臨也は、虎視眈々と波江への仕返しのチャンスを狙っていた。
といっても、その会話からまだ1時間程度しかたっていない。
いつもの彼ならば情報屋の名にふさわしく、じっくりと時間をかけて相手を追い詰めることのできる情報を集めたり、嫌がらせのような偶然を用意したりする。
しかし、今回ばかりは違った。
さすがにプライベートな仕返しで、大事な社員を手放したくはないのか。はたまたプライドを傷つけられたことに余程腹を立ているのか。
情報を集めることも、いつものチャットルームに顔を出すこともなく、静かに波江の様子を観察し続けているのだ。
それでも眼前の彼女は動じない。
あからさまな敵意に晒されていようとも、仕事をする手は休めないし、贅沢すぎると言っても過言ではない夕食も作ってみせる。
まるで欠点のない、眉目秀麗な女性。
それだけをみれば今すぐにでも嫁に来て欲しい逸材ではあるが、彼女にはそれを許さない特殊な性癖があった。
「波江さんさぁ。弟くんは元気?」
波江の作った手料理に箸をつけながら、臨也はいつもの淡々とした口調で問いかける。
一緒に食卓につくことなく、さっさっと書類の整理を始めていた彼女は視線だけを臨也へと向けた。
「元気に決まってるじゃない。何かあったらあの女を殺すわ。」
なにを思い出しているのか恍惚とした表情で、おぞましい答えを口にする波江。
そう。それが彼女の特殊な性癖。
波江にとって弟である誠二こそが─肉欲的な意味も込めて─唯一の情愛の対象だった。
そんな彼には現在、張間美香という恋人がいる。もし弟の誠二が張間美香本人を愛していたのなら、波江はどうかしていたかもしれない。
しかしさまざまな事情から実際に彼女を愛していないのは確かであるために、どうにか理性を保てているような状況だ。
それでも張間美香という存在が目障りなのには変わりない。
そんな理由もあり、"あの女を殺す"とまで言ってのけた波江。彼女の弟に対する変質的な愛情を知っているからこそ、臨也はあえてこの話題を切り出していた。
「さすがに彼女だって、君の弟である誠二くんの風邪や怪我を予防するための力なんてのは、持ち合わせていないんじゃないかな?
常に彼の健康を継続できないというだけで殺されちゃ、浮かばれないと思うなあ。」
的を射ているようないないような、独特の回りくどい語り口で、臨也は続ける。
「まぁ、どちらにしろ、二人は毎晩お楽しみだろうから、あっちの健康状態は良好かもしれないね。」
全くもって食事しながら口にするような台詞ではない。それでも彼は特に気にする様子もなく、スープに入っていたウインナーを眺めながら小馬鹿にするように言い切った。
「あら、経験の乏しい貴方がよくもそんな知ったような口を聞けるわね。」
「さて。それは俺だけかな?」
「どういう意味?」
この時を待っていた。そんな風にも取れる挑発的な臨也の言葉に、波江は眉を寄せ目を細める。
「君だって、弟くんを溺愛するあまり、それ以外の男には抱かれたくなかったんじゃないのかい?」
「そうね。当たり前よ。誠二以外に触れられるなんてまっぴらごめんだわ。」
「つまり君の体はまだ処女膜を保有している。君は経験もなく、その歳まで涼しい顔をして生きてきたわけだ。」
勝てる。
臨也は確信していた。このまま波江がどれだけ残念な女性であるかを指摘し続ければ、確実に自分は勝利を掴めると。
彼女の性格上、恥じらうことはないだろう。悔しげに下唇を噛みキッと睨み付けてくる波江の表情を期待し、彼女へと視線を向けた臨也。
しかし、彼の目に映ったのは…
「私の処女は誠二に捧げたわ。」
恍惚とした表情で天を仰ぎ見る波江の姿。
いやらしく頬を染め、艶っぽい笑みを浮かべる彼女は扇情的ではあるが。
臨也にとってそれは期待はずれ。
というより、さらなる敗北を告げるゴングのようにすら思えた。
「誠二のは太くて長いのよ。それにきれいなピンク色だった。匂いも、温度も覚えてるわ…。もちろん精液の粘度も…」
「………………。」
いつもは饒舌な彼が言葉を失うほど、今の波江の様子はどこかおかしい。
戯言のように言葉を紡ぎながら、手で筒を作りそこにソレがあるかのように丁寧に指を動かす波江。
それはもう良くできたパントマイム。
「あの子の寝ている間に薬でペニスを大きくして、丁寧に型を取ったの。表面の温度も計って、忠実に再現してみせた…。」
「再現?」
「当たり前じゃない。私は誠二の嫌がることはしない。あの子が望まないのなら、セックスなんてしないわ。」
「ん?待ってくれ。君はさっき、処女を…」
「えぇ。寝ているあの子から採取したさまざまな情報をいかして、本物にそっくりのレプリカを作ったの。」
「待ってくれ。まさかそれを突っ込んだって言うんじゃ…」
「そうよ。」
堂々と肯定した波江と、絶句する臨也。
彼がここまで狼狽したことが、これまでに一度でもあったのだろうか。
「誠二のペニスそのものであるディルドー(男性器を模したバイブ)で、私の処女膜は貫かれた。私はあの子のペニスによって、女になったの。」
オーガニズムに達したときのような艶やかな色っぽさの中に、ただならぬ狂気を秘める波江。今の彼女はまさしく『(性における)自由の女神』であろう。
彼女の手料理を静かに口に運びながら、臨也は考える。
童貞や処女に拘っていた自分は器が小さすぎると。
この世界には、幾多もの思考を持つ人間が営みを続けるこの地球では、素人童貞だろうが、インポテンスだろうが、アナルビッチだろうが、そんなものはちっぽけなことだ。
そんなことに拘っていては真理に迫ることはおろか、人を、この地球上にあるすべての人間を愛することはできない。
「誠二のはすごいの。ほんとに、たまらないの。」
浪江は恍惚と口にするが、それは紛れもなく自慰であり、セックスではない。言いたくても言えないのは、彼女の人としての強さに感銘を受けてしまったからだろう。
(俺は人として未熟だった。)
臨也は今、波江によって思い知らされた。
『これだから人間は面白い…、人ラブ。俺は人を愛している。』
決め台詞であるこの言葉も、口にする気にはならないほどに彼の魂は震えていた。
to be continued
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