プロローグV
翌日。
「ごめん、その日は練習試合なの。」
「だから部活なんてやめちまえって言ってんだろ。ウチと部活どっちが大事なんだよ。」
「んん…。でも…、」
困ったように眉を寄せるイオナに、ボニーはやはり強い口調でいい放つ。
「ピザ食べ放題のがおもしろいに決まってん のに、なんで部活優先なんだよ。だいたいイオナはマネージャーだろ?」
「そうなんだけど…」
「もうやめとけよ。ボニー。もとはと言えば、お前が剣道部に入るなんて言い出すから、イオナがマネージャーになんてなったんだろうが。」
「うっせぇ、童貞。」
「…なっ…………っ!?」
あまりのやりとりに助け舟を出したつもりのエースだったが、その一言に撃沈させられてしまう。
イオナの前ではそういった単語を使うなと、口が酸っぱくなるほど言ってるにも関わらずこれだ。
文句のひとつでも言ってやりたいが、この場には彼女がいる。
チラリとそちらへ視線を向けると、苦笑いを浮かべたままボニーをみつめていた。いつもよりも格段に機嫌の悪い友人をもて余しているようにも見える。
罵られ損した感じの否めないエースが苛立ちの言葉を噛み殺していると、隣から「おい、ボニー。」と軽い調子の声が響いた。
イオナと自分の間にサラリと割り込んできたことにも驚くが、この状況でコイツが話し出すのも珍しい。
名前を呼ばれた本人はツンケンした表情を張り付けた顔をあげ、声の主であるサボを睨みつけた。
けれど、彼は動じない。
「お前みたいな奴にはわかんねぇかもしんねぇけど、エースはあえて童貞なんだぜ。ピュアなんだよ。フェミニストで妖精さんなんだよ。」
からかいにしては酷すぎる台詞を、抑揚をつけて口にする親友。ご丁寧に身振り付きで…。
エースは投下された爆弾の威力に一瞬呆気に取られていたが、不機嫌だったはずのボニーは「なんだよそれ。」と小さく吹き出した。
それからもう、あれだ。
ケタケタ、ゲタゲタと品性の欠片もなくボニーが笑いだす。
「フェミニスト…」「乙女かよ。」「ウケる。」などと、呟きながらバンバンと机を叩いているあたり、余程ツボッたのだろう。
その爆発的な爆笑に、またもや呆気にとられてしまったエースだったが…。
クスクスと笑いをこらえる音を鼓膜が捉え、ジトッとした目をサボへ向けた。
「サボ、てめぇ。」
「いいだろ。ボニーたんが上機嫌になったんだから。」
ボニーたんってなんだよ。
つか、これは上機嫌とは言わねぇよ。
壊れたおもちゃみたいに笑い転げる女子を前に、エースは深い溜め息を漏らす。サボに反省の色はなく、シレッとした表情を浮かべた顔を背け、口笛を吹く仕草をしている始末だ。
イオナはというと、状況を理解しているのかいないのか、笑い死にしかけているボニーをみて微笑んでいた。
「ほんとお前はくだらねぇ男だな、サボ。」
ひとしきり笑った後、ボニーは目元の涙を拭いながら言う。そして、座っていた椅子をおもいっきり後ろへ引いたあと、足を机の上にガンッと乗せた。
スカートが捲れあがり、あられもなくほどよく引締まった太股がさらけ出される。美脚と呼ぶにふさわしい、色気のムンムンと漂う細すぎない白い脚。
それが女友達のものとはいえ、あまりにも扇情的な映像にエースは慌てて彼女から視線を背けた。
そこですかさず声をあげるのはサボ。女子耐性があるというか、女の子の素肌が晒されたくらいで動揺したりはしない。
もちろん目を背けもしないのだが…
「ボニー、机に足あげるなよ。」
「うるせぇ。好きにさせろよ。」
身体だけみりゃいい女。
それがクラス中の、いや、学年中の男子が抱く、ボニーのイメージだろう。
女子高生にしては発達しすぎている身体にどんなに目を奪われたとしても、その喋り方や振る舞いをみれば普通の青年なら一歩引いてしまうに違いなかった。
エースとしては友情に重きを置いているので、─生身の肉体さえみ見せつけられなければ─男らしい彼女の性別を深く気にしてはいない。
しかしサボは違う。
ちゃんとボニーを女子としてみていた。
「そんな脚晒すな。ほら、俺なら絶対に嫌だぞ。こんな野蛮な彼女は。」
呆れたような口調ながらも、机から脚を下ろすように促している。ただボニー本人が全くもって気にしていない人間なので、意味はない。
「柔らけぇ口調で皮肉るな。こっちだって願い下げだっての。お前の粗末なもんなんてくわえたかねぇよ。」
「そ、粗末ってお前、みたことないだろ!」
「男のナニの形は鼻みりゃわかんだよ。そんなこともしらねぇのか。」
「……鼻!?」
挑発的なボニーの口調にサボは自身の鼻を押さえて狼狽する。 エースは"なるべくボニーが視界に入らないように意識しながら彼をみた。
するとどうだろう。
片手で鼻を押さえたままのサボは、イオナの肩を抱き寄せていた。
「おい!」
「ボニーはひでぇな。付き合うなら絶対、イオナみたいな可愛い娘がいい。」
「………!?」
今にも頬擦りしそうなくらいに顔を寄せて、爽やかな笑顔を浮かべる親友。あまりに大胆な発言と行動に、エースはどんな声をあげていいやらわからない。
肩を抱かれままのイオナは、ちょっと困ったような顔で微笑みながら言う。
「私も脚は下ろした方がいいと思うよ?パンツ見えちゃうもん。」
完全にサボをスルーだ。こうも可憐にスルーを決め込まれると、さすがの彼も心地が悪かったらしい。
「おいおい、無視かよぅ。」
「あっ!えぇっと。サボの鼻、かわいいと思うよ!?」
拗ねたように声をあげたサボに、なんの慰めにもならない言葉を吐き出すイオナ。その惚けた様子があまりに可愛く、思わず頬を緩めたエースの視界をとらえるのは、やわらかな赤髪。
クソッ、あの野郎。
それが誰だかわかってしまえば、なにをする気かなんてすぐにわかった。
ムギュッ。
サボごとイオナを抱き締めたシャンクスは「おはよっ」と彼女の耳に囁きかける。
イオナは唐突の出来事に驚き、一瞬目を丸くしたものの── それをしたのがシャンクスであると気がつくと、ホッとした表情で「おはようございます。」と返事した。
って、普通に返事してんじゃねぇぞ!?
「やい、セクハラ教師!」
エースは強気な声をあげる。
どんなタイミングでどんな腕力を駆使したのか、笑顔のままではサボをイオナから引き離した彼は、その身体を強くギュッと抱き締めたままエースへと目を向けた。
「人聞き悪いねぇ、エースきゅん。」
「きゅんってなんだよ!」
「俺がしてるのはセクハラじゃねぇ。挨拶だ。聞こえなかったか?おはようの4文字が。」
「だったら、普通に挨拶しろ。なんでいちいち抱き、だ、抱きし…」
「おっと、照れルな、照れるな。」
「んな!?シャンクス、てめぇ…」
エースは顔を真っ赤にする。「抱き締める」なんて単語を口にするのは、まだハードルが高かった。
勝手に照れる生徒に向けて、屈託ない笑顔を振り撒きながら、背後から抱き締めた女子生徒の頭を撫でる学級担任。
どこからどうみても教育者として『アウト』な行動なのだが、彼の好感度がそれを当然のように許してしまう。
むしろ、保護者、生徒、はたまた同僚に到るまで、口を揃えて彼に抱かれたいとおっしゃられる。
ちゃんと仕事しろPTAと育委員会…。
そう思っているのはエースだけではないはずだ。ただ、口に出さないだけで…
「俺は男女平等っていう、現代の社会の仕組みに馴染める生徒を育てようと思ってだな。」
「どこが平等で、どこが現代の社会なんだ!?それのどこが!?」
「さっきだって、サボもついでに抱きしめてやったろ?」
「自分でついでって言っちゃってんじゃないかよ!」
「当たり前だろ。俺はゲイじゃねぇ。」
「てめぇ。」
相変わらずシャンクスは余裕の態度。おかげでエースの余裕の無さが際立ってしまっている。
サボとボニーはおもしろいものを見る目でそのやり取りを傍観し、イオナはやはり困ったように微笑んでいる。微弱ながらもれっきとしたカオスだ。
おまけに、夢見心地な表情を浮かべたシャンクスが「あぁ〜あ、今から卒業が楽しみだな。」などと言い出すのだからたまらない。
冗談ッぽく行っているが、これが本気であることを周囲は知っている。
もちろんこの言葉の奥に込められた本当の意味とは。
「あと1年と半年はあるけどな。」
エースはそっけなく答え、目を反らす。
教師としては立派だと思うことも多々あるが、イオナに対する愛情表現だけは解せないというか、受けつけることができない。
反抗したところで、彼はおおらかな笑顔で全部受け止めてくるのだから腹立たしいことこの上なかった。
「先生の夢はな、俺とイオナの子供がいるクラスで教鞭をとることなんだけどな。どうだ?叶えてくれるか?」
俺と子作りしよう。そういったニュアンスの言葉に、サボは苦笑いし、ボニーは「おっ。」と楽しげな声をあげる。
そして、エースはいろいろ想像して青ざめていた。
やっとこさシャンクスの腕から逃げ出したイオナは、突拍子もないプロポーズに対して、視線を宙で泳がせた後ひとこと。
「それって難しくないですか?」
素朴な疑問。そんな感じの物言いに、全員がそれぞれの思いを胸に「ん?」と疑問の声をもらす。イオナは周りの反応にちょっと驚いた顔をした後、続けた。
「だって、それを叶えるためには先生の赤ちゃんと私の赤ちゃんが同じ時期に生まれなくちゃいけなくて…。同じ高校に入学しなくちゃいけないんですよね?」
「……………。」
「だから、もっといい夢を持つべきですよ。他力本願じゃない夢のほうが叶えやすいですよ?」
クスクスと笑いながらイオナがいい終えた時、なんとも言えない空気がその場に漂った。
天然なのか…。
はぐらかしたのか…。
それとも…、
答えは彼女本人しかわからない。
ただの無言。自然と5人の周囲だけが微妙な雰囲気に包みこまれた。
その無言はチャイムの音が響くまで続き、ちょっとヤンチャなイオナの笑顔だけがやけに場違いだった。
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