文化祭まであと少し | ナノ

プロローグU

「なぁ、お前の兄貴とうちのマネージャーって付き合ってんのか?」

エースとイオナのハグを誰も見ていなかった訳ではない。緑色の頭をした男子生徒がその様子を眉を潜めて監察しながら、隣にいた黒髪のやんちゃな笑顔の少年に訊ねた。

黒髪の生徒(=ルフィ)は、"マネージャー"が誰を示しているのわからない様子でポカンとしている。

もっとも、ゾロの視線の先を追っていれば、兄が女子生徒といちゃついている姿をダイレクトに鼓膜に焼き付けることとなっていたのだが──ルフィが色恋のオーラなんて見分けられるはずがなかった。

その代わりに、

「マネージャーなんてまどろっこしい呼び方するからわかんねぇんだろ、クソまりも。」

会話に食い込んでくる色男はいた。いや、色男というより、好色家と呼ぶべきだろうか。

【美しい女性が神である】という、なんの宗派にも属すことのできないような、無節操な崇め方をしているサンジは『何か』を"満を持した様子"で口を挟んだ。

「お前も素直に名前で呼んでやれよ。イオナさんだって「そうして欲しい」っていつも言ってるんだろう?」

「うるせぇよ。」

滑らかに紡がれた言葉に対して、ゾロの返事は素っ気ないものだった。

いちいち言われなくても、そうすべきであるとわかっているのだ。

ただ自分の中で折り合いがつけられず、無難に「マネージャー」と呼びつけてしまっている。

当人から名前で呼んでくれとせがまれるのだが、ゾロはそうしたくなかった。

その理由は明白。彼女を『先輩』という、"目上の存在"に認定したくないため。

男尊女卑というわけではないが、女性には1歩後ろを歩いて欲しいと考える彼だからこその対応。

他のマネージャーは平気で名前や苗字で呼び捨てるし、部員に対しても同様。申し訳程度に、敬称として『先輩』や『さん』をつけるくらいだ。

ただ、イオナに対してだけは"抗ってみたい"という好奇心も合わさり、彼女の嫌がる呼び方である『マネージャー』を好んで使っていた。

ゾロの視界の中で、イオナとエースが並んで歩き始める。

彼女の男ウケの良さは部活動で充分に感じていただけに、彼氏の一人や二人いてもおかしくはないと考えていた。

ただ目の前であんな風にいちゃつかれると、現実逃避をしたくなる。

視線を意図的に背けたゾロの側で、ルフィが何やらブツブツと呟いていた。

「イオナ?イオナって名前なら、どっかで聞いたような…。」

「おい、ルフィ。気安くイオナさんを呼び捨てるなっ!」

「お前だって、うちのマネージャーに気安く話し掛けすぎだろーが。」

「うちのマネージャー、うちのマネージャーって、イオナさんはお前のもんじゃ、ねぇーからな!?」

「んなこと知ってるわ。」

熱くなりすぎているサンジにジットリとした目を向けながら、ゾロはめんどくさそうに頭を掻く。

どうにもサンジの真意が掴めない。

この情熱的に熱い想いは、彼にとっての『本気』なのか、はたまたただの『信仰心』なのか。

抱いている感情によっては、《恋敵》になるかもしれない。

そうなってしまうと、恋愛で友情を壊す気はないゾロは、"彼女を諦めなくてはならない"ことになる。

そんな複雑な感情を孕んだままに、彼は首を傾げて何かを考えるルフィに目を向けた。

まだ考えている。
「うぅーん」とか「なんだったかなあ。」とか、必死に考えている。

ゾロが、「もういい、帰ろう。」と言おうとしたところで、やっとルフィが声をあげた。

「あぁ、そうだ。寝言だ。」

ポンと拳をで水平にした手の腹を叩くという、ひらめきを意味する動作と共に紡がれた答え。

それに、ゾロとサンジは「「は?」」と同時に声を漏らす。ぶっちゃけそこそこ待たされて、その回答はない。脱力気味な二人の前で、ルフィは記憶の縁引っ掛かっていたものを吐き出せた悦楽に浸っている様子。

「そーだ。そーだ。エースが時々寝言で、イオナって呼んでるんだよ。俺が返事したら、雄叫びあげてぶん殴られたけどな。」

おいおいそれって…。

なんの悪意もなく、兄の人知れず隠しておきたい羞恥的な秘密を満面の笑みで暴露するルフィ。きっとそんなことを他言したと本人に知れれば、「ぶん殴られる」だけでは済まないだろう。

一瞬、頭のなかで自分の立場に置き換えたゾロは、小さく身震いした。

夢でイオナに逢えるのは喜ばしいことだが、寝言で名前を口にするなんてリスクはしょいたいくない。サンジも同じ気持ちなのか、いつものような軽口は叩かず罰が悪そうにしている。

そんな状況で口を開くのは、

「ルフィ。あんた、ちっとはエース君の気持ちとか考えたら?」

いつの間にやら現れたのか、ナミだった。

「なんだよ。エースの気持ちって…」

「寝てるときに好きな娘の名前を呟いているなんて、他人に知られたくないに決まってるでしょ?」

彼女は首を傾げるルフィに分かりやすく説明したあと、「羞恥に悶えて発作死ぬわよ。」と、サラリと毒っけの強い言葉を付け加える。

「そうか?俺はいつも肉まんとか、ステーキとか、ハンバーグとか…」

「それ、女の名前じゃねぇだろ。」

「でも好きなもんだぞ?」

「もういい、ルフィ。これ以上俺を残念な気持ちにさせるな。」

どうにも理解していないルフィに、ゾロは淡々と言葉を投げる。イオナに向いていたはずのサンジの心は、コロリとナミにシフトチェンジされており、会話には不参加。

「ナミすわぁん。もうひとつブラウスのボタンは開けた方が…」

「相変わらずうるさいわね。」

手のひらからパッと飛び出したバラの花をナミに差し出しながら、欲望丸出し、垂れ流しなコメントをするサンジと、その花を受け取りながら受け流すナミ。

この二人が付き合ってくれたらと何度感じたことか。

「なぁ、ゾロ。なんでナミはエースがお前んとこのマネージャーを好きだって知ってたと思う?」

相変わらずデリカシーにかけるルフィの言葉に頭を抱えながら、彼はただ思う。いつか自分も気安く「イオナ。」と呼んでみたいと──。

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